【17】決意(2)
「瑠既ぃ」
低音の色っぽい声に、瑠既は誘われるように唇を重ねた。
部屋を出て、目にうるさい装飾の数々を視界に入れる。全体が赤というだけでもうるさいのに、のれんにはジャラジャラとしたアクセサリーや細かい柄が描かれていて、更にうるさい。それに、今は店内に静寂が流れていても、これが人々の起きるような時間になれば話し声だけではなく、陽気な音楽まで流れてうるささに拍車がかかる。──異国の特殊な文化と雰囲気。まったく違う世界に迷い込んだと瑠既が思うのに、綺はちょうどよかった。
瑠既はカウンターの近くにある部屋をのぞく。すると、スライド式の扉は開いており、そこに叔がいた。すでに身支度を済ましている。おはようと声をかけると、おうと返事は返ってきた。
「ちょっと、いい?」
「珍しいじゃねぇか。どうした? 体調でも回復しねぇのか?」
瑠既はのれんをくぐり、段差を登る。敷物が敷かれた部屋には、奥にキッチン、手前に低いテーブルがある。椅子やソファはない。
「いや、体調は大丈夫。ただ、一回だけ……帰っておこうかと思って」
座りながら瑠既は言う。いつのころからか、叔の真似をして座れるようになった胡坐。
「そうか」
叔は静かにうなずく。
そのあと、どちらとも話さず、重い空気が流れ始める。気まずい空気に、瑠既はわざと明るく声を出す。
「叔さんには十四歳のときに拾ってもらって、それから世話になってるし。行き先を話してから行こうと思ってさ」
「そういえば、産まれた家のことを一切言ったことがなかったな。聞かなかった俺も悪かったけどよ、やっぱり……瑠は気がかりだったんだな」
あっという間に過ぎていった十一年という歳月。もはやふたりは親子同然。いつしか、叔は瑠既のことを本当の息子だと思って接していた。それは、瑠既も同じ。
「そりゃあ……ね」
瑠既の返事は歯切れが悪い。それはそうだろう。生家に関することを言ってしまえば、身分を明かすことになりかねない。そうなってしまえば、瑠既の目的とは違う方向に話がいってしまう可能性がある。
叔はというと、触れてほしくないこともあるだろうと思っていた。ボロボロの姿でゴミに紛れていたのを抱えて連れてきて、生家のことを言わないのだから、聞けるわけがない。ただ、その反面で内心は帰りたいと思っているのではないかと、うかがってもいた。
叔の妻は、倭穏が生まれたときに他界している。倭穏の彼氏というのも、瑠既だからこそ許せた。このまま瑠既が綺を継いでくれないか──と、思うようになっていたと今更気づく。
生家に帰ると言わず、このままいてくれればと願い、本当は聞くことができなかった。それが事実だ。
引き止めることなど、叔にはできない。
「じゃ、行ってきます」
やや明るく言った声を、叔は彼らしいと思った。立ち上がる瑠既を見上げる。
「瑠、倭穏には言ってかないのか?」
「ん? ああ。また俺はここに帰ってくるから。それに……」
瑠既の言葉に叔は目を見開く。『ここに帰ってくる』が、幻聴かと耳を疑って。
一方の瑠既は、何とも照れくさそうな表情を浮かべる。
「変な心配させたくねぇんだよ。知らなくてもいいじゃん、別に」
「お前の気持ちは、俺なりに理解しているつもりだ。本当のことを言えば、お前は生家に帰るといつか言うと思っていたんだ。後悔はするべきじゃない。瑠、無理に戻ってこいとは言わん。お前の最良の道を選んでこい」
叔が覚悟を決めたように言うと、
「まだ、だね」
と、瑠既は笑う。
「最良の道を取るために、俺は気がかりなことをなくしてくるんだよ。心置きなく、ここにいられるようにしたいのさ」
瑠既が本音を語るのは珍しい。昔、臆病者だった分、本音を隠す癖がある。そして、それをごまかそうとする癖も。
例えば、こんな風に──。
「あ~あ、こぉんなに長くいるのになぁ。伝わりにくいね、やっぱり。気持ちってものはさ」
ただし、ごまかせた――と思ったのは、本人だけのようだ。叔は感激したのか、涙を浮かべている。
「はは、悪い。つもり、だったな」
涙脆い親父を装う。いい年をした男が涙を落とすのは、恥だと思っているのだろう。
「行ってこい。待ってるぜ」
叔から拳が掲げられる。それに、
「おう」
と、瑠既も拳を返した。