【10】異例の事態
数日後、庾月が十六歳の誕生日を迎え、庾月は留と入籍した。盛大な挙式も懐迂の儀式も行われず、世間には庾月の相手が伏せられたまま『婚姻』という事実だけが後日公表された。
異例の事態に、世界中がどよめく。
これらは叔の意向によるものだ。懐迂の儀式を聞き、叔は危険だと感じただろう。庾月の結婚相手の公表に関しても同様。留だと知れたら否が応でも注目される。まして、ふたりは綺にいる。
大臣は叔の意向に従ったのだ。それが、結婚を認める条件だと叔から提示され、庾月に懇願されたから。
懐迂は長い間、庾月の憧れた儀式だった。
それでも、庾月が叔の思いを受け止めたのは、留と天秤にかけられたからに違いない。
ただ、留と叔の互いに対する思いの深さに、庾月が感銘を受けた──ということも、少なからず影響があっただろう。
叔の意向のはずなのに、庾月も留もふたりの意見だと言わんばかりに大臣に頭を下げた。庾月に頭を下げられたら──大臣に異論は言えなかった。
瑠既は前もって叔と色々と話していたのだろう。大臣が異論を唱えない姿を見ても、黙ったきりだった。
叔の前では、瑠既は帰城の前の感覚に戻るのか。貴族だと、叔と一線を引きたくないのか。
沙稀が他界してから、鴻嫗城の長兄という立場で支え続けてきた。ふたつの立場で揺れ、口を閉ざすしかなかったのかもしれない。
盛大な挙式も懐迂の儀式も行われず入籍したふたりの幸せは、傍から見れば理解に苦しむことだっただろう。
だが、ふたりにとっては間違いなく、これまでの人生で一番幸せな日だった。
颯唏は鴻嫗城の剣士が着る規定の稽古着を身に着け、轢と剣の稽古に励んでいた。それぞれ利き腕に十字のマークが付いている。轢は右、颯唏は左だ。
本来、颯唏は右利きだった。けれど、数多くの沙稀の遺品に合わせるように、次第に剣を左手で扱うようになっていた。
姉が結婚した日だというのに、『何も変わらない』一日。けれど、颯唏の心持ちはズシリと重い。
鴻嫗城の継承者が結婚をしたというのに、帰城さえしなかった。それを、誰もが容認した。颯唏はまだ九歳だ。正論を盾にして異論を唱えたところで、『子どもの意見』。継承者でもない。言わなくても颯唏の意見が通らないのは、目に見えている。言うだけ無駄で、誰もを困らせるだけだ。
昼になり、ふたりは羅凍の指示で止まる。現在、この場を仕切っているのは颯唏の護衛の羅凍だ。剣士たちとも気さくに話し、ともに料理をする羅凍がこの場になじむのは、早かった。
轢はそんな羅凍を遠目に見、動作が停止した颯唏を見る。浮かない表情だ。
「そんなに元気がないのは……大好きな『姉上』が行ってしまったから?」
轢はからかうように言う。
すると、颯唏の唇があからさまにとがった。
轢は眉を下げて笑う。
「何だよっ! 轢兄だって……いつかは婿に行くんだろ。行くんなら、早く行けばいい」
ムキになったような声に、轢は目を丸くする。
「俺、まだ年齢足らないよ?」
「あっそ」
視線を逸らした颯唏。一方の轢は、何かが引っかかる。
「ん? ……あ、そうだったんだ。ごめん、俺、気がつかなくて」
「何のこと?」
「そう思ってだんだ。俺が……」
「思ってないよ。轢兄と姉上が一緒になればよかったのになんて……」
ハッとして颯唏は言葉を止めた。昔から漠然と思っていたことを口にしてしまったと思ったのだろう。
兄と慕う人物が、本当に兄になればいいと願っていたのはいつからだったのか。颯唏自身が気づいていなかった思いが言葉に出て、颯唏は気まずそうにしている。
颯唏は、ゆっくりと顔を動かす。
轢は眉を下げて笑いをこらえていた。
視線が合い、どちらともなく騒ぎ出す。それは、兄弟がじゃれるそのもので、羅凍も剣士たちも朗らかな視線を送った。
数分が経ち、羅凍も剣士たちも、もう稽古場にはいない。今ごろ、料理当番の誰かが食事を作っている。
颯唏と轢は傭兵に属してはいない為、彼らの食事を口にすることも、料理をすることもない。鴻嫗城のシェフが用意する食事をとる。
昼食を用意されたふたりは、稽古場の近くであたたかな食事を口にする。
「で……轢兄、いつ結婚すんの?」
「そうだなぁ……予定ないなぁ」
どこかぼんやりしたまま轢は答える。『ああ、おいしいね』と料理を口にし、微笑む。この様子が、颯唏には適当に答えているように感じた。
「好きな人くらい、いるでしょ?」
颯唏は苛々を含め、頬張る。
「ん~……颯唏が独り立ちするまでは、安心して結婚できないかなぁ」
「何それっ」
照れるような颯唏の声に、轢は笑う。
「本当だよ。今は女の子に興味が持てなくて」
「アブナイ言い方だよ、轢兄……」
「ははっ、本当だね。でもさ、俺にはまだまだ『自分の家族』を持つ余裕がないんだ。さっきも言ったけど、年齢が足りないっていうのもあるけどね」
颯唏はふしぎそうに首を傾げる。
「まだ、沙稀様から教わったことを颯唏に伝えきれてない」
颯唏の手がピタリと止まる。水で流し込むと、恨めしそうな視線を轢に送る。
「そんなに父上を慕うなら……轢兄が父上の息子ならよかったのにね」
「沙稀様が聞いたら悲しむよ」
「知らないよ」
颯唏の言葉は素っ気ない。けれど、轢には颯唏の不機嫌な理由がわからない。ただただ、颯唏がかわいらしいと微笑む。
「俺は颯唏が産まれてくれて、感謝しているよ。……ほら、俺末っ子でしょ。それに上は姉上だけ。できれば、男兄弟がほしかったから」
颯唏はにこにこと話す轢にきょとんをする。だが、それは一瞬で、
「ふ~ん」
と、無関心に言ったが、照れ隠しにすぎないのは轢にお見通しだろう。
「冷める前に食べよ」
「そうだね」
ふたりのフォークが再び動き出す。
黙々と食べ始めた颯唏だが、数年前に轢から聞いた言葉がふと浮かぶ。
『このごろ、思うんだ。本当は……颯唏のことを、すごくかわいがりたかっただろうなって』
この言葉を聞いて、颯唏は妙に父が恋しくなり、号泣してしまっていた。そんな颯唏を轢は、何も聞かずに宥めてくれた。
「ねぇ……」
颯唏は呟く。ずっと誰かに聞きたいと思っていたことを言葉にする決意して。
「父上の命日は……本当に、俺の誕生日と違ったのかな……」




