【5】誓い──君の名を(2)
「もちろん。またのお越しをお待ちしております」
留は営業トークにも関わらず、庾月は満足そうに綺を出る。一言でも話せたことがうれしい。
庾月と羅凍が出ていったあと、留に叔がボソリと言う。
「あの娘さんと旦那は、あの部屋固定な」
「えっ?」
留はわけがわからず叔を見つめるが、だんまりな叔に圧で負ける。
「わかった」
と理由を聞かないまま返事をし、忘れないようにと帳簿に印を付ける。──こんなことは、初めてだった。
それから、庾月は克主研究所の帰りには必ず綺に寄るようになる。結果的に定期的に綺を訪れることとなった。
「何時に終わるのかしら? 少しだけ、お話できないかしら?」
食堂で町娘を装う庾月は、ついに留を去り際に捕まえ、ねだる。
「いや、遅いから……」
無難に断るわけではなく、留は事実を言っただけ。
だが、何度も見つめるだけだった庾月は引かない。
「じゃあ、営業の最後に貴男にお茶を入れてほしいとお願いしたら?」
これには、留は断れず、
「お持ちします」
と、返答し、強引な約束は成立する。
庾月は必死なのだ。
その気持ちも、羅凍にはわかる。
数ヶ月も留を視線で追う庾月を見てきた。願いが叶えばいいと、護衛らしからぬ感情を持っている。
ただし、護衛としての任を放棄するわけにもいかない。
食堂を出たあと、羅凍は断定系で言う。
「俺も立ち会いますよ。さすがに男性とふたりきりにするわけにはいかないので」
「あら、羅凍とふたりきりでも『男性とふたりきり』よ?」
「年齢差というものが……」
「そこは、『立場が』って言わないのね」
コロコロと庾月が笑って、羅凍は苦笑いする。
「本当、羅凍はおもしろいわ」
楽しそうに笑い続ける庾月に、羅凍はいくつも言葉が浮かんでは消えた。
一度、部屋の前で別れ、就寝の身支度を互いに整え、庾月の部屋で合流する。部屋に向かうときの会話を思い出したのか、庾月はまたコロコロと笑い始めた。
「あの……庾月様からしたら、俺はお父上と同じくらいの年齢であって……」
「やっぱり、年齢差を羅凍は言うのね」
間を埋めようとした会話で、更に庾月が笑う。そうこう言っている間に、緋倉の店の話になり、時間を忘れて会話をする。綺を出たら話せない会話。話したいことは山ほどあるらしい。
そうして、数時間が経ったころ、ノックが鳴る。時間を見れば、留が言ったように相当遅い。
「お茶をお持ちしました」
留の言葉に庾月が飛び上がって扉を開ける。
「どうぞ」
羅凍が席を立ち、留とすれ違って扉の前に立つ。
「一緒に飲みましょ」
ふたつ持ってきた湯飲みをテーブルに置く留は驚き、動きが止まった。
「え……でも……」
「いいのよ。さぁ、座って!」
戸惑い羅凍を見る留に、羅凍は『どうぞ』と手を差し出す。
そうされては、留は座らないわけにいかない。事情が呑み込めないまま、勧められるがまま留は持ってきたお茶に手を伸ばす。
「やっと、ゆっくり話せるわね。私は庾月というの。ねぇ、あなたのことを教えて?」
「俺の……こと?」
「そう、例えば……ここのご主人のこと、『じぃちゃん』って呼んでいるでしょう? 『お父さん』じゃないの?」
「ああ……それは……」
『身の上話になるけど』と前置きをして、留は両親がいないことを話す。庾月は真剣に留の話を聞き、
「身の上話でいいの。もっと聞かせて」
と、話を促す。
こんなことも繰り返されるようになり、いつしか庾月は羅凍に告げる。
「羅凍の心配するようなことが起こる人ではないわ。ありがとう」
庾月が言えば、羅凍は下がるしかない。
想いを寄せているのが男の方なら断固として立ち去れないが、想いを寄せたのは庾月だ。姫を守るどころか、姫の命令には従わなければならない。
大臣に知られたら怒られるだろうと思いつつも、沙稀が生きていたら何というかと考える羅凍も羅凍だ。
きっと、羅凍が何を言っても、愛娘が願うことなら沙稀は縦に振れない首であろうが、縦に動かすのだ。誰が何を言おうが、沙稀なら愛娘の願いを叶えるだろう。
こうして、羅凍は同席しなくなる。
庾月は十四歳になった。
留は二十一歳だと言う。──年齢差も年齢差。あと数年経てばわからないが、現状で何かが起こることもまずないだろう。
恋は盲目と言う。
いつ始まるかがわらかないのが恋。
庾月の恋がいつ発展するのか、しないのか。まだ、誰も知らない。




