【A-5】(1)
恭良には夢があった。
それは、中庭で思い描いた光景。
『お花に囲まれたあの人は、もっときれいだろうな』と、夢見た。
見とれていた姿が中庭から見えなくなった日から、叶わないと思っていた。しかし、それは前触れなく叶う。
護衛が正式に変わってから二ヶ月経ったころ、恭良は沙稀と一緒に中庭に来る機会を偶然得た。
恭良は浮かれ、一直線に中央まで走る。
──振り向けば、花に囲まれた沙稀がいる。
そんな想像をし、今までに感じたことのない高揚感に包まれながら振り向く。
──想像した通り。……ううん、想像以上。やっぱり、お花に囲まれた沙稀はきれい。うれしいなぁ、こんな風に沙稀を見られるなんて。
恭良は何とも満足そうな微笑みを浮かべ、夢心地だ。
沙稀は淡々と歩いてくる。
ふと、母の好きだった花に気づき、疑問が浮かんだ。沙稀に駆け寄り、弾むように聞く。
「ねぇ、沙稀の好きなお花はないの?」
「え?」
目を見開いた沙稀が戸惑う。恭良はまた新しい表情を見られたとうれしく、顔をほころばす。
「お花、嫌い?」
「あ、いいえ」
スッと沙稀の視線が離れた。
恭良は沙稀がどんな花を好きなのかと胸が膨らむ。
「教えて」
つい、急かすような言葉が口から出る。
──ああ、私、今が一番幸せだ。
沙稀が目の前にいて会話をし、恭良に応えるようとしてくれている。それだけのことに恭良は感極まる。
一方の沙稀はある場所で視線を固定し、少し離れた花を指さす。
「この花です」
「あ~、きれい」
ちいさな白い花が集まっているそれは、母が好きだと聞いていた花。恭良は駆けていき、初めて見るかのようにしゃがんで見入る。
今までも、何回も何回も見てきた花だが、『沙稀の好きな花』として見るのは初めてだ。意識の仕方が違うだけなのに、本当に初めて見るように恭良には感じた。
ジッと見ていると、なぜかとてもドキドキとしてきた。うれしいが、恥ずかしい。沙稀のことをひとつ、ひとつと知る度に、過去が塗りつぶされ上書きされていく。
──天にも昇る気持ちって、こんなかな。……天国って、こんな感じなのかな。
羽が生え空を飛び、光を浴びているような感覚だ。
心地よく、あたたかいものに包まれているかのような錯覚に陥る。フワフワとした幸福感。
恭良が幸せに満たされ、浸っていると、背後から微かに金属音が聞こえた。
カチャリとドアノブを回したような、コップをソーサーに戻したときのような──けれど、恭良は初めて聞いた音だ。
ちいさな音だった。けれど、間近で聞こえ、誰が立てた音なのかと見当が付いた。
ここには、恭良と沙稀しかいない。
恭良は地に足をつけていて、羽は生えていないと現実に戻る。何の音かと理解をして、状況を想像する。
──そっか。私、今なら天国に行ってもいいんだ。
どのくらい昔に憧れていたことだったか、恭良には覚えがない。それよりも、しがみ付くしかなかった生への執着の方が記憶のどこかに残っている。
恭良は誰かに呼ばれ、返事をするかのように立ち上がった。
「いいよ」
何も思い残すことなんてない。満足だった。沙稀に会ってから、沙稀の名を知ってから、沙稀をこの中庭から見たときから──ずっと、幸せが更新されていく毎日だった。
感謝しかない。沙稀に出会えた。きれいな姿もまた見られた。
たくさん話もできた。
──私のせいで、沙稀は。
壊れてしまうのかもしれない。壊してしまうのかもしれない。
そう思うだけで、恐ろしい。
──私はまだ壊していないよね。でも、私では救えないの。
壊すしかできないと知っている。理屈は知らないが、結果だけで充分だ。だから、沙稀を目の前にしたとき、別れを選んで告げた。
会いたいと願った人に会え、願いが叶ったと、それ以上の願いを捨てた。
会いたいと思っても会いに行かなかった。
それでも巡り合い、一緒に何ヶ月も過ごせた。
もう充分だと、今度こそさようならだと再び別れを告げる。
「何かがあってそう思ったんでしょ? 沙稀の気持ちが済んで、楽になるなら……いいよ」
沙稀ならいいと、覚悟を決めた。
──沙稀になら……どんなに無残な姿になっても、きっと苦しくない。痛くもない。よかったって、思える。……天国に行けなかった、あのときの続きに戻るだけ。
ザザザと砂嵐が混ざる光景は、雑踏の中で倒れたときの姿。恭良ではない、恭良の一部。恭良が知らないはずの、遠い遠い過去の記憶。
遠い遠い、初めてふたりが会ったときのもの。
──でも、きっと今は天国へ行ける。
天国に行けば、浄化を受けられると大きく息を吸う。
──やっと、終れる。
初めて会ってから、どのくらいの月日が流れたのか。恭良には知る由のないところだが、わからなくなるくらいの時間が流れているとどこかでは知っている。
──あなたに、自由を返せる。
幸せで満たされていた気持ちに、スッと悲しみが混ざってきた。きっと、金輪際会えないと涙があふれそうになる。
──悲しくないよ。もう二度と会えなくても。
強がる。強がらなければ、永遠の別れを迎えられない。しっかりと別れられるようにと、理由をいくつも重ねる。
──これしか、あなたを救えない。
──あなたを救えるなら、私はうれしい。
──あなたがきれいなままで、よかった。
ありがとうと、感謝をする。瞳を閉じ、心をおだやかにしようと努める。永い間、一緒にいた気がしていた。ずっとそばにいてくれていた気がしていた。
幸せと悲しさと感謝が入り混じっているけれど、沙稀の手で生を終わらせることができるなら、この上なく幸せだとその一瞬を待ち望んだ。
けれど。
カラン
何かが落ちたような音がして、まぶたが動いた。
ゆっくりと好きな景色が見えた。
──生きている……。
ドクンと心臓が跳ねた。
急いで振り返ると、そこには立ち尽くす沙稀の姿。
「沙稀!」
力無く立ち尽くす沙稀が、今にも崩れていきそうに見えた。恭良は思わず駆け寄る。
「沙稀、大丈夫?」
沙稀の瞳からは涙があふれ出た。それはそれは悲しそうに、体が次第にガクガクと震え出す。
恭良はその姿を見て、半狂乱する。
──私、壊したくなかったのに。壊しちゃったの?
オロオロとする恭良に対し、沙稀は膝をついた。まるで体がちいさくなってしまったかのように体を丸め、頭は地面につくほどだ。
「以前から申し上げていた通り、お好きに処分なさってください。ですが……ですが、もしお許しくださるのであれば! 今度こそ、俺を鴻嫗城の姫に仕えさせてください」
恭良は呆然と沙稀を眺める。
沙稀の言っている意味がまったくわからなかった。
ただ、望んでいいのなら、望みたいことがひとつだけはっきりとある。その想いは口をついて出る。
「沙稀、仕える……と言われても、それより私は今のままそばにいてくれればうれしいだけだよ」
そばにいてほしいと望んでもいいのかと、恭良は迷う。




