【A-2】
二年が経ち、恭良はひとりの少女と出会う。
少女は、同じクロッカスの髪の毛と瞳だった。
恭良は淡い期待を抱く。
同じ色彩を持つ人物と初めて顔を合わせたから。──けれど、期待はすぐに壊れ始める。
「お初にお目にかかります、恭良様。私は、凪裟と申します」
両手を握り、しきりなく動かす様子は怯えているように見えた。
──私が、恐いのかしら。
そう思いながらも、笑顔を浮かべる。恭良は姫という『人形』を存分に演じる。
「初めまして。恭良です」
恭良がペコリと頭を下げれば、凪裟をまとっている空気がパッと明るくなった。
それは、安心だったのだろう。
凪裟の雰囲気が一変し、今度は恭良の心が曇る。
──私よりも『姫』らしい。
控え目に笑う凪裟を見て、恭良はぼんやりそんなことを思った。
その夜、凪裟が鴻嫗城に来た経緯を大臣から恭良は聞く。
「凪裟様は先日、落魄した城の唯一の生存者です。ご両親と妹様をお亡くしになっています」
恭良は凪裟の事情を聞いたのに、『姫』らしいと感じた理由だけを拾って納得した。そうして、壊れ始めていた期待が砕け、悲しむ。
──あの人には、今度……いつ会えるのかしら。
壊れていない期待を恭良は思い浮かべる。
「凪裟様は本日より、この城で生活していかれます」
『遠い親族にあたるので』と大臣は付け加え、恭良はそういうものかと異を唱えない。ただ、これまで思ってもみなかった考えが浮かぶ。
──あの人もクロッカスの髪の毛だった。もしかしてあの人も……遠くても親族にあたる人なのかしら。
「辛い境遇に遭われた方ですが、恭良様まで……心を痛めすぎないでくださいね」
「ありがとう」
笑顔を失っていた恭良に大臣は声をかけたが、恭良からすれば思考を遮られたようなもの。
反射的に大臣のやさしさを感じ返事をしたが、言葉は意味を置かずに恭良の耳を通過していた。
ただ、名を呼ばれてからの言葉は微かに残っていて、恭良は疑問に思う。
──何が私の『心を痛める』の? 凪裟のこと? 私は凪裟を羨ましいとしか思っていないのに……大臣は何を言いたかったのかしら。
大臣との会話は終始的を得ずちぐはぐなままだったが、どちらも気づかずに別れる。
恭良は布団に入ってからも会いたいと願う人物を浮かべ、眠りについた。
翌日から凪裟は、恭良のところへ頻繁に顔を出す。朗らかでよく笑う凪裟を見て、恭良は何となく妹の代わりになっている気がした。
恭良は憐れむ。
──寂しいんだ……。悲しすぎて、ひとりでいられないんだ……。
城が落魄したと大臣は言っていた。両親と妹が亡くなったと言っていたが、どういう状況下で凪裟だけが生き残ったのかは、言わなかった。
恭良も『姫』だ。それも、最高位の。身内が自身以外に亡くなったのなら、『姫』としての末路は知っている。
『姫』は『道具』に成り得る。制圧した『証』として、命を継ぐ『物』として『道具』として利用される可能性が高い。
どんな危険が凪裟の身に起こったのかと聞くだけ野暮だ。現在、生きてこの城にいるのだから、救出されたということ。
いつ、どのくらい時間が経ってから救出されたのかはわからない。もしかしたら、何もされずに済んだのかもしれない。
「ねぇ、私って妹さんに似てる?」
「え?」
途端に、凪裟の表情が変わった。
「ご、ごめんなさい。私には……妹は、いないん……です」
水を吸い込んだように凪裟は言葉を詰まらせる。その様子に恭良は呆然とし、急に笑う。
「あれ? ごめんなさい。私……勘違いしちゃった」
恭良は失敗を誤魔化すように言った。
すると、凪裟にも笑顔が戻る。──それを見て、恭良は凪裟の体験した光景を想像し、凪裟の傷をわからなかったと内心を反省した。やさしい両親と、仲のよかった妹のいる笑顔が絶えない幸せな生活を想像して羨んだと、笑顔の裏側で謝る。
恭良の心情を凪裟は察しないかのように、楽しそうに話し続けている。
──ああ、凪裟は、こうしてこれから頑張って生きていこうとしていたのね。
凪裟も心からは笑ってなどいない。
心から楽しんでもいない。
ただ、そうしようと演じているだけだと恭良は理解する。
──私も、凪裟となら『生きて』いけるかな……。
恭良も似ている。心から笑ってなどいないし、心から楽しんでもいない。ただ、そうしようと演じているだけだ。
フワッと恭良は心が軽くなった気がした。
それからふたりは一緒に歩き、一緒に学び、一緒に食事をするようになる。
──今度は私からも凪裟に会いに行こう。
食事をしながら、恭良はぼんやりと思う。
自然と笑えたのは、何年ぶりだっただろう。物心がついてからは初めてだったかもしれない。恭良が抱いた思いは、願いにも憧れにも似た感情だった。
初めての友達ができると思っていた。
こうして、恭良と凪裟はふたりでよく過ごすようになった。
同じ色の髪の毛と瞳。
同じように学び、楽しみ笑う姉妹のような──いや、恭良にとっては鏡のような存在だったのかもしれない。
凪裟といる時間は楽しかった。幸せだった。
けれど、それは長くは続かなかった。
その日も『繰り返す一日』のようにおだやかな日だった。恭良は凪裟と昼食に向かうところだった。
二階を歩いていたが、ふと凪裟が一階に視線を投げる。つられて恭良も一階を見下ろす。
そこには何人も人がいたが、ある人物に目を奪われた。傭兵たちの集団だ。恭良に顔見知りはいない。だが、目を奪われた人物は、なぜか知っている気がした。
そんなとき、凪裟の声が聞こえる。
「あ、沙稀だ」
ビクリと恭良の体が震えた。
どうしてわからなかったのかと恭良に衝撃が走る。髪の毛がクロッカスよりも青味のない色だ。花畑で見たクロッカスではなく、それよりも赤みがかった──リラの色彩。だが、中庭できれいだと眺めていた人物だったと気づく。
「あの人、『沙稀』と言うの?」
半狂乱になりそうな感情を抑える。どうして凪裟があの人の名を知っているかと、恭良は混乱を覚えた。
一方の凪裟は恥ずかしそうに口を開く。
「ええ。実は……この間城内で迷ってしまって。そうしたら、彼が」
一度、恭良に向いた凪裟の視線が、流れるように戻る。凪裟の視線を追い、辿り着いた先にいたのは恭良が中庭で会いたいと願った人物だった。
──『彼』……。
恭良はジッと見つめる。『彼』の服装は、剣士たちが着ているのと同じく稽古着。
恭良はあの人を『女の子』だと思っていたが、立ち振る舞いや凪裟の話を聞き、『彼』だと認識した。
白の上下に、十字架が左側にある。
──左利きなんだ。
恭良は『姫』としての知識で利き手を知る。
ぼんやりと姿を眺めながら、クロッカスの髪の毛を見ていたのは見間違えではなかったはずなのにとふしぎに思う。
──どうしたんだろう。クロッカスだったのに。……何か隠したいことでも、あるのかしら。
貴族は身分や出身を隠すために、特徴である色彩を変えることがあると聞く。けれど──。
恭良にはわからない。
声も知らないのだ。
動いているのも、初めて見た。
事情など、想像も付かない。
ザワザワと恭良の胸が騒ぐ。
──何よりも、ずっと待っていたのに。それなのに……。
凪裟はすでに話していて、名まで聞いていたと嫉妬する。
──ずっと会いたかったのは、私なのに。
「恭良様?」
凪裟に呼ばれ、恭良は走り出す。
頭ではわかっていた。凪裟が悪いわけではないと。
それでも、どうしようもなく悲しかった。
悲しかったが、理由は恭良には理解できなかった。どうして泣いているのかも。




