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【16】あの日(1)

 思い出すと、苦しい記憶に溺れそうになる。それでも、アヤに来る前の記憶は断片的だ。アヤに来たとき、言葉をロクに話せたかも覚えていない。いや、ヨシに名を聞かれて、『』を聞き取られなかったのだから、まともに話せていなかったのかもしれない。文字は名くらいしか書けなかった。──生家にいたころは色んなことを学び、物覚えのいい双子の弟に付いていけるくらいでいられたのに。


 アヤに身を寄せてから十一年が経った。十一年前、アヤで生活するようになってから数週間後、長かった髪をバッサリと切った。過去との決別のために。

 髪を切ってから、生家のことは思い出さないようにしてきた。思い出せば、帰りたくなる。恋しくなる。だが、帰れない。こんな体では──そう思って、生家との決別の証となる手段を選んだ。生き直すために。

 それでも、瑠既リュウキには忘れられない夢がある。生家への未練──いや、心残りだ。


 いつしか、眠りに落ちていきながら、瑠既リュウキは思い出さないようにしていた過去を思い出す。──あれは悪夢だ。そう、悪夢であれば、夢で終わっていたらよかったと何度思ったことか。

 あれは、七歳のころ。忘れもしない、十八年前のあの日のこと。




「……だっ。 やめろよ、離せっ! ……瑠既リュウキ!」

 瑠既リュウキはハッと目が覚めた。静かな部屋の中、時計へと目を向ける。深夜だ。体が重くて、だるくて、寒気がする。己の体なのに、違うような違和感がある。

 夢の中で聞こえた叫び声は、必死に助けを求める声だった。そのせいなのか、嫌な予感がした。

 鼓動が強く打つ。──瑠既リュウキは深呼吸をすると、重い体を無理に起こし、ゆっくりとベッドから出た。

 体の具合がどうもおかしい。かと言って、どこかが痛むというわけではない。例えようがないが、とにかく体中が《《変だ》》った。


 夢の中で叫ぶ声は、双子の弟の声だった。

 すぐに会いたい。──他に頼れる人物がいない瑠既リュウキは、双子の弟の部屋に行こうと決めた。

 廊下へと出る。ここもまた静かだ。微かな明るさがまた、気味悪さに輪をかける。夜は苦手だ。怖いと思いながらも、会いたいと願う人物を浮かべる。そうして勇気を振り絞り、すぐとなりの弟の部屋へと歩く。


 音を鳴らさないように、静かに扉を開ける。

「……?」

 夢の恐怖のせいで、声はまともに出ない。体もかすかに震えている。

 扉を静かに閉め、遠目からベッドを見てみたが弟の姿は確認できなかった。心細くてまだちいさな体は、うずくまりそうになる。

 もしかしたら、ここに弟はいないかもしれない。そう思いながらも一歩ずつベッドへと近づく。胸の音が聞こえそうなほど、鼓動は強く打った。

 怖かった。もし、本当にいなかったらと思うと。足が止まってしまいそうになる。

 孤独に打ち勝つ強さは、瑠既リュウキにはない。昔からいつも弟に頼ってばかりだった。孤独という強敵も、弟がいればかんたんに打ち勝てるのに。双子の弟さえ、いてくれたなら。

 双子なのに、兄なのに。情けなさを握り締め、瑠既リュウキは足を何とか進める。

「大丈夫」

 己に言い聞かせてベッドに近づいた。ベッドはきれいに整っている。

「誰も……いない?」

 ドクン

 強い鼓動が胸の中で響く。

 鼓動の強さに、こわさに負けそうになる。それを振り払うように、瑠既リュウキは勢いよく布団をはいだ。

 フワッ

 整えられたシーツが、弧を描くように広がる。


 時間は静寂を連れてきた。闇と無音がじわじわ押し寄せる。

「誰もいなかった……」

 ちいさな声は消えていく。すっかり縮まってしまった心。孤独がちいさな体を闇に包んでしまいそうだった。

 体験したことのない孤独だ。

 闇だ。

 静寂だ。

 恐怖だ。

 体の違和感は、残ったまま。

「一体、何が……」

 弟のいないベッドを見つめる。答えは返ってこない。あるのは、永遠に続きそうな時間。止まってしまったようなそれは、途方もない感覚を味わわせる。一秒が長い。

 何秒が過ぎようとも体の違和感は消えないままだ。目覚めてから、ずっと。

 瑠既リュウキの手からは、スルスルと布団が落ちていった。誰もいないベッドを見つめ、後退アトズサる。

 そして、夢を交錯させながら、追い詰める。自分で自分を。


 ──あの助けを求める声は、確かに聞こえたのではないのか。

 双子の弟は、どこへ行ったのか。いつも一緒にいた弟が、自分を置いてどこかに行くなど考えられない。

 ──助けなければ。見つけなくては。俺が。


 瑠既リュウキは部屋を飛び出していた。




 周囲を見渡しながらゆっくりと歩いた。消えない体の重さは、不安を強くする。

 母を思い出した。母は、まだ幼い双子を残して数ヶ月前に亡くなってしまった。

 それからだった。何かが起こっているとしか思えない日々が続いるのは。

 瑠既リュウキは怯え、弟から離れなかった。数ヶ月経っても、身が危険にさらされることはなく、

「大丈夫だよ」

 と、弟の言葉を信じて、離れて自分の部屋で寝たこの日。そんな日に限って、いや、見計らったかのように──異変は起きた。




「はぁ……っ、はぁっ」

 生来、瑠既リュウキは体が弱い。そんな瑠既リュウキにとって、弟を捜し回るのは負担だ。体の異変を感じたまま、胸の苦しさを覚えていた。呼吸が上がり、苦しい。十字路の手前で、瑠既リュウキは足を止めた。

 ふと、左側から人影が見えた。咄嗟に体を左側の壁につける。

 絶対に見つかりたくない人物がいる。苦しさを我慢し、気配を消した。

 弟を見つけ出し、助けなくては──瑠既リュウキは恐怖に負けないように、弟だけを想うようにする。

 ただ、この先には進まなくてはならない。おそるおそる影の持ち主をうかがう。ゆっくりと見えた横顔。それに、奇声を上げそうになる。──今、近くにいる人物。その人物は、まさに見つかってはいけない人物だ。

 その人物は、約一年前にやってきた男だ。母と結婚する男だと、紹介を受けていた。ただ、瑠既リュウキはこの男が嫌いだった。きれいな顔つきの父とは正反対で、声も下品に聞こえた。瑠既リュウキだけではない。弟もだ。大好きな母をこんな男にとられてたまるかと、双子は反発心を抱いていた。

 この男も男で、母の血を継ぐ双子のことをよく思っていないようだった。忌々しい視線しか感じたことはない。


 今、この男に見つかれば殺される──瑠既リュウキを支配した直感は、緊張を走らせる。身を固くし、息を殺した。

 すると、男は瑠既リュウキに気づかず、影は左に曲がっていった。そっとのぞくと、背が見えた。瑠既リュウキはその背を凝視し、ゆっくりと壁を伝う。足音を立てずに、対角線上へと曲がる。

 曲がり切ると思ったそのとき、ふと、男は首をグルンと後方に向けた。

 ──見つかった。

 声こそ出さなかったが、身動きが取れなくなった。だからと言って、男から目も離せずにいた。

 ──どうしよう、どうしよう。

 気持ちばかりが焦り、暑くもないのにじんわりと汗が噴き出す。

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