表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
264/409

【57】ずっと望んでいたこと(3)

 落ち着きの含むやさしい声なのに、恭良ユキヅキの瞳には涙がたっぷりとたまっている。尚且つ、恭良ユキヅキの表情は沈み、不満が浮き出ている。けれど、やっと起きた沙稀イサキの気持ちを汲んでか、口を一文字にしながら首肯した。

瑠既リュウキ

 呼ばれると思っていなかったのか、瑠既リュウキはハッとしたように沙稀イサキに視線を送る。

「大臣が出るまで……恭良ユキヅキを頼む」

『ヘイヘイ』と瑠既リュウキは仕方なさそうに返事をし、

「行くぞ」

 と、恭良ユキヅキに声をかけ扉に向かう。

 恭良ユキヅキが素直に付いていき、ふたりは退室した。

 すると、沙稀イサキは残る大臣を見る。

「俺は、どのくらい眠っていた?」

「一週間です」

「そうか」

 沙稀イサキは重い声を出す。

庾月ユツキの誕生日は……過ぎたんだな……」

 三回目の誕生日を祝えなかったと嘆く沙稀イサキに対し、大臣は鬱憤ウップンを口にする。

「医師から前兆があったはずだと言われました」

 責めるような冷たい声だ。

 沙稀イサキは答えようとはしない。沈黙が流れ、大臣が痺れを切らす。

「どうなのですか?」

「あったとして、それが?」

「なぜ言わなかったのですか!」

「言って、診断を受ければ改善していたと言いたいのか?」

「どうにか……できたかも、しれません……」

 悔しそうな大臣の声に、

「そんなものは気休めだ」

 と、沙稀イサキは言い放つ。

 大臣は大きく息を吸い、感情を抑える。

「意識が戻り、安心しました」

「安心?」

「もう……意識が戻らないかもしれないと、言われていましたので」

 ふと、沙稀イサキは皮肉だと言いたげに笑った。

「その方がよかったかもしれないな」

「何てことを……」

「動かない」

 ズシリと空気が重くなる。

 大臣の瞳が揺れた。

「俺は、普通に話せているか?」

 よく見れば、沙稀イサキは苦しそうにも見える。

 大臣は電話へと走り出す。

「診てもらいましょう。一時的なものかもしれません」

「大臣」

 受話器を上げた大臣が沙稀イサキに振り返る。

「診察に立ち会う気か? もし……」

「貴男の弱気な発言は聞きたくありません。私だけが立ち会います。すぐに医師を呼びます」

 内線の番号を押した大臣は、早口で医師に報告を始める。


 沙稀イサキの意識が戻ったことを。

 会話ができることを。

 体が、思うように動かせないことを。


 受話器を置いても、沙稀イサキが言おうとした続きを大臣は聞こうとしない。

 大臣には予測が付いているのだ。沙稀イサキが何を言おうとしていたか。それは到底、大臣には受け止めきれない言葉だ。


 五分ほどで医師が入室し、診察が始まる。

「どうですか?」

「わからない」

 医師の問いに、沙稀イサキは淡々と返す。

「では、これは?」

「何も」

「これはどうですか?」

「たぶん、痛い。……何かを微かには感じる」

「首は動くのですね?」

「ああ、何とか」

 医師は一礼をし、後退する。

「左側は痛みをわずかに感触として認識できるようです。動くのは首から上……ですが、やっと動かしていらっしゃるのでしょう。その他は……感覚もなく、まったく動かないようです」

 控えめな声で話した医師に、食らい付いたのは大臣。

「回復の見込みは?」

 医師は視線を下げて応答する。

「難しいでしょう。意識が戻ったのは奇跡に等しいですし、もし、再び失ってしまったときは……」

「ありがとうございました」

 医師の言葉を遮ったのは沙稀イサキだ。

「いいえ、恐れ多いです。それでは、定期的な診察にきますので、よろしくお願いいたします」

「ああ、頼む」

 医師は会釈をし、退室する。


 扉が閉まり、沙稀イサキが口を開く。

「大臣、頼みがある」

「はい」

恭良ユキヅキと……もう会いたくない」

恭良ユキヅキ様とのお約束を、違えるおつもりですか?」

「こんな姿を見せたくない」

 大臣が不服そうな顔をする。

「意識があるうちは医師の判断に従う。ただ、また俺の意識がなくなったらもう……延命はしてほしくない」

「ご自分で伝えてください」

 聞きたくなかったというように、大臣は突き放す。

「私は、貴男を誰かに頼るような男に育てた覚えはないので」

 冷たい言葉を残し、大臣は部屋を出ていく。


 大臣が恭良ユキヅキを呼ぶのは明白だ。けれど、沙稀イサキがいくら落胆したところで、回避する術はない。

 案の定、一分も経たないうちに恭良ユキヅキが姿を現す。

「私の番……でしょ?」

 沙稀イサキは観念したのだろう。できる限りの笑みを浮かべているのだろうが、無理が混ざっている。

 一方の恭良ユキヅキは、恥ずかしそうに沙稀イサキに近づく。照れながら沙稀イサキの左手を両手で包み込む。

「久しぶりにお話できるの、うれしい」

恭良ユキヅキ

 うれしそうな恭良ユキヅキと、沙稀イサキの表情は対照的だ。そんな温度差があっても、恭良ユキヅキは『なあに?』と首を傾げ、ゆらりと髪を揺らす。

 沙稀イサキが見つめ、笑みを消失していっても、恭良ユキヅキの笑みは消えない。待ち望んでいたように、沙稀イサキの言葉を待つ。

 発言に抵抗があるかのように口を開いた沙稀イサキだが、その口調ははっきりとしていた。

「もう、来ないでくれないか」

 恭良ユキヅキの表情は驚きに変わり、今度は曇り、瞳が潤んでいく。

「いや」

「俺はもう、首から上しか動かせない」

「だから?」

「こんな俺を……見ていてほしくない」

 視線を逸らした沙稀イサキの頬に、恭良ユキヅキはそっと触れる。

沙稀イサキが体を動かせないのなら、私は喜んで何でもする」

 沙稀イサキを見つめ、恭良ユキヅキは続ける。

「私、ひどいかもしれない。でも、うれしいの。安心しているの。だって、これで沙稀イサキはずっと私から離れないでいてくれる。やっと……」

 恭良ユキヅキは煌めいた瞳からポツリと一粒の涙を落とした。

「やっと、ひとつになれるのね。私たち」

 幸せそうに恭良ユキヅキは微笑み、唇を重ねる。

 時間にすれば、一秒か二秒。

 唇を離した恭良ユキヅキは、懇願するように言う。

「今が私の、至極の幸せ……だから、私から奪わないで」

 半ば呆然とした沙稀イサキは、一度息を呑み、震える声を出す。

恭良ユキヅキ、こんな俺でも……まだ、一緒にいてくれるの?」

「もちろん。ようやく沙稀イサキを独り占めできるの。それなのに手放すなんて……私は、そんなこと絶対にしないわ」

 満足そうに恭良ユキヅキは微笑み、沙稀イサキの胸に顔を埋める。

沙稀イサキ。これでずっと、ず~っと一緒ね」

 恭良ユキヅキは幸福に満ちているが、今度は反対に沙稀イサキが瞳に涙をためている。

 震えに顔を上げた恭良ユキヅキ沙稀イサキの表情に首を傾げる。そうして沙稀イサキの涙を拭き、再び唇を合わせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ