【55】訃報(2)
「はい」
ギュッと瑠既の手をつかんだ誄は不安なのか、困惑なのか──答えはわからないが、瑠既は聞かないことにした。
「こちらです」
聖水がスッと鍵を出し、誄に手渡した。──本来なら、案内した者はここで礼をして下がるだろう。けれど、聖水は礼をせず、ジッと誄を見る。
「貴女が……誄姫?」
「はい。私は誄ですが……」
誄は聖水と忒畝の関係性を聞こうとしたのかもしれない。だが、聞けなかったのは、聖水の表情が厳しいものに一変したからだ。
「私は……忒畝と、共同研究をしていた者です」
たくさんの涙が瞳にたまった。その泉に誄は落ちたのだろう。急に視線を伏せ、道中に口にしなかった思いが膨らむ。
「失礼しました」
聖水が深く一礼をし、足早に姿を消していく。
「家族愛……って感じでもなさそうな……」
「そうですね」
研究所の一員ならば、まして共同研究者であれば『敬愛』もあるだろうに、誄には敵視だと伝わったのだろう。
瑠既も感じたそれを言ったところで、何にもならない。歓迎されないのは、重々承知で来た。瑠既には、誄とともにそれらを受け止めるしかないのだ。
一方、充忠から鍵を受け取った沙稀は、悲しみを露わにする。
「まさか、充忠とこんな風に再会するなんて」
「だな」
短く返事をした充忠だったが、瞬時に恭良の前だったと気づいたのか。表情が強張る。
「悪ぃ……じゃなくて、えと……」
動揺する充忠に、
「いいよ、言葉遣いを変えようとしなくて」
と、沙稀は言う。以前、充忠と会ったときとは立場が大いに変わったと認識しているのだ。
沙稀はしんみりと悼む。
「忒畝も、そういう人だったでしょう」
克主研究所のほぼ中央で葬儀は開催される。
梛懦乙大陸からの会葬者が最後なのか、すでに大勢が参列している。それだけ忒畝の人望が厚かったということだ。羅凍たちもいるはずだが、沙稀たちのところからは姿を確認できない。
雑多な場所で沙稀は警戒心を強める。人混みでは、誰もが人影に隠れることが容易なのだ。
恭良の懐妊はまだ公表していない。
王位は恭良ではなく沙稀にある。
つまり、何者かが狙うとしたら、今は沙稀が標的。沙稀にとっては好都合なことだが、そもそも沙稀に戦いを挑もうとする輩は皆無だろう。けれど、沙稀にそれらの意識はなく、警戒をする。
一方の瑠既は、沙稀が緊迫感を漂わせているとは思いもせず、警戒心もまるでない。花園かのような多くの花々、それをやさしく灯すあかり、中央には初めて会ったときに倭穏に見せていたような笑顔の忒畝の写真を見て、表情が曇る。
実感がなかった──恐らく、参列した者の多くがそうだ。この場に入り、花々とあかりで異世界に旅立ったのだと実感していくのだろう。
定刻になり、充忠が姿を現す。
「四十七代目君主代理の充忠です。本日はご多用の中、参列いただきまして心より御礼申し上げます。忒畝もさぞかし喜んでいることと存じます。お知らせいたしました通り、四十七代目君主、忒畝は死去いたしました。本来であればこの場を持ちまして代理の私が四十八代目を引き継ぎ、そのあいさつも兼ねさせていただくべきかと存じますが……克主研究所はこれよりしばらくの君主不在を宣言いたします。尽きましては、私、充忠は引き続き四十七代目君主代理として務めさせていただきますこと、予めご承知おきくださいますようお願い申し上げます」
一瞬のざわめき。けれど、続く言葉に会場は静まり返る。
「これは、君主が生前の間に許可を得ております。尚、四十八代目君主は、私が責任を持って決定いたします。君主代行処理はこれまで通り、同じく代理権を持つ四十七代目君主助手の馨民がいたします。今後ともよろしくお願いいたします」
充忠が深々と礼をし、下がる。
続いて親族のあいさつとして、悠穂が四十七代目君主助手と紹介された。
姿を現したのは、白緑色の髪をゆるくひとつに束ね、長い髪が広がらないよう金具で三ヶ所を均等に留めている女性。
礼服のせいか、それともそれだけの月日が流れたからか。沙稀は悠穂を一目見て、初めて会ったときとは異なる印象を受ける。
ずい分と、大人になった。母を助けたいと言っていたが、彼女の願いが叶ったのか──沙稀は結末を知らない。
そういえば、あれから忒畝と何度も会ったが、結局、忒畝から悠穂の話は聞かなかった。よく考えれば、沙稀も瑠既の話をしていない。
お互いの家族の話をしたこともなければ、悩みの相談をしたこともなかった。思い返せば、何を話していたのか──けれど、よい友だった。
変に飾ることも、言葉を選ぶこともせず、居心地がよかった。いい意味で、お互いに関心がなかったのかもしれない。どう生きてきたとか、どういう信念を持っているとか、そういう話ではなくて、目の前の問題を解決するとか、今を楽しむとか、忒畝はそういう時間を共有する友だったのだ。
「本日は兄の為にお越しいただき、ありがとうございます。生前賜りましたご厚誼に深く感謝申し上げます」
悠穂のあいさつで沙稀は現実を改めて受け止める。
「兄は私にとって、完璧な兄でした。個を優先とせず、人を想うことのできる兄を、私は尊敬していました。私は兄に甘えてばかりで、支えられて守られてばかりでした。兄妹であるのに、私は……兄の辛い姿を、見たことがありません。今は、それを後悔しています……」
涙ぐみ、声が震え、抑えるように言葉が途切れ途切れになる。けれど、グッと息を呑んだ悠穂はそれらを一瞬で消し去った。
「どんなことがあっても常に前を向き続けた兄を見習い、私もどんなことがあっても前を向き続けていきたいと思います。変わらぬご指導ご鞭撻をいただければ幸いです。本日は誠にありがとうございます」
悠穂の姿は気丈だった。
礼で区切られ、組織説明が業務的に行われる。
充忠が説明を行ったように、四十八代目君主は不在。充忠は四十七代目君主代理を継続するが、表向きには克主研究所の代表者となる。ただし、決裁実務は、四十七代目君主助手の馨民が行う。
他、四十六代目君主助手であった釈来と酉惟がふたりの補助にあたると公言された。酉惟は現在、進行役を行っている片眼鏡の男だ。
悠穂も四十七代目君主助手の役職を継続する。内部の組織はさほど変わらないが、忒畝の共同研究者だった者として、聖水の紹介があった。白緑色の髪の毛──沙稀は聖水をどこかで見たような気がしたが、忒畝の親族なのだろうと無難に自己処理をする。
再び充忠が現れ、参列者に礼をしたかと思うと背を向け、忒畝の写真を仰いだ。
「この克主研究所に多大なる貢献をもたらした四十七代目君主、忒畝よ。慈愛多き者、忒畝よ。我が友、忒畝よ。……永久に、安らかに眠られよ」
どこかで聞いた台詞。
──そうだ、この言葉は……前君主が亡くなったときの……。
沙稀は、いや、ここにいる者の多くが前君主の悠畝の葬儀にも参列している。充忠は、忒畝が尊敬する者に捧げた言葉たちと一緒に弔ったのだ。
扉が開かれる。多くの参列者たちが会場を後にしていく。最前列では、献花が始まっている様子がうかがえた。忒畝と親交の深かった者たちが希望しているだろう。
捷羅と羅凍が、遠目から見えた気がした。
恭良は吸い込まれるように、そちらを見ている。一向に扉へ動こうとはしない。
「恭良、これ以上は」
沙稀は思わず声をかける。




