【50】回想2(2)
馨民の問いに充忠は静かにうなずき、おもむろにしゃがむ。白い花束を静かに置いて、しばらく瞳を閉じた。
来られる時間は何度もあった。だが、望緑の死を受け入れるのは容易ではなく、やっと向き合おうと思えたのだ。
「俺が君主代理の試験を受けたのは、悠畝前君主に勧められ……忒畝を支えてほしいと言われたからだ」
まるで望緑に報告するように、充忠は言う。
望緑が深い眠りについたと知ったとき、充忠は目標を失った。それを間近で見ていた悠畝は、学費や生活費は出世払いでいいと金銭の心配事をすぐに払拭してくれた。ただ、充忠にとっては心配事だけでなく、再び『光』を与えてくれた思いだった。
人に恵まれ、幸せに暮らしていると望緑に伝えたかった。
「忒畝が君主になってから、俺が君主代理になったのは……お前も知ってるだろ?」
「うん」
「それから一ヶ月経ったころだ。また望緑さんの両親が、俺を訪ねてきたのは」
「そんなことが……あったの」
「忒畝は無理に会うことはないと言ってくれた。でも、どうしても聞きたいことがあったから、俺は会ったんだ」
「聞きたいこと?」
「望緑さんの眠る場所。望緑さんが亡くなったと聞いたとき、養子縁組の解消も続けて言われてさ。頭が真っ白になって聞けなかったんだよ。俺、望緑さんに肉親がいるって知らなくってさ……動揺したんだよな」
馨民は口を挟まない。固唾を呑んでいるのか、緊張した雰囲気が充忠に伝わってきた。──いや、充忠が緊張していたのだ。誰にも言ったことのないことを、口にしようとしていたから。
充忠は深呼吸をし、迷わないように一気に言う。
「会って開口一番に言われたのは、条件だった」
「条件?」
「もう一度、養子縁組を組んでもいい。ただ、住むのは別々でいいから、仕送りだけしろってさ」
充忠は君主代理の試験に合格してから、克主研究所の永久居住権を得ている。永久でなくとも居住権を所有する者は、家族も克主研究所に居住も許される。多くの者たちは、家族との同居を望むためだ。
けれど、望緑の両親は同居を要望しなかった。つまりは『再び養子縁組を組んだとしても、家族ではない』と突き放されたように感じた。要求は、明確。仕送りだが、長い目で見れば充忠が今後手にする資産と言われたも、同然だった。
「別に、どうでもよかったよ。『金がほしいだけ』なんてことくらい。望緑さんを育ててくれた人たちだ。そのくらいの恩返し、してもいいと思った。……だけどさ、会うのは今日が最後だと言ったんだ。バカだよなぁ、言わなきゃいいのによ。……だから、望緑さんの眠る場所だけ聞いて、その礼金を渡した。養子縁組の話は断るって付け加えてな。『これで会うのは最後だ』って言い返して、帰ってもらった」
「そうだったんだ」
「俺は自分の素性を知らない。知っているのは、施設に保護されて生かされていた俺を、望緑さんが引き取ってくれたこと。それと『充分に満たされるように』って願いを込めて『実忠』から『充忠』に改名されてたってことだけだ。他にも望緑さんは知っていたようだけど、何も教えてくれなかった。ただ……『充忠は私が守る』って、ずっと、口癖みたいに言っていた……」
ギイっと、昔聞いた扉の音が遠くから聞こえた気がした。何度も夢に見る、後悔だ。
「何とか恩を返したかったんだ。だから無理言って、克主研究所を受けさせてもらった。受かって『おめでとう』って言ってくれた。でも……でも、家を出るとき、泣かれたよ。すっげぇ辛かったけど、俺を育てるために無理させたくなかったんだ。俺が、支えたかったんだよ。その一心で耐えて家を出たのに……会ったのは、それが最後になった」
充忠は最後に一緒にいた日のことを、嫌になるほど鮮明に覚えている。
ただでさえ苦しかっただろう生活。けれど、幼いころの充忠には情報量が圧倒的に少なかった。偶然、養母と立ち寄った本屋で見かけた克主研究所の研究員の募集。この一択しか、しっかりとした自立の道はなかったのだ。養母に負担をかけると、自覚をしても。
「研究員の試験に合格して、居住権を得てやっと、一緒に暮らせるって……迎えに行けると思ってたよ。……後悔した。そばにいればよかったってさ。意地張らずに、格好つけずに長期休暇に帰ればよかったってさ。……子どもらしく『お母さん』って、呼んでおけばよかったってさ……」
「好きだったんだ」
「子どもの悪あがきだ。伝わるわけないのは、わかってた」
「何だか、意外」
「何が?」
「普段、そんな感情を抱えてる様子、まったく見せないから」
ゆっくりと馨民が近づいてきた。となりにしゃがみ込み、両手を合わせている。
「充分に、満たされているから」
「え?」
「克主研究所にいて、悠畝前君主に癒してもらった。忒畝に支えてもらって……克主研究所に来てよかったって、思えるようになってたんだよ。それに……」
ジッと充忠を見る馨民を見て笑う。
「これからは、お前の面倒見ないといけないし」
「何よぉ、それ」
馨民が顔を赤く染めて抗議をする。
更に充忠は笑った。立ち上がり、馨民に手を差し出す。
望緑が祝福しているように、輝く風景がおだやかに広がっていた。──未来が、キラキラして見えたものだ。こんなにも美しい景色が存在するのかというほどに。
そんな美しい景色を目の当たりにしてから、まだ一年ほどしか経っていないのに、遠い昔のように感じていた。
充忠は養母に顔向けできないと自戒する。望緑なら怒ったり軽蔑したりするよりも、泣いたり、自責するだろうと想像していたから。
それだけ、最低な行いをしていると重々、思い知らされていた。
忒畝と酒を飲み、反省していた翌日のことだ。
馨民が充忠の職場を訪ねてきた。
ただ、充忠はタイミング悪くというか、よくというか──とにかく席を外していて、ちょうど戻ってきたときで。偶然、助手の丞樺と馨民が鉢合わせた。
思わず足が止まってしまった充忠は、立ち聞きする形になってしまう。
「逃げられるんですか?」
「人聞きが悪いわね。別の用事を思い出しただけよ」
「充忠さんよりも大切な、そんな用事なんですか?」
舛花色の瞳が充忠を見た気がした。同じ色のゆるいウェーブのかかった髪がゆれて、すぐに馨民に視線が戻る。
「充忠さんの背中の傷痕……ご存じですか?」
「傷痕? 知らないわ」
「あんなに大きな傷痕なのに?」
それは昔、充忠自身も知らなかった傷跡だ。克主研究所に来てから大勢で大浴場に入ったとき、指摘されて初めて知ったもの。
「私たちは『夫婦』っていっても、建前だけかもしれないわね」
「だから私は……貴女の『代品』なんだわ」
「何よ、それ」
「充忠さんは私を抱いているとき、目が合うといつもすぐに逸らすの。すごく、切ない……辛そうな表情をしているわ」
「何が言いたいの? 『私はこんなにあの人に想われてるのよ』って、自慢のつもり?」
「違うわ。その逆よ。私がまったく想われていないの。いつだってあの人の中には、貴女しかいなのよ」
グサリと心をえぐられる。丞樺を傷付けている自覚があるから。
「充忠さんの過去も、ご存じなんでしょう?」
「充忠は言いたくもないでしょうね」
「羨ましい」
『知りたい』と言われた気がした。
丞樺は馨民に微笑む。
「きちんと、あの人を愛してあげて。いつまでも……あんなに辛そうなあの人を見ていられるほど、私は強くないから」
「充忠がほしいなら『ほしい』って、『そばにいてほしいから別れて』って、言えばいいじゃない」
馨民が感情を必死に抑えているのが伝わる。充忠になら、声を荒げていただろう。丞樺を睨んでいるだろうか。それとも、泣くのを我慢しているのだろうか。
丞樺が諭すように言った。
「充忠さんは貴女しか見てないもの。私はね、あの人に幸せになってほしいの。確かに、そばにいてほしいけれど……私がそばにいても、幸せにあの人はならないの」




