★【15】願わぬ再会(1)
時は数時間前に遡る。
緋倉──恭良たちが帰りの船に乗る港街。城下街とは違い、雑多で常に人々の声が賑わう街だ。行き交う人々も様々だが、楓珠大陸に貴族はほとんどいないため、大衆であふれている。特に、この街の入り口付近にある宿屋──綺には看板娘の踊り子がいて、好んで大衆が集まる賑やかな場所だ。
宿屋──綺の店内は主に赤い装飾が施され、他の色は極彩色であふれている。そんな中で目に付くのは木彫りの置物。いたるところに多数あるこれらは、どこかまぬけな顔をしていて憎めない。
人の姿や声であふれ、いくつもの人影と声が合わさり、従業員がさぼる影も隠しやすい。──片隅で店員と思われるふたりの女子が、のれんの影に隠れて会話を楽しんでいた。
「倭穏ちゃんは、彼に本命チョコあげたの?」
呼ばれたのは黒髪を頭の頂点で丸め、クリクリとした黒目をしている踊り子、ここの看板娘だ。頂点で丸めた部分からは、いくつもの長い髪の毛が垂れ下がる。顔立ちはまだ幼いが、透けた胸元から見える深い谷間と、くびれた腰回りは女性と言うに相応しい。肌の露出は少ないが、服装には黒のレースが多くあしらわれており、首回りや腕が透けている。腰回りも花びらのように何枚かレースが重なっていて、その下の特徴的な切り口のスカートからは黒のストッキングで妖艶に色づけされた太ももがチラリと見える。メリハリのある体格に、ふっくらとした唇が色気を更に添えている。
倭穏はその艶やかな唇に指をあて、質問に答える。
「ああ、先月だっけ。あげたよ~。瑠既はあんまり甘いの、好きじゃないんだけどね~」
「いつ見ても、仲いいしね。あ~あ、いいなぁ」
「准ちゃんだって、椄箕とラブラブじゃん」
お返しだと言わんばかりに、准を冷やかす。しかし、この冷やかしは准の反応を確認するためのものだ。
三ヶ月前、年末の慌ただしさを感じ始めたころのこと。ふと、椄箕の髪が光にあたっていて、きれいな緑色だなと倭穏が視線を向けたことがあった。すると、視界に准がうれしそうに入ってきて──ああ、いつの間にかこのふたり、付き合ってたんだと直感していた。
准は否定せずに笑っている。鎌をかけてみたら、当たったらしい。
「おい、倭穏。とっとと行くぞ」
女子の楽しいおしゃべりに、気づいていた者がいたようだ。突如のれんは上がり、低い声が投げかけられた。体がビクリと反応する。視線を向けると、倭穏の顔を見て相手はすぐに背を向けた。
「あ~、瑠既! 待ってよっ」
さぼりが見つかったという反省感なく、倭穏の声は猫なで声に変わる。まるで恋人――いや、ふたりの付き合いは長い。
「背高いし、二十五歳だし……彼は大人って感じよね。格好いい。本当、羨ましい」
准はお返しだとウインクしたが、
「い~でしょ」
と、倭穏は自慢するように弾む声を返した。
一方、瑠既が店のカウンターに近づくと、宿屋の亭主、叔が手を上げる。瑠既も手を上げようとした瞬間、右腕に重さを感じて視線を向ける。そこには、倭穏が満面の笑みで腕をつかんでいた。
「遅い」
「ごめ~ん」
不機嫌に言った瑠既に対し、反省感のまったく感じられない倭穏の態度。それを見た方は不平をもらす代わりにため息を出したが、こんな態度はいつものことだ──そう思ったのか、いつの間にか瑠既は平常心に戻る。
「叔さん」
瑠既は手を上げる代わりに呼びかける。視線を向けた叔は見慣れた光景に、
「おお」
と笑顔で応える。
客が周囲にいないことを確認し、瑠既はカウンターの前まで向かう。そして、右腕に絡まる倭穏を気にかけず、メモを広げた。
「一応、買い物のリスト。書いてみたんだけど、チェックして」
叔は満足げに瑠既からメモを受け取る。すると、倭穏が横やりを入れる。
「買い出しは、いつの間にか私たちの仕事よね。今までは父さんがリストを書いていたけど、いつから瑠既が書くようになったの?」
「今年からは瑠に任せてんだ」
「へぇ、そうだったんだ」
「何? チェックしてもらってんだからいいだろ」
「別に駄目って言いたいんじゃないもん」
すぐに口論を始める若者を差し置いて、叔はザッと目を通す。
「やるじゃねぇか」
上がる口角は、何ともうれしそうだ。受け取ったメモを差し出す。
「どぉも」
つれない態度で瑠既はメモを受け取ったが、手元でメモに視線を落とすと、まるで満点のテストを親にほめられた子どものような笑顔を浮かべる。本人は無自覚で浮かべてしまった笑みを一瞬で隠したつもりだったが、周囲はしっかりと見ていた。倭穏は、余計なひと言を言う。
「あ~、瑠既ってば。父さんにほめられてうれしぃんでしょ~?」
ある種の嫉妬だ。一方の言われた方は抗議をする。
「バカかっ! ガキじゃあるまいし」
ふたりの様子に叔は豪快に笑う。
「あっはっは。お前ら、ほんとに仲よしだなぁ。ラブラブなのは構わねぇが、店だけは焼かないでくれよ」
「は~い」
「たっく……じゃぁ、行ってきます」
「おい、瑠」
背を向けた瑠既を、叔は呼び止める。
「ほら、そんなんじゃ風邪ひくから、これ着て行けよ」
カウンター越しに渡されたのは、カーキのダウンジャケット。
「お前は体弱いんだからよ。風邪ひいてこじらせたら、その……倭穏が心配すんだろ?」
何気なく受け取ってしまったダウンジャケットを手に、瑠既は一瞬驚く。午前中とはいえ、これから数時間は一日の中で最もあたたかい時間帯。しかも、日が暮れるまで出歩くわけではないからと本人は寒さを軽視していた。
──そういえば、幼いころは母にも双子の弟にも、周囲の人間には『体が弱いから』と配慮をされていた。
それが再び当たり前になったのは、綺に身を寄せてからだった。
「ありがとう」
瑠既は体格のいい叔の上着に袖を通す。体格差はあるものの、高身長の瑠既には、そこそこ着こなせる物だった。ふと、視線を上げると倭穏も叔も満面の笑みだ。
瑠既は照れ笑いを浮かべる。叔に軽く手を振り、倭穏と宿屋をあとにした。
数時間が経過した。
あちこちをまわり、日用品から食料まで不足した物をふたりは買いに回っていた。今は、帰り道だ。ふたりは手分けして荷物を抱えている。
やむを得ない理由がない限り、こうして買い物をするのが日課だ。数日買い物に行かなければ、とても持ちきれなくなってしまう。
街の中心部まで戻ってきたふたりは、何気ない会話をしていた。
「いい加減……瑠既も色々と買えばいいのに」
倭穏が小言を呟く。瑠既は聞き返す。
「何を?」
「上着。もっと、こう……ほら、ロングコートとか?」
「いいよ、別に」
適当な返答に、倭穏はムッとする。