【47】たとえ離れても
寝るような意識の中で、忒畝は充忠の声を聞いた。
「忒畝!」
体を揺さぶられているのも伝わっていたが、忒畝は瞳を開けることも、ままならない。
──起きないと……。
そう思いながらも、忒畝の意識は落ちていった。
まぶたが動くようになって、忒畝はうっすらと目を開けた。やわらかいものに包まれている──そんな感覚で、体はベッドの中にあると認識をする。目に映る景色は天井。目を動かして見える光景は、自室だ。
「忒畝」
充忠の声に反応して、忒畝が視線を向ける。すると、充忠はベッドの近くに来た。
充忠の姿を目にした忒畝は力なく笑う。一方の充忠は、安堵で脱力する。
「充忠が?」
ここまで運んでくれたのかと、忒畝は短く聞く。けれど、その問いは意外な返事をもたらした。
「探したんだからな」
充忠は怒っているようだ。──それもそうだ。忽然と姿を消した忒畝を、馨民や悠穂たちと手分けをして充忠は探した。そうして、研究所内にはいないと判断をする。
充忠には、忒畝の行きそうな場所が一ヶ所浮かんだのだ。
以前にも、こんなことがあった。だからこそ、
「あそこかもしれない」
充忠は独り言を言い、走り出した。
「充忠!」
馨民の声に、充忠は走りながら叫ぶ。
「アイツの行きそうな場所が、一ヶ所ある!」
こうして、充忠が向かった先は、悠畝の墓前。以前から忒畝が忙しい最中でも時間の合間を見つけて向かっていた場所。
充忠の予想は的中し、悠畝の墓前で倒れている忒畝を発見。すぐに充忠は駆け寄った。だが、呼びかけても、多少叩いても反応はない。
嫌な想像をして、充忠の顔が青ざめる。急いで脈を確認し、充忠は安堵する。そして、忒畝を持ち上げた。
予想以上に軽い忒畝を抱え、充忠は克主研究所に戻ってきた。
そんなことがあったとは知らず、忒畝は笑っている。
「ったく、バカヤロウだ。お前は」
忒畝は安心しきっている。充忠という存在に。
その忒畝の様子を見て、
「俺は、やっぱり『お前の次』にはならない」
と、充忠は呟く。
「ならないけど……お前の次は、俺が決める」
強い言葉に忒畝は困ったように笑う。
「何それ」
克主研究所はしばらく『君主が不在になる』と、充忠は君主がいるうちに許可を要求した。
忒畝の残されている時間は、極わずか。それを充忠は察知したのだ。
充忠も、医師の資格を持っている。わかりたくないことも、お陰でわかってしまう。
もう覚悟するしか、ないのだ。
その夜、忒畝は自室にごく親しい人を呼んだ。一番乗りで来たのは悠穂。悠穂は忒畝の部屋に来るなり、ベッドに甘えるように座る。
「悠穂、幸せ?」
忒畝の声はおだやかだが、ちいさな声で、今にも消えそうだ。
けれど、悠穂は元気いっぱいに答える。
「うん、幸せだよ!」
「よかった」
安堵──という表現とはどこか遠い、消えていきそうな声。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「私ね! たくさん、たくさん子どもを産むからね!」
安心させたい一心で、悠穂は精一杯言ったのだろう。
けれど、忒畝の頬は、口元は、次第に力を失っていく。
「よかった……父さんと母さんの命を、悠穂が……僕の分まで繋いでくれる」
ところどころ悠穂には聞き取れないのか、耳を近づける。
「ありがとう」
しっかりとした声で忒畝は言って、悠穂の手を握った。
兄のあたたかさに、悠穂の瞳にはじんわりと涙があふれる。
「悠穂……おいで」
やさしい兄の声に悠穂は『うん』とちいさく返事をし、ベッドの中に入る。まるで、子どものころに戻ったように。
忒畝はしばらく悠穂の頭をなでていた。すると、ドアが開く。忒畝が視線を上げると、充忠がいた。
「何……してんだ?」
「悠穂が泣いちゃったから、昔みたいになでて慰めているの」
今にも固まりそうな充忠に、忒畝はおだやかに微笑む。
「そうだ。ちいさいころみたいに、みんなで一緒に寝たい」
唐突な忒畝の言葉に、
「は?」
と、充忠は言ったが、
「ん?」
忒畝は『何か変なことでも?』と言いたそうな表情を浮かべた。
克主研究所内に、大きなベッドが運ばれている。
至急、手配をしたのは馨民だ。忒畝の最期の願いなら何でも叶えたいと、馨民は業者に対し、かなりの無理を言った。
お蔭で、一時間もしないうちに馨民の願いは届けられている。
「いや。いくらキングサイズをふたつ並べたといっても……妙だろ」
「え?」
中央近くに横たわる忒畝は、充忠の言葉を聞き返す。
「疾しい気持ちがあるからよ」
馨民は充忠を横目で見る。それに答えたのは鷹だ。
「そりゃあ、奥さんにはなきゃ異常だろう?」
「鷹はちいさいころに誰かと一緒に寝た記憶はないの?」
きょとんと聞くのは、悠穂。
「俺は、兄弟とかは……」
言いにくそうな鷹に対し、忒畝は笑う。
「じゃあ、きっといい思い出になるよ」
「うんっ」
忒畝の言葉に、悠穂が弾んでとなりに飛び込む。
「あっ! 悠穂ちゃんずるい! 私もっ」
忒畝の左側に駆け込んだのは、馨民だ。
子どものころに戻っているような三人に対し、残った男ふたりは苦笑いを浮かべる。充忠と鷹は顔を合わせ、言葉なく笑い、打ち合わせをしたわけでもないのにそれぞれ妻のとなりへと横になる。
「ちいさいころは、忒畝とよく手を繋いで眠ったね」
馨民が懐かしそうに言う。
「じゃあ、繋いで寝る?」
おだやかに聞こえる忒畝の声。
「うん!」
「あ~! お兄ちゃん、私も!」
「うん、そうだね」
ふたりの明るい声に対し、忒畝は今にも眠りそうな声。
「鷹もだよ! 繋いで寝ようね」
「あ、はい」
鷹は悠穂に促されるまま手を繋ぐ。
「ねぇ……手を繋いで寝ると、同じ夢を見られるんだって」
馨民がポツンと言う。
「信じてんの?」
充忠が驚くように聞くと、馨民はうなずく。
「信じれば、きっと見られるよね?」
期待を込めて悠穂は言う。
「仕方ない。信じてみっか」
「そうでしょう?」
充忠の言葉に馨民は笑う。
「ね? 忒畝」
「そうだね。きっと、やさしい夢になる」
四人は、確かに微笑んでいるような忒畝の声を聞いた。──しかし、その声は現実で聞いたのか、夢の中で聞いたのかは、誰にもわからなかった。
翌朝、忒畝は目を覚まさなかった。ただ眠り続ける忒畝の姿は、幸せそうだった。
「お兄ちゃんね、悠水がお腹にいるときに私におめでとうって、すごくやさしく言ってくれたんだけど。そのあと、とっても寂しそうで。それが忘れられなかったんだけど……最期に幸せそうでよかった」
悠穂はいくつも涙を落とす。葬儀が無事に終わり、悠穂は鷹に寄り添われていた。
「私、お兄ちゃんみたいに強くなる。だって、お兄ちゃんの面影を残せるのは私しかいないんだもん」
その瞳は、忒畝の意思を継いでいるかのように強さを宿している。
「大好きなお兄ちゃんが、子どもたちの中にたくさん残るようにしたいの」
「うん、悠穂ならできる」
鷹は包むように微笑む。悠穂は瞳にためた涙をつぶしながら、
「ありがとう」
と、忒畝が笑っていたように、おだやかに笑った。




