【46】還
少し肌寒い。忒畝は『生きている』という確証を得た。気候でそろそろ誕生日だと、実感をする。――今年、忒畝は二十七歳を迎える。
しばらく忒畝は動けなかった。起き上がるにも苦しい。歩くのは、やっとだ。そんな状態で、忒畝は無理をする。
生きて、動けるこの体力があるうちに、もう一度だけ確認しておきたい場所がある。父の眠る場所。母が安らぎを得た場所。息子の待つ場所。そして──忒畝が還るべきところと、決めた場所。
久しぶりの外の世界は忒畝に自由を与えた。もう何十年と外を出歩いていなかったかのような錯覚を覚える。
たった数ヶ月だったのだが、体中を貫いていた激痛は、忒畝の時間の感覚も奪ったのか。
通り慣れていたはずの道のりを無性に遠く感じる。想定よりも体力はずい分衰えた。白髪や痩せた体は、まるで雪を被った枯れ木のようだと、どこか客観的に自身を感じている。
己の姿を、忒畝は認めざるを得ない。何度も思い出す感情も、同じことだ。
必要以上に必死になって、彼女を求め愛した。やはり後悔すべきか。いっそのこと彼女を嫌い、憎しめたのならと何度も思い、願った。グルグル気持ちが渦巻いても、渦の中心は深くなっていくだけで、変わらないのだ。
木々に囲まれ、明るくあたたかい陽射しの中、枯れた木が一本、忒畝の目に留まった。
小鳥が鳴いた。
いつの間にか意識がしばらく遠のいていたと気がつく。
──この景色は……。
そうだ、あともう少し。──思考を繋げたようで、途切れている。だが、忒畝は、それをすでに気づけないでいる。
息の上がる体に無理をして、ゆったりと歩いていく。
風が吹いた。
垂れた葉を目にした。
──緑が濃い。
忒畝は自然に還るように、まぶたを閉じる。そうしてそのまま、暫時、風に吹かれた。
すべてを吹かれて、流されてしまいたい。──無になった忒畝は、そう願っているよう。
まぶたがゆっくりと開いて、フラリフラリと歩き出す。力のない足取りは、今にも滑りそうだ。再び強い風が吹けば、倒れてしまいそうなほど。
十分ほど経って、ようやく忒畝の足に力が戻る。瞳の焦点が合い出す。ふと、振り向くような仕草をし、辺りを確認する様子からすると、意識がないまま歩いていたらしい。
忒畝の顔に、諦めが浮かぶ。
それはそうだろう。
今の忒畝は、痛み止めがなければ長距離を歩けない。山道など、もっての外だ。それは、忒畝自身が承知していて、強めの痛み止めを最大限に投与してきた。余命を最大限に『生きる』ために。
意識を保てると己を信じた──にも関わらず、薬には勝てなかったのだ。
目的地は本能で欲していて、設定しているから乱れない。忒畝自身が、それをわかっているのか否かは不明だ。
──記憶がまるでない。
悲観的になっても、一瞬で消えていく。目的地を目指すことだけを、一心で願って。
体が疲労を訴えている。
それでも構わずに体を酷使して歩いていく。
もう、帰りの体力は残っていないだろう。
忒畝はいつしか、ここで朽ち果てても構わないとさえ思うほど、一心不乱に歩いている。
──あともう少しなんだ。
現状の忒畝の位置からは、頂上はまったく見えない。だが、忒畝の脳内には、目指す場所の景色が広がっている。
幻影を求めるかのように、足の力が再び弱まった。それでも、忒畝の歩みは止まらない。
――僕の、還るべきところ。




