【13】知らぬが仏(1)
薄いピンクが色を添える室内は、何とも女性らしく、かわいらしい。恭良に用意された部屋だ。だが、そこには四人でも広く使えるダイニングテーブルがある。ダイニングテーブルの上には、あたたかい食事が並ぶ。それを囲うのは、恭良を含め、沙稀と凪裟の三人だ。
研究所には、食堂がある。本来なら、食堂で食事を摂るのだが、恭良は最高位の姫だ。その他大勢の研究者に紛れて、食事を摂らせるわけにはいかないのだろう。また、別室を用意することもできただろうが、恭良の移動なく食事を提供しようと考え、この場になった。
ダイニングテーブルに食事が並ぶ前──馨民がそれぞれの部屋を案内したあと、夕食のメニューを提示した。
出されたいくつかのメニューに沙稀は即答、恭良は同じメニューと答え、迷った凪裟は結局同じメニューを選択した。──よって、テーブルの上には魚料理がメインの食事が並べられている。
「そういえば、この間のは……やっぱり沙稀の警戒心が強いだけだったわね」
恭良の声に、凪裟は首をかしげる。沙稀はというと、やや不機嫌だ。
「何をおっしゃっているのですか。先日、捷羅様に危うく手を取られるところだったじゃないですか」
「あれは凪裟の手を握った手前、私にも求めただけよ。ねぇ?」
捷羅たちの帰り際を思い出した凪裟は、次第に顔を赤く染めていく。照れる凪裟をよそに、沙稀は断固否定をする。
「いいえ。あれは恭良様の手を求めても、自然な流れと考えた上での言動でした」
「変わらず、沙稀の警戒心は強いのね」
「恭姫! お言葉ですが、それはご無事だったからこそ言えることです。俺が止めに入っていなかったらどうなっていたと思っていらっしゃるのです?」
きょとんとする恭良に変わり、凪裟が口を開く。その言葉は沙稀の怒りに油を注ぐ。
「ごあいさつよ。捷羅様は沙稀の思っているような人じゃないわ」
「凪裟は黙って」
冷たい扱いに凪裟の口はとがる。
「とにかく、恭姫はご自分の立場にもっと自覚を持ってください。俺は何人たりとも恭姫に触れようとする輩を許しません。ご自身の身を大切になさってください」
眉間にしわを寄せた沙稀は、食事に手を伸ばす。その様子を見て、恭良はクスクスと笑う。
「何ですか」
「ううん」
恭良はクロッカスの髪を肩で揺らしながら笑い続ける。それに対し、沙稀の不満はもれる。
「少しはご理解いただけましたか?」
「は~い、わかりました」
笑顔で返事をすると、今度は凪裟と笑い始める。ふたりの思考と沙稀の思いはまったく違ったが、笑い声は場を和ませ、沙稀にも次第に笑顔が浮かぶ。
なごやかで賑やかな時が刻まれていく。
夕食後、沙稀は廊下を歩いていた。しかし、研究所内で沙稀は、どうあっても目立ってしまっていた。
リラの長い、腰まで届く髪。
楓珠大陸にも女子であれば長髪は多くいる。だが、長髪の男子は楓珠大陸にはほとんどいない。
さほど身長の高くない沙稀は、日常ではかんたんに人ごみに紛れることができるのに、楓珠大陸に城はない。──貴族がいない──ただ、それだけの理由で沙稀は妙に目立ってしまう。
その妙に目立つことで噂でも流れてしまったのか、充忠が沙稀のもとへ駆け付けてきた。
「どうかした?」
立場を意識せざるを得ない姫が不在だからか、充忠の口調は崩れる。
「ああ、すまない。図書室で本を読みたいと思って」
沙稀は以前、恭良たちと克主研究所を訪れていたときに、図書室の場所を覚えていた。──こっそり行けると思っていたようだが、失敗だ。行動する時間が早すぎた。
「案内するよ」
「ありがとう」
充忠はなるべく人通りの少ない道を選んで歩く。沙稀はその道を覚えるように周囲を見渡した。
「会って話すのは、久しぶりだな」
「そうだね、五年くらい経ったのかな。でも、ふしぎだね。会えば昔に戻った気になる」
「いやぁ、恭良様がいると変わらず緊張するよ。沙稀も別人みたいに俺らに話すじゃん」
あははと沙稀は笑う。
「それは……恭姫が忒畝を尊敬していて、ていねいにお話になるから。恭姫がそうするのに、俺が言葉を崩すわけにはいかないよ」
「確かに」
充忠も、ははと笑う。
まっすぐな壁と廊下は見通しがいい。規則的で目印はあまりないが、沙稀にとっては窓が目印になる。窓からは、木々がこちらをのぞく。それは、四戦獣の視線かのように。
『すぐ近くに四戦獣を封印したと言われる塚もあるんだよ。見てみたい?』
ふと、忒畝の言葉を思い出し、沙稀は意識して窓から視線を逸らす。恐ろしいのかと自問自答し、否定する。恭良を守ると思えば、何も恐ろしくないと。
「とーちゃーく」
充忠のおどける声で我に返る。
「帰りは迎えに上がりましょうか?」
冗談を言う充忠に、沙稀は再び笑う。
「いや、大丈夫。たぶん、覚えられたから」
それじゃ、とふたりは互いに手を振った。
図書館に入ると、受付が数人いた。先ほど充忠が顔を出してくれたお蔭で、沙稀は呼び止められずに顔パスだ。
そのまま奥まで歩いていく。目的は、ひとつ──伝説のこと。しかし、一番奥の棚まで行って、沙稀の足は止まってしまった。
目の前には忒畝の姿があった。本棚を背にして、まるで沙稀を待っていたように。
「来ると思っていたよ」
忒畝は微笑んでいるのに、やわらかい雰囲気は一切ない。ジッと見つめる瞳が緊張を放つ。
「知りたいんでしょ? 僕もね、知りたいことがあって待っていたんだ。沙稀が図書室に来てまで見ようと思っていたのは、これでしょう?」