【27】ずっと美しい
羅暁城は、運命の一日を迎えていた。貊羅がいよいよ決断した日だ。けれど、まだ、それは本人しか知らなかった。
貊羅は、何人かを順番に呼ぶ。
一人目は、妃の愬羅。
愬羅は歓喜し、舞い上がっていた。貊羅から声がかかった。新婚以来で、もう一生ないと思っていたことだ。
しかし、愬羅の笑顔は、貊羅と対面して消えた。
いつも以上にきちんと化粧をして来たはずだった。
ドレスも髪型も、だ。
それなのに、貊羅は愬羅の顔を遠目に見るなり、
「顔を洗ってくるように」
と言った。
愬羅は素顔が大嫌いだ。
素朴で、弱い自分をさらしているように感じる。貊羅と結婚した十六歳のときは、まともに化粧ができなかった。──遠い過去を思い出しながら、愬羅は化粧を落とす。
化粧がなくなっても、まだ服がある。高く目立つ襟は、いつしか彼女にとって化粧と同じく、鎧のひとつ。キッチリと結い上げている髪型も同じ。
そう感じながらも素顔で鏡に向かうだけで、奮い立った気持ちが解けていく。
「お待たせいたしました」
ちいさな声で言い、愬羅は入室。いつものハキハキした力強さは皆無で、視線を伏せた姿は──貊羅に結婚当初の『愬良』を思い出させた。
「いや、ずっと待たせていたのは、私の方だ」
王の間の入口付近で立ち止る愬羅に対し、貊羅は歩き出す。
『女王』を誇張するような、愬羅がまとう大きな襟を右手で触れ、頬に触れる。
「愬羅、君をここまで変えてしまったのは私だ。すまなかった」
「貊羅様……」
「君は、君が思っているよりもずっと美しい。出会ったころのような、あのころのままで……よかったのに」
貊羅は、彼女が羅暁城にちなんで名の漢字を『良』から『羅』に変えてから、性格までも変えてしまったと思っていたのだろう。また、そうさせたのは己のせいだと認識して過ごしてきたのかもしれない。
愬羅は結婚してから、年々化粧が濃くなった。ドレスも派手になった。それらは貊羅の気を引きたいためだと薄々でも気づいていただろう。わかりながらも、目を背けた。
羅凍を隔離して育てていたことにも、気づかないふりを続けてきた。必要以上に捷羅に嫡子の自覚を求めていたことも、同様だ。
愬羅が苦しみ、ふたりの息子がその苦しみを受けて育ってきたことも。だからこそ、息子たちに関心を一切示せず、素知らぬふりをし続けた。
目を逸らし続けて一番の被害を受けたのは、唯一愛し続けてきた哀萩だった。誰よりも幸せを願っていたにも関わらず、後悔したときは遅かった。
逃げ続けた結果の代償は何よりも辛く、悲しいことだった。哀萩に、自らを犠牲にする辛い道を選ばせてしまったと貊羅は己を責めただろう。痛みをもって、ようやく貊羅は終わらせようと向かい合うことを決めたのだ。
「私の役目を、そろそろ終わりにしてほしい」
ずっと胸の内にしまっていた言葉。
この言葉を貊羅がやっと言えたのは、愛娘がくれた勇気。けれど、受け取る側の気持ちは異なる。
「いつか……言われる日がくるとは思っていました」
愬羅は貊羅を見上げる。涙を瞳いっぱいにため、こぼさずにいるのは、せめてもの強がりだ。
貊羅はその強がりをそっとなぞる。
「離縁をしたいと言っているのではない。ただ、私が羅暁城を出ることを……許してほしい」
愬羅は目を大きく開く。
「どうして、ですか?」
「羅暁城は……愬羅、君が長年作り上げてきた城だ」
実家から『二度と戻ってきては駄目だ』と『愬良』は父に送り出された。貊羅は知らないはずだ。ずっと父のやさしさだと信じ、愬羅が頑張ってきたことも。
だが、貊羅は知っていたかもしれないと愬羅は感じたのか。涙をあふれさせる。
放心状態のような愬羅を、貊羅はしなやかに抱き寄せる。
「最後の最後まで、私は君に我が儘を言った。……ありがとう。私だけを、愛してくれて」
愛しい人の腕に包まれ、愬羅は号泣する。想いは、伝わっていないと思っていた。伝わらないと思い続けていた。けれど、強い愛情ゆえに歪んでしまったことさえ、貊羅に伝わっていて、深い悲しみとともに泣き崩れる。
頭上に高々と掲げる王冠に括り付けている愬羅の髪を、貊羅はほどく。
びくついた愬羅が貊羅を見上げると──初めて見るほどにやさしく微笑んでいた。




