★【7】痛いほど(2)
なるべく素直な言葉で、きちんと伝える努力をする。
「昔も言ったでしょう? 覚えているかな……羅凍を『羨ましい』って。これでもね、大事な友人の心配くらいするんだよ?」
誤解されることが多々あっただろうと船上で悔いたばかり。まさか、こんなにも早くに実感するとは。沙稀はつい苦笑いしてしまう。
沙稀の少しだけ強い口調に、羅凍がふと笑う。
「ちょっと、何で笑うの? 笑うところじゃないでしょう」
引き続き、沙稀の口調はやや強い。本心が本心と伝わらない悔しさと、恥ずかしさからだが、羅凍はケラケラと笑い続ける。──ただし、弁明を加える。
「ああ、ごめん。うれしくて」
羅凍が足早になる。沙稀に並んでも、まだうれしそうに笑い続けていて、
「まったく……まぁ、いいけどさ」
と、沙稀はどこか恥ずかしそうに流す。
どこへ向かうでもなく、フラフラと歩き出したふたり。
「ありがとう」
改まって、羅凍が言う。その表情は昔よりも伸び伸びとして見えて。
「どういたしまして」
軽やかに沙稀は返す。
こうして、ふたりは暫時、他愛のない会話を楽しんだ。
羅暁城に着き、沙稀は昼食に案内された。妃を呼ぶことなく、羅凍は沙稀と食事をともに楽しむ。それを沙稀は気にしたが、折角生き生きとしてくれている羅凍の前では言い出せず。ただ、羅凍も沙稀が来た理由に察しはついていたのか、食事を終えると妙な間が生じた。
羅凍はおもむろに席を立ち、受話器を上げる。そうして、沙稀の抱いていた違和感が正しいというかのような、他人行儀な会話が耳に流れていった。
程なくして、扉はノックされ、羅凍が内線をかけたと思われる相手が姿を現わす。青藤色の髪の毛と、それよりも少し濃い瞳を持つ、落ち着きある女性。微笑んだ表情が醸す上品さが、誄とどこか重なる。縦ロールの髪の毛と、かわいらしい服装が印象的だ。
「妃の玄です」
「沙稀です。初めまして」
羅凍の紹介を受けて、沙稀は右手を差し出す。
「初めまして」
玄は臆することなく、沙稀の手を取る。その堂々とした態度が、どことなく恭良のように思え、沙稀は自然とやわらかい気持ちになる。
「羅凍はいいヤツでしょう?」
「はい。やさしくしてくれています」
玄と手を離し、沙稀は大臣の勘が正しかったと、何となく感じる。それは、どこか核心にも近く。つい、言葉になる。
「おめでとう。今、何ヶ月?」
「ありがとうございます。そろそろ四ヶ月になります」
うれしそうに頬を染めて話す玄は、とても幸せそうな笑みを浮かべる。
漠然といつかは恭良から聞いてみたい言葉だと沙稀は思う。そんな光景が一瞬で脳内に広がる。それに重なるのは、幼いころの記憶。命がふしぎだと思ったことがあったと、沙稀は思い出す。あれは、初めて恭良に対面したときだ。
「ふしぎだね、命って」
沙稀が恭良の面影を、一瞬でも誰かと重ねたのは初めてのこと。しかし、それほどまでに会いたくて仕方ないのかと、胸がズキリと痛む。
沙稀が少し呆然とした間に、羅凍に客室へと案内された。本来なら、ここでふたりは別れるのだが、
「話をしていかない?」
と沙稀が扉を開けて誘うと、羅凍は驚いた──が、うなずく。
ふたりが入室し、扉を閉める。ドアノブから手を離した沙稀は、心境を整えるように深く息を吐く。そして、
「ちょっと、感動した」
と、前置きし、羅凍に向き直っておだやかに言う。
「おめでとう」
率直な気持ちを言えば、羅凍が先に父になると思えば、悔しい。けれど、羅凍は沙稀よりも先に結婚している。いや、どちらが先かどうかというよりも、結婚してすぐに授かったのが、羨ましいというだけかもしれない。
誰が先、後と順番をつけて考えるのは無意味だ。わかっているが、切望するだけに叶った者を目の前にして、羨んでいるだけだ。
一方の羅凍は、そのおだやかな発言を受けて──うつむいた。表情を重く一変させ、
「ありがとう。大事にできるように……努力してみる」
と苦しそうに言う。
驚いたのは、沙稀だ。沙稀にとっては、仮に妃が恭良ではなかったにしても、結婚して妃が身籠っているのは喜ばしいこと。だから、羅凍の態度が理解できない。
──もしかしたら、親になる覚悟がない? それとも……。
沙稀がこうして考えていると、羅凍は気まずそうに口を開く。
「俺には、そんな風には思えなかったから」
羅凍には『沙稀だったら』どう思うかと、予測が立つからだろう。昔からそうだった。沙稀には、羅凍の考えをわかってあげられない。昔、『告白ではなく羅凍なら娶るじゃないの?』と聞いたときもそうだった。
沙稀は玄を見て、いい人を妃にしたと思った。だが、羅凍は、きっとそうは思っていない。
羅凍は初めて会ったときから貴族らしくない。友人としては新鮮であり、だからこそ仲良くなれた気もしたが、本人としてはどうなのだろうか。割り切らないといけないことを割り切れなくて、苦しんできたのか。
恋を割り切れなくて、望まない結婚をして、今でも苦しんでいるのだろうか。もしそうだとするなら、羅凍は今どれほど辛いだろう。
好きだと言っていた子はどうしたのかと、沙稀に疑問が浮かぶ。羅凍は、告げたのだろうから。
「そっか。……あの子には、会っていないの?」
「あの子?」
羅凍が顔を上げて首を傾げる。けれど、沙稀は名を知らないどころか、見かけたこともない。だから、回りくどい言い方になってしまう。
「昔、告白するって言っていた子」
沙稀が知りうる限りの情報で言うと、伝わったようで。羅凍は『ああ……』とその人物を思い浮かべたようだった。
そこでまた羅凍の表情は曇り、悲しげにポツリと言葉が落ちる。
「出ていった」
ちいさなため息が、羅凍からもれた。
「兄上と俺の結婚が決まった当日に……ああ、その子は『哀萩』って言って……俺が六歳のときに父上が引き取った、ふたつ下の女の子だったんだ」
「告白は、した……んだよね?」
様子をうかがいながら沙稀が聞くと、羅凍は静かに首肯する。
沙稀にとっては、頭を抱える事態だ。養女であれば、息子が希望すれば身分差は乗り越えられるのでは? と。──だが、この考えは、次の羅凍の発言で消滅する。
「想いを伝えたら、関係は悪化した。哀萩は父上と愛人の……いや、違うな。父上が結ばれたいと願っていた、恋人との娘だった」
一言目は、沙稀にとって信じがたいことだった。羅凍の想いを撥ね退ける女性がいるのかと。けれど、名よりあとの発言に、沙稀はドキリとした。
「真実を知っても俺は、諦められなかったんだ」
父が、同じ。それは、つまり──。沙稀も身に覚えのある恐怖だ。
羅凍は口を閉ざしている。──それは、そうだと沙稀は思う。いや、ここまでの経緯を、誰かに言えるだけすごいと思う。どれだけ口にしたくないことかと、沙稀はよく知っている。
まさか、羅凍が同じ思いをしてきたとは、想像をしていなかった。いいや、事実として確定している以上、羅凍はどれほど苦しく辛かったか。沙稀には身にしみる。同時に、告白した事実がある。羅凍の想いの深さが、痛いほどわかる。
今になって、昔の質問への返答を理解できた。『それは考えていない。無理だから』。
「俺たちは、腹違いとは言え……兄と妹だった」
沙稀の鼓動が、強く打った。ザワザワと妙な胸騒ぎがする。奇妙な感覚だ。
「俺が父上の子ではなければいいと何度も思った。だけど、そんなことは……」
羅凍の声は消えていく。『そんなことは、ない』、そうだろう。貊羅は王位に就く前に、天涯孤独になっている。これだけ、貊羅に似ていると騒ぎ立てられていれば、疑いようもない。
思い返せば、外見を美しいと囁かれる声が羅凍の耳に入らない。それは、入れたくないと心が拒否をしているからこそなのか。貊羅に似ている外見を、羅凍が良しとしていないからこその、拒絶。
これまで沙稀が理解できなかった羅凍の言動が、徐々に理解あるものへと変わっていく。
「未だに気持ちにケリをつけられない。告白も、受け入れてもらえるはずなんてないって、わかりきってて言ったのに。……なのに、未だに消化できないんだ。おかしいだろ、俺」




