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【エピソード0】誓い──君の名を(1)

 少女は美しいと幼いころから評判だった。少女のなびかせる長い髪の毛は、長い睫毛が縁取る瞳は、高貴な血筋を象徴する色、クロッカス。少女は由緒正しき、世界に君臨する鴻嫗トキウ城のひとり娘。

 鴻嫗トキウ城は『真に愛し合った者同士に産まれる最初の子』が『娘』だと言い伝えられてきた。よって、鴻嫗トキウ城は代々姫が継いでいる。

 けれど、少女はそれを呪いのようだと思っていた。そう、鴻嫗コノ城に残る仕来りすべてが、まるで『姫』を呪うもののようだと。


 少女の名は、リュウ

 名は父に名付けられた。

 父は、少女の実父ではない。母が誰かを愛し、婚約していた父を裏切って成した娘だ。鴻嫗トキウ城には、その昔から『き』を我が子の名の最後に付けるならわしがある。由来は城の名の一部を示すとも、貴族を示すとも諸説ある。だが、婿養子の父も知った上で、わざわざ少女は『リュウ』と名付けられた。


 少女は、父の憎しみを名に背負った。

 人は誰かを許すのが難しい。身内となれば尚更。けれど、少女が一番初めに誰かを許したのは、父だった。

 少女の名に『き』を付けなかった──それが、父が母にできた唯一の反発だったから。苦しくて辛いという、母に投げ付けた想いの証だったから。鴻嫗トキウ城の世継ぎに父ができた、ただひとつの。

 それだけ鴻嫗トキウ城の『姫』というのは、絶対的な存在で。その存在意義は、近しい者ほど手が届かないのだと、嫌と言うほど思い知る。

 人であって、人ではない。となりに立とうが、その距離は限りなく遠く感じてしまう。──それを、嫌と言うほど繰り返し思い知る。


 だからこそ、『娘』を授かり、世継ぎにするという縛りが呪いのようだった。愛の結晶と言われる我が子が産まれ、そのときに、もし『姫』ではなかったら?

 相手を思っている者こそ、辛く苦しいだろう。──逆に、少女の父のように、別の者と相思相愛だと突き付けられたのなら、それも辛く苦しいだろう。

 だから、少女は父を許した。


 鴻嫗トキウ城の姫は姫で苦しい思いをしてきた。

『姫』が恋をしても、たとえ両想いになったとしても、受け止められる男性は限りなく少ない。大概の者は、恐れ多いと姫に惹かれながらも逃げていってしまう。

 姫は、恋に焦がれて追ってしまう。実さえ結べればいいと。愛し合えた証さえ残せればいいと。この身に刻んでくれればいいと。

 そして、城を統括する者が、姫の婚約者を立場や血筋を重視して選出し、表面上の体裁を守る。

 そんなことが、何代も何代も続いてきていた。少女はこれらも仕来りの呪いと感じるようになっていた。リュウはこの名が祝福を受けて鴻嫗コノ城に生を受けた者ではないと露呈しているように感じ、そうかと名を受け入れられた。




 呪いを何重にもかけられたと思いながらも、少女は母の教えに従い、外見も内面も美しく成長した。そんな少女を周囲は慕い、『留妃リュウキ』と呼ぶようになった。


 いつしか絶世の美女と言われるようになったリュウ。年頃になり、ある青年に恋をした。それは、母と同じ身分違いの許されぬ恋。

 身分違いとなれば、いくら相手が受け入れてくれようと婚約者にはなれない。婚約者には血筋も重視される。

 母に従い育ってきたリュウは、叶う恋ではないと容易に想像が付いた。青年のことは大好きだ。立場を捨てても、結ばれたいと願うほどに。けれど──母以外にも、何代も何代も同じ想いを抱えた『姫』がいた。そう考えれば、リュウだけが立場を捨てるわけにもいかないと思い直し。けれど同時に、今後、青年へ近づくことさえ許されないような気がして。母に相談をし、何とかならないものかと甘い考えに辿り着く。


 母は、城を抜け出した。恋仲の男性のもとに転がり込んで、父を捨てようとした。血眼になった鴻嫗トキウ城の者が母を見つけた。

 母は、戻らないと言った。

 恋仲の男性は、どうなったのか母は言わない。けれど、母は『戻らざるを得ないようになった』とだけ言う。


 そんな経験をした母だ。リュウは葛藤する気持ちを露土し、母に懇願した。

 気持ちだけで立場を捨てようとしたことを後悔して、何とかしてくれるかもしれないと。娘も同じ気持ちだと理解して、何とかしてくれるかもしれないと。怒られるかもしれないと思いつつ。

 だが、その反応は意外なもので。母は淡々と話し始めた。


 母には、兄がいたのだと言う。けれど、会ったことはないとも言う。兄がどうなったのかは、母は言わない。つまり、こういうことだとリュウは推測した。

 第一子が『姫』で産まれたのは、リュウが数代振りだった。だが、それは隠蔽され続けてきた。ある者は身分を隠し、またある者は命がないのかもしれない。

 そんな風にリュウが考えていたら、母がポツリと呟く。

「第一子が『姫』で誕生したのは……そうね、海胡カイウが輝いたときだそうよ」

 嘘か本当かは知らないけれど──母は他人事のように、そう続けた。そして、ある儀式をリュウに話す。

 鴻嫗トキウ城と絢朱シンジュの一部の海域を、海胡カイウと言う。鴻嫗トキウ城の地下にある懐迂カイウと繋がっているらしい。懐迂カイウは、神聖な泉だと言い伝えられている。

 神聖な場所にはいくら鴻嫗トキウ城の姫と言えども、みだりに立ち入ることはできない。母はどんな場所かを知らないと言う。リュウも見たことはない。

 入室が開放されるのは、愛を誓う儀式――つまり、愛し合うふたりが結婚する前夜のみ。互いの身が清らかなままであることを証明し、何にも屈しないという相手への愛を証明する儀式のとき。懐迂カイウは聖なる泉ゆえに、清い身以外は呑み込んでしまうらしい。それに、相手への愛が偽りや薄いものであっても、入ったが最後。意識は戻ってこないとも言い伝えられている。

 強い気持ちで結ばれたふたりだけが、懐迂カイウの中で出会い、祝福の光が輝く。その輝きは、懐迂カイウから海胡カイウへと繋がり、絢朱シンジュを光り輝かせるという。


 リュウは、懐迂カイウの儀式の話を聞いて、数代前の同じく第一子で姫であった姫に想いを馳せる。だが、それは母の誤算だったのかもしれない。

 母はリュウに身分違いの恋を諦めてほしいと考え、懐迂カイウの話をしたのだろう。けれど、リュウは強い憧れを抱いた。誰からも祝福を受けて生まれただろう、当時の『姫』に、強い憧れを抱いてしまっていた。

 父に恨まれながら産まれ、育ったリュウ。ならば、今度は懐迂カイウと輝かせたいと取り憑かれたかのような思いを抱える。


 懐迂カイウの儀式は、鴻嫗トキウ城が執り行う。母が了承や手配をしない限り、リュウがいくら希望をしても行うことはできない。

 リュウは、無理を承知で、もう一度母に恋する青年と結ばれたいと、青年と懐迂カイウの儀式を行いたいと口にした。

 すると、母は──。


 パシンッと、リュウを力いっぱい叩いた。感情的になったことのなかった母が、泣きながら大声でリュウを罵る。

「貴女は……私が、貴女を! どんな気持ちで産んだのか……育ててきたのか、まったくわかってないわ!」

 父を裏切り、愛おしい人と駆け落ち同然でリュウを産んだ母。母は、リュウをとても愛してくれていた。失った、実父の分まで。

 リュウは頬を叩かれる前から、母の答えをわかっていた。けれど、どこかで都合のいいようにしてくれるのではないかと、リュウのためなら婚約者の選出条件に目をつぶってくれるのではないかと期待していた。

 じんわりと瞳に涙が浮かぶ。

 頬は痛い。けれど、それ以上に心が張り裂けそうなほど、痛い。軽率なことを言ってしまったと、どれだけ母に甘えようとしていたのかとリュウは痛感していた。

「私は……貴女に、生きていてほしいのよ……」

 その言葉は、母の懺悔のようで。ああ、実父の名を知らぬだけではなく、会うことは叶わないのだとリュウは知った。




 リュウは鏡に映るクロッカスの色彩を恨めしそうに眺める。この色彩は、母娘にとってシガラミだと、呪われた象徴だと感じてくる。

 見えない鎖は、城内もだ。外部の者を拒絶するように複雑に入り組み、開放的に見えるが檻のようだと思えてきた。


 リュウはその夜、美しく長い髪をバッサリと切った。性別を問わず、肩下でならない髪の長さは、貴族の掟。髪を肩より上に切る行為は、生家との決別。

 左手に残った長い髪の毛を、ちいさなライトだけが照らす。ちいさなライトを右側に受け、まっすぐに歩いた。そして、低い机の上で左手をゆるめる。パラパラと、糸のように細いクロッカスの髪の毛が舞う。

「さようなら」

 クロッカスの色が散らばった机の上に、右手で握っていた短剣をそっと添えた。


 そうして少女は、鴻嫗トキウ城から姿を消す。

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