【86】単純な一言(2)
「何が?」
「充忠だって僕を『君主の息子だから』と特別視しなかった」
「は? 親なんか関係なく、お前はお前だろ?」
「そうだよ? だから、充忠も充忠でしょ?」
充忠は一瞬、目を見開いて。次の瞬間、やられたと笑う。続けて、忒畝も。一緒にワッと笑って、ふうと充忠がため息をつく。
「思い知らされたよ、あのときに。忒畝、お前はさ。人の痛みを敏感に感じてしまうほどに孤独を知ってて。ただ単に、それを周囲に隠すのが異常に上手いだけなんだなってさ」
「何それ、ほめてくれているの?」
充忠は首を横に振る。そして──。
「もう、いい加減……いいんじゃないか? ひとりで耐えようとしなくて」
『ひとりで背負うな』と言っている。
「俺ら、ダチじゃんか」
単純な一言に忒畝はドキリとする。
──やっぱり僕が臆病なだけだった。
次に感じたのは、安心。思っていたことが正しかった、と。そうして、感謝する。
──この勇気は、大切な人が残してくれたものだ。
忒畝は幸せを噛み締める。自然と笑みが浮ぶ。それは、父を亡くしてから初めて心から笑えたような感覚で。
「ありがとう」
にっこりと忒畝は笑ったのに、充忠は苦笑する。
「お前のその、無邪気な笑顔は照れるんだよ。……凶器だね」
「え~?」
忒畝は子どものような声を出してはしゃぐ。そうして、軽い口調で『もう終わったからね』と流すように報告し、また、冗談を言う。
充忠と冗談を言い合うと、忒畝は飽きない。忒畝は改めて充忠が大好きだと思う。
悠穂も、馨民も大好きで、大切な人たちだ。どんなことがあっても、おだやかになれるこの環境を、忒畝は幸せだと感謝する。
かけがえのない、大切な居場所。皆を失うことはないだろう、皆と離れるときがくるなら自身が逝くときだと忒畝は思う。
──残りの時間は大切な人たちのために使いたい。
忒畝は心があたたまるのを感じつつ、祈るように今後を見据えた。
何日かが過ぎていった。平穏で何もない日常が続いている。忒畝にとってはありがたいことだ。けれど、今日も悠穂は目覚めそうになかった。忒畝はもどかしさを抱えながらも、今度はもうひとつの部屋へと向かう。
数値だけ見ればどちらも順調で、良好で。そろそろ起きてもおかしくない。それなのに、悠穂は眠り続けている。
ここ数日、考えていたことがある。『龍声』が目覚めたとして、どう接したらいいのかということだ。全部が終わって、過ぎたことになり、ようやくじっくり考えられた。
その結論が出た。できれば本人よりも先に、まずは悠穂に相談をしたい。これは、家族の問題だから。
忒畝は彼女の部屋のカーテンを開ける。そうして、父が倒れたときも似たような毎日だったと、忒畝は思い出す。感傷に浸っていると、何か物音がした。
まさか──と忒畝が振り向くと、『龍声』は上半身を起こしていた。忒畝はいよいよ腹を据える。
「おはよう」
声をかけても反応はない。まだ夢の中にいるように、ぼんやりとしているのか。忒畝はベッドに沿ってL字に歩く。『龍声』の顔が見える位置で止まり、目線を合わせるように屈む。
忒畝を映す見開いた瞳は、アクア色ではなく、柳葉色に変わっていた。
「君のことは、これから『聖水』と呼ぶよ。『龍声』は……君ではないからね」
聖水は首を傾げる。何もわかっていない様子は、子どものようで──忒畝の心境はますます複雑になる。
「君は今まで、竜称に『龍声』と呼ばれて育てられていた。けれど、克主さんと刻水さんの娘だということも、聞いていたでしょう?」
今度はパッと明るい表情になって、そうだというように、にっこりと笑う。聖水の笑顔は、それだけ竜称がかわいがっていた証だろう。
忒畝も何とか合わせて笑おうと試みたが、一緒になって笑うことはできなかった。かえって、一気に落胆に変わる。──聖水は産まれてからずっと竜称たちと日々を重ねてきている。これからは『人』として生きていく術を教えていかなくてはいけない。誰がその役割を果たすのかといえば、忒畝だ。
いくら忒畝の中でも一連のことすべてが、終わって過ぎたことになったとはいえ、本音を言えば顔を合わせにくい。あんな関係を持ち、さすがにザッと水に流せない。
しかし、今後は親戚のひとりだと思って接すると忒畝は決めていた。家族とは受け入れがたいが、まったくの他人というわけにもいかないと。
──ゆっくりでいい、ゆっくりと。
今は、想像したように竜称が彼女をかわいがって育てていたと知れて、よかったと解釈するようにと努める。
──彼女を育てることで、竜称の傷は少しでも癒えたのだろうか。
想いを巡らせ、ぼんやりしていた忒畝は、ふと聖水と目が合う。食い入るように見つめる、大きく開かれる瞳。
「な、何?」
「あの子は?」




