【66】相反する行動
羅凍を見れば、父に似ている。月日が経つにつれ、それは顕著になっていって。双子なのに、内面も外見もまるで違う。それが、捷羅には悲しい。
かわいい弟は、憎しみの塊である父に似て美しく。その美しさも、また憎い。そんな思いを抱えながらも捷羅は弟を好きでいたいと願っている。いい兄でいたいと思いながらも、陰ではつい、相反する行動をしてしまう。
一方の羅凍はギクリとし、体の向きを強引に変えた。宮城研究施設まであと一歩というところまで来て、踵を返す。
それに慌てたのは、捷羅で。急いで声をかける。
「待って。探してたんだ」
「何?」
やわらかい捷羅の声に対し、羅凍の反応は明らかに不機嫌だ。けれど、振り返り立ち止まってくれたことに感謝する。
間違いなく、羅凍は哀萩に会いに来た。ただ、それを捷羅には見つかりたくなかった。わざわざ捷羅の来ないだろう時刻を狙って来たはず。だからこそ、名を呼ばれたのに踵を返した。
きっと羅凍は、哀萩を訪ねようと違う時間帯にも何度も来ていたのだろう。恐らく羅凍は、捷羅が哀萩と過ごした時間の出来事を知っている。
捷羅はそこまで推測しても、やわらかな表情を崩さない。
「父上が倒れて」
短い言葉に、羅凍は視線を下げる。
父のことで、羅凍に声がかかるのは珍しい。よほどのことだと理解したのか、羅凍は捷羅に向き直る。
「わかった。行けばいい?」
廊下で聞く話ではないと判断したのか、羅凍は潔く捷羅と行動をともにすることを示す。
捷羅はにこりとしたまま肯首し、来た道を戻っていく。すると、羅凍は哀萩が以前聞いてきたこととまったく同じことを言ってきた。
「ねえ、兄貴はさ、凪裟と結婚……するんだよね?」
「そうだね。……断られなければ」
捷羅は哀萩に答えた言葉のまま、羅凍に返す。けれど、羅凍は歩くのと同じように淡々と言う。
「断らないでしょ、凪裟は」
「そういうのもわかるくらい、羅凍は凪裟さんと仲がいいんだね」
「いや、兄貴はさ。凪裟なら断らないと思ったから、選んだんじゃないの?」
ピタリと捷羅の足が止まる。──それは、誰にも言っていないことだったから。
意表を突かれた捷羅は、
「母上から、何か話しはあった?」
と、羅凍の真意を探る。
数歩先を進んでいた羅凍は足を止めて振り返ると、
「父上のこと? いや、兄貴から聞いたのが初耳だけど?」
ふしぎそうに捷羅に言う。
捷羅は足を前に出す。
「そう」
──まだ、母上は羅凍に話していないのか。
そう思えば少し安心して、同じくらいの罪悪感が沸く。
心の奥にたまっているドロリとした憎しみは、羅凍へのもの。禾葩のことは、母が意図して行ったことであっても、母の言うように手違いが起きたのであっても、どちらにしても羅凍に罪を負わせるのは間違いだ。
ただ、捷羅自身がいくらそう思おうとしても、ドロリドロリと油を搾るように湧き出してきて止まることがない。
羅凍のことは、大好きだ。昔からかわいい弟だ。いい兄でいたい。──本心なのに、憎しみの象徴が重なる姿に、愛情が憎しみにどんどん塗りつぶされそうになる。
この思いが、どうしたら浄化してくれるのか、捷羅にはわからない。
何をどうしていっても、蓄積していく一方だ。
──つくづく俺は、母上に似ている。
父を憎しみ苦しみに溺れそうになっても、母を救いたいと捷羅は願う。
父の部屋の前までくると、捷羅は形式上のノックをして、扉を開ける。
「捷羅です。失礼します」
捷羅が扉を手で支えながら部屋に入ると、今度は羅凍が扉を支えて名乗る。
「羅凍です。失礼します」
はっきりとした捷羅の声とは異なり、羅凍の声は弱々しい。
静かに扉を閉め、おそるおそる羅凍は入っていく。背筋を伸ばしてしっかりと歩く捷羅とはどこか対照的だ。
捷羅の立ち止まる位置を確認した羅凍は、そのとなりまで怖々としたように歩いていく。
ふたりが貊羅の顔をのぞくと、少し青みが出ていた。枕元に立ったまま、ふたりは座ろうとしない。
「昏睡状態だね」
小声で捷羅は言う。
「いつから……」
「倒れて母上が看病を始めて……二週間かな」
「そう」
羅凍の低音の声が響く。
ふたりは父の顔を凝視するように見つめたままだ。──捷羅も羅凍も、意識のないだろう父を目の前にしても、悲しいという感情が沸かない。このまま意識が戻らないと聞いても、恐らくふたりの感情は変らない。無のままだ。
父は、たとえこのまま命が尽きるとしても、最期に息子たちに会いたいと思わないだろう──そう思えば、鼻で笑いたくもなる。
例えば、これが逆の立場だとして、捷羅と羅凍が昏睡状態になっていたとしても、捷羅も羅凍も、貊羅に最期に会いたいとは願わない。だから、お互い様だ。
むしろ、貊羅はいつでも国王の座を捷羅に渡してもいいと言っていた。国王の座を毛嫌いしていた。
もしかしたら、このまま命を落とした方が、父は解放されたと喜ぶかもしれないとさえ、ふたりは思う。
「治療がね、効かないんだって」
捷羅の声はやわらかい。まるで、あいさつを交わすような言い方だ。
羅凍の視線が捷羅に移る。
「手の施しようがないってこと?」
「医学的にはね」
捷羅は、進んで貊羅を助けたくはない。けれど、このまま貊羅が喜ぶような道も選びたくはない。
ふたつを天秤にかけたら、愬羅が乗る方に重みが傾いただけ──母を救うと思ってみても、捷羅の抱く憎しみは、グツグツと音を立てる。
珍しく、捷羅の顔が渋くなる。
「羅凍、忒畝君主を呼んできてほしい」
「何で?」
「忒畝君主に診ていただけたら……何かがわかるかもしれない。悠畝君主も……似た状態で亡くなったと聞いたから」
「いや、そうじゃなくて。……意識を戻してほしいって思う?」
羅凍は感情的になっている。
しかし、捷羅の視線は上がらない。貊羅を見つめたまま。
「そうだね。母上が、悲しむから」
捷羅の言葉に、羅凍の顔はグッと渋くなる。羅凍にしてみれば、貊羅の名よりも、母の名の方が耳にしたくないのだろう。
「兄貴って、いつもそうだね」
羅凍には、捷羅の気持ちは理解できない。愬羅を庇おうとする捷羅の気持ちなど。
捷羅が羅暁城を離れることは滅多にない。いや、捷羅が外出を望んでも、容易に望みが叶わないのを知っているからこそだ。
城内に一秒でもいたくない羅凍にとっては、好都合。どんな用事であれ、堂々と城から出られるのは清々しいことだ。
「兄貴の親思いの言動は、素晴らしいことだと思うよ」
羅凍は嫌味を捷羅に投げ付けると、足早に退室した。




