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【63】相応

 凪裟ナギサ愬羅サクラを目の前にして後悔していた。

 捷羅ショウラの言葉に甘えて普段着で来てしまっていた。刺すような愬羅サクラの視線が痛い。

 数日前、洋服好きの恭良ユキヅキに服装について相談していたのだが、勧められたドレスを断った。あのとき、恭良ユキヅキは姉と慕うルイから昔もらったというドレスを出してくれたというのに。

 けれど、凪裟ナギサにはドレスを着る勇気が出なかった。鴻嫗トキウ城に身を寄せてから、ドレスを着ていない。もう、十年以上になる。

 折角の恭良ユキヅキの提案を断り、捷羅ショウラの言葉に甘えてしまった。反省しかない。やはり勧められた通りに、勇気を出してドレスを着てくればよかった。現状は短いスカートで、膝を出している。

 注がれる冷たい視線に、耐えるしかない。

 捷羅ショウラがやさしいばかりに、その母もやさしいと勝手に思い込んでいた。己の甘さを悔いる。

 愬羅サクラの視線はもっともだ。羅暁ラトキ城は梓維シンイ大陸を治める城。梛懦乙ナジュト大陸であれば、鴻嫗トキウ城のような存在。もっといえば、楓珠フウジュ大陸であれば、克主ナリス研究所のような存在だ。そこに嫁ぎますと、あいさつに来たも同然。よろしくお願いしますと言いに来たようなものだと、意味は理解している。

 それなのに、第一印象は最悪に違いない。

 ──断られる。

 己の考えが甘かったとしか言いようがない。捷羅ショウラに相応しくないと言われても、凪裟ナギサには謝るしかできない。これまで、やさしくしてくれた捷羅ショウラにも、申し訳ないという気持ちが湧く。──そのとき。

「母上、凪裟ナギサさんは鴻嫗トキウ城の宮城研究術師です」

 この姿が彼女の正装だと、捷羅ショウラは言った。凪裟ナギサの顔がふいに上がる。

 すると、愬羅サクラは気まずそうに、口を開いた。

「そうね……まずは自己紹介をしていただけます?」

 これは挽回しなくては! と凪裟ナギサは大きく口を開く。

「あ、はい! えと、職業は今、捷羅ショウラ様がご紹介くださったので……年齢は二十三歳です。今の職に就いたのは、十六歳のときで七年が経ちました。出身は梛懦乙ナジュト大陸で……」

「どこの、お城出身でしたの?」

「え?」

 愬羅サクラの指摘に、凪裟ナギサは弾かれたように言葉が止まる。──これまで凪裟ナギサは『鴻嫗トキウ城の宮城研究術師』としか言ったことがない。出身も梛懦乙ナジュト大陸だと言えば、それ以上聞かれたことがなかった。

 凪裟ナギサの頭が真っ白になる──ふと、捷羅ショウラ凪裟ナギサを庇うように、彼女の前へ一歩出る。

「母上」

「あら、いいじゃない」

 愉快そうな愬羅サクラの声に、凪裟ナギサの視界はどんどん下がる。セカセカと動いていた口元は、すっかり閉ざされていて。

「いいのなら、わざわざ聞かなくてもいいじゃないですか」

「そういえば、捷羅ショウラも詳しくは知らないと言っていたわね?」

 ギクリと凪裟ナギサはする。そういえば、捷羅ショウラには現状の身分しか名乗っていない。城が出身だったと、産まれたときは姫だったと言っていない。

 なのに、『詳しく』なくても、知っていると言った。

 ──ああ、そうか。

 羅凍ラトウとは双子だったと、凪裟ナギサは思い出す。羅暁ラトキ城内で会っていないからこそ忘れていたが、羅凍ラトウには昔、どこの姫かと聞かれたことがあった。無神経な羅凍ラトウだ。どこかのタイミングで、本人のいないところで捷羅ショウラに言っていたに違いない。

 ──今度こそ、断られる。

 それで当然だと凪裟ナギサは諦めようとする。もともと、捷羅ショウラはからかっただけだったかもしれない。思っていたよりもいい人だったと知れただけで、よかったのかもしれないと。

 ──城が落魄した生き残りを迎え入れようなんて、したくないよね。

 断る愬羅サクラは正しいと凪裟ナギサは思う。服装なんて、問題ではなかった。

 羅暁ラトキ城は梓維シンイ大陸を治める城。落魄した城の娘を本気で要望する方がおかしい話。梛懦乙ナジュト大陸であれば、鴻嫗トキウ城のような存在なのだから。鴻嫗トキウ城では、あり得ない。凪裟ナギサは身を寄せられただけで、奇跡だった場所だと思っている。

 更にいえば、楓珠フウジュ大陸であれば、克主ナリス研究所。忒畝トクセがもし、落魄した城の娘を選んだら、周囲が止めるだろう。忒畝トクセ凪裟ナギサの考える範囲では想定できない人物ゆえに、選ばないとは言えないが、少なくとも今の凪裟ナギサのように短いスカートではあいさつに来ない人を選ぶだろう。そう考えれば、やはり服装も大事だったわけで。

 いくつもの否が重なり、凪裟ナギサは清々しい気持ちになる。城が落魄したときのことを話せと言われても、言うつもりはない。これまでで、言ってもいいと思ったのは一度だけ。鴻嫗トキウ城で迷い、沙稀イサキに会ったときだけだ。

 捷羅ショウラも詳しくは知らない。それならば、もうこの場で捷羅ショウラに謝って帰ろう。なかったことにしてもらおう──凪裟ナギサは意を決し、捷羅ショウラの背に手を伸ばす。

 しかし、早かったのは愬羅サクラの声だった。

夲胡トウゴ城。その昔、鴻嫗トキウ城の第一子に長男が生まれたときに建てた城だったそうね。もう何十代も前の今となっては、鴻嫗トキウ城は遠い親戚。だからこそ、夲胡トウゴ城が落ちたとき、鴻嫗トキウ城に身を寄せられたのでしょう? ねぇ、妹さんはどうなさったの?」

 凪裟ナギサは目を見開く。耳を疑いつつ、愬羅サクラを見、震える唇を無理に動かす。

「何の……ことですか?」

「あら、妹さんよ。ふたつ下の」

「いません!」

 体中で叫び、我に返る。──これでは、肯定したも同義。

 うろたえる。

 震えそうになる。

 ──落ち着け、落ち着け。

 目をつぶって繰り返し、深呼吸する。

 ──大丈夫。この人は何も知らない。見ていたわけじゃない。大丈夫、大丈夫。

「すみません。私は……ひとりっ子で……」

 そんな名の城は知らないと言いたかったが──それは言えなかった。

「辛かったですね」

 目を開けると、捷羅ショウラがしゃがんでいて。両手をやさしく包んでくれていた。

『辛かったですね』──そう、そう言って多くの人は慰めてくれる。そう、聞く人にとったら、過去の話。過去の話と思っているから、終わったことだと、過ぎたことだと思っている。

 過去で終わったことで、過ぎたことでも、当人にしてみればそれは、過去でも終わったことでも、過ぎたことでもないのに。

「ありがと……うございます」

 捷羅ショウラに悪気はない。精一杯、慰めようとしてくれている。凪裟ナギサが震えないように、両手を包んで、愬羅サクラから守ってくれている。その姿は、できることをしようとしてくれているように見えて、凪裟ナギサに断る言葉を引っ込めさせた。

捷羅ショウラ

 愬羅サクラは、さぞ不満なことだろう。不機嫌が声に多分に含まれている。

 捷羅ショウラはスルリと凪裟ナギサの手を離すと、立ち上がり、愬羅サクラと向き合う。

「気持ちは、変わらないのね?」

「はい」

 開きかけていた扇子をバサッと大きく広げた愬羅サクラは、ため息を大いに吐く。その態度にも、捷羅ショウラのまっすぐな視線は揺るがない。

凪裟ナギサさん、だったかしら」

「は、はい!」

 愬羅サクラの呼びかけに、凪裟ナギサの体はビシッと伸びる。

「ひとつ、検査を受けていただけます?」

 これは、嫌とは言えない。


 こうして凪裟ナギサはブライダルチェックを受けた。

 捷羅ショウラは扉の前で待っていてくれて。

 ──思っていた以上に、いい人かもしれない。

 グラグラと凪裟ナギサの心は傾く。からかわれているだけではないのか、本気でいてくれているのかと。


 凪裟ナギサの気持ちが揺れていても、検査は進み。検査が一通り終われば、ていねいに捷羅ショウラが城内を案内して。草原が見えるバルコニーに辿り着いた。


鴻嫗トキウ城に比べたら、ちいさくて狭い城ですから。きっと凪裟ナギサさんが迷うことはないですよ」

 自嘲気味に話す捷羅ショウラは、何だか寂しそうに見えて。

「すてきなお城です」

 捷羅ショウラが笑ってくれたらいいなと、凪裟ナギサが笑えば──捷羅ショウラは、意外な言葉を言った。

「それは、我が家として気に入った……と、思ってもらえたと解釈していいんですか?」

 意外過ぎて、凪裟ナギサの頭は真っ白になる。何と答えるかと困惑し、ふと、羅凍ラトウに会っていないと思い出す。羅凍ラトウなら気軽に話せる。もし、いてくれたら捷羅ショウラとふたりきりより緊張しないで話せるかもしれない。

 凪裟ナギサはそんな思いで、特に深い意味なく言葉にしてしまった。

「あ、羅凍ラトウは、いないんですか?」

 一瞬だけ捷羅ショウラは目を丸くして。ぎこちなく笑ったかと思えば、

羅凍ラトウに、会いたかったですか?」

 と質問に対して、質問を捷羅ショウラは言う。

「いえ、あの、そういうことではないんですけど……」

 もっと捷羅ショウラと気兼ねなく話せるようになれたらと凪裟ナギサは願っただけなのに、うまく言葉にはできなくて。

 しどろもどろ凪裟ナギサがしていると、捷羅ショウラの顔はどこか曇り。

「そういえば、長旅でしたね。お疲れでしょう。お部屋に案内しますから、ゆっくり休んでくださいね」

 こうして、話す時間さえ失ってしまった。


 捷羅ショウラは案内が終わると、前回会ったときが嘘かのように、実にあっさりと姿を消す。

 凪裟ナギサの心だけが、ザワザワと騒がしかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] このまま2人が結婚しても、過去が未来を遮ってしまいそう。でもまだ全てを話せるような親密度ではないし、読者はハラハラしながら見守るしかできない……!
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