【61】おとぎの国
よく晴れた空に、捷羅は感謝していた。今日は凪裟がやってくる。羅暁城は『おとぎの国の城』と例えられるほど、青空がよく似合う城。いくつか並ぶ三角の屋根は澄んだ水色で、壁はオフホワイト。爽やかで美しい城だ。最高のおもてなしになると、捷羅は心が躍り出しそうだった。
「お待ちなさい!」
そう、この声が聞こえるまでは。
羅暁城を出て、正門までの長い一本道。半分は来たと言うのに、まさか、ここで母の声を聞くとは──大きく息を吸うと、捷羅は満面の笑みで振り返る。
「母上、どうされましたか?」
「今なら、まだ間に合うわ。すぐに帰っていただきなさい」
おとぎ話には、度々、意地の悪い母が登場するものだ。そう考えれば、息を切らし、鬼の形相を浮かべる愬羅はおとぎの国の住人として相応しいのかもしれない。
捷羅は笑みを崩さずに、首を傾げる。
「まさか……あんな子を貴男が選ぶだなんて、思っていなかったのよ!」
ヒステリックな声。救いを求めるように、愬羅は捷羅の右手を両手で握る。懇願する愬羅に対し、捷羅は視線を合わせず握られた手を見つめる。
「調べたのですか?」
「もちろんよ! え、もしかして……知っていたの?」
「詳しくは知りませんが……差し支えのないことです」
「不吉極まりないわ」
信じられないというように叫び、愬羅は捷羅の手を離す。捷羅の右腕は振り子になり、体を右に少し傾けた。
「母上、それを言うなら……彼女ではなく、俺の方ですよ」
視線を合わせないまま、捷羅は正門に向き直る。
「そろそろ船が着きます。母上、戻るまでには息を整えていてくださいね」
にこやかな声の捷羅に、愬羅は唇を噛む。
時刻は午後を刻んでいる。捷羅は昼食を誘ったが、そこまでは申し訳ないと凪裟に断られていた。梛懦乙大陸から梓維大陸へ直行する船は出ていない。凪裟は楓珠大陸で船を乗り換えてやってくる。──その間に港街、緋倉で食事をすると言っていた。
「そこまでは申し訳ない……か」
羅暁城に来れば、母に会えば、結婚することになると凪裟はわかっているだろうに。『そこまで』と遠慮するようなことではないはずなのに、遠慮をするとは──凪裟は、どう思っているのだろう。気にすることではないと言いたかったが、捷羅は言えなかった。無理強いをしたくなくて。凪裟を尊重したいと思って。けれど、言えばよかっただろうかと、小骨がつかえたように、凪裟の何気ない一言が胸に引っかかっている。
城下町を歩いてしばらく経った。騒音がスッと一瞬波のように引き、人々が左右に三歩寄って足を止める。捷羅を──次期、国王を人々は息を呑んで見つめる。船着き場へ歩く捷羅に、周囲は何事かと声をひそめて話し出す。
船が着き、降りた凪裟は手を振る捷羅を見つけ、急ぎ足で近づく。そして、驚いた。町中の人々の視線が集まっていることに。恭良と沙稀と出歩いていても、こんなに視線を集めたことはない。
一方の捷羅は。人々の視線に気づいていて、一切気にせず。満面の笑みを凪裟に向けていた。
「ようこそ、梓維大陸へ。さあ、行きましょう」
捷羅が手を差し出すと、
「は、はい!」
と、凪裟は半ば混乱しながら手を取る。その手は、しっかりと捷羅が握り──周囲の視線はそちらに移動する。騒然としても、捷羅は何のその。むしろ、『そういうことだ』と公の場で披露しているような節がある。──禾葩と結ばれたときは、公表に至らず。噂は立ったが、噂話で流れてしまっていた。愬羅は噂話になったことを好都合としたわけだ。だから今度は、凪裟が船で来ることを捷羅は利用した。
「長旅で疲れていませんか?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
顔を赤くする凪裟の手を引いて歩く。歩幅を合わせて、ゆっくりと。
「正面に見える城が、羅暁城ですよ」
凪裟の顔を上げるような話題を振ると、思ったように視線は上がり、
「わあ! 噂通り、きれいなお城ですね!」
と、笑顔が咲いた。捷羅はよかったと胸をなで下ろし、喜々とする凪裟と会話を弾ませ、城へとエスコートする。
城に入った凪裟は階段を左右に見て、天井を見上げる。──羅暁城に初めて来た人物は、一様にこの動作をする。凪裟もこの動作をしたが、鴻嫗城に比べ、天井が高いわけではない。鴻嫗城と比べれば、空間としては狭い。けれど、天井は多少、低い程度──そう、羅暁城は天井の高さが際立つ。天井近くにいくつもの小窓があり、そこから太陽の光がキラキラと降り注ぐ。光の柱が一本、二本と、小窓の数だけ幾重にも。
「きれい……ですね」
オフホワイトの壁は、光の柱で輝いていて。壁自体に細工があるわけではないのに、幻想的で。
「よかったです」
見とれる凪裟に、捷羅は微笑む。
「気に入っていただけたようで」
視線を向けた凪裟の視界には、キラキラと輝く捷羅が映っていたに違いない。




