【8】伝説
今からおよそ六百年前、最大の神を守る女神『女悪神』が天界に存在していた。この女神は力が強く、悪魔のようだと天界で恐れられ、この名が付いたと言われている。
世界の調和が乱れ崩れたとき『女悪神』が地上に降り、魔物に力を振るった。助かった人々は『女悪神』を祭り、称えた。
だが、それだけでは終わらなかった。
再び魔物が地上を侵そうとしたときのこと。魔物を蹴散らし人類を守った『女悪神』は、『力』を抑えられずに人々まで襲うようになっていった。
美しかった姿は、まるで獣のように醜く変貌し、人々から恐れられた。
最後に残った『女悪神』の血を継ぐ四人の者たちは、いつしかその姿から『四戦獣』と呼ばれるようになった。
人々を襲い、地上を惨劇の場に変えた『四戦獣』。研究所の君主、克主は『四戦獣』を封印し、人々を救う。一方で、女神『女悪神』の血を継ぐ者は根絶した。
後に克主の功績は称えられ、研究所は克主を初代君主とし『克主研究所』と名を変え、その名を遺したと言われている。
「これが、楓珠大陸に残る『女悪神伝説』です」
捷羅は伝説を読み上げると、締めくくった。
「克主研究所……この伝説は、本当にあったことなのかしら?」
恭良の疑問にうなずいたのは、捷羅だ。
「そうお考えになっても面白いですね。ただ、伝説は伝説の域を出ないと私は思っていますが」
肯定と意見を述べ、微笑む。
次に口を開いたのは、羅凍だ。
「確かに、忒畝から伝説について聞いたことはないな。そう思えば兄上の言うように、単に伝説と考えた方がいいのかも」
「羅凍は忒畝君主とも仲がいいの?」
今度の疑問は凪裟だ。羅凍はうなずき、当然と言うように答える。
「父上同士の仲がよかったから、忒畝はちいさいときからよく羅暁城に来ていたよ」
「そういえば、忒畝君主が君主代理になられるまで、よくいらしていたね」
兄の言葉で、羅凍には懐かしい記憶が蘇る。
「悠畝前君主にはすごくかわいがってもらったなぁ。俺が克主研究所に行く度に、本当によくしてもらった」
うれしそうに話す羅凍に対し、恭良が問う。
「悠畝前君主って、忒畝君主のお父様の?」
その声に反応したのは、沙稀だ。
「はい、二年前に亡くなられた忒畝君主のお父上です。俺たちが克主研究所に一ヶ月学びに行ったとき、色々と案内をしてくださいました」
それは、沙稀が十六歳のころ──羅凍と初めて会ったときのことだ。あのときは、梓維大陸から羅凍だけが来ていた。
沙稀の言葉で、恭良は思い出す。
「ああ、五年前……私が十四歳のとき沙稀と凪裟の三人で行った、あのときの」
「忒畝君主は、それはそれはお父上を慕っていらした。その影響もあってか、おだやかで人望の厚いあのお父上と昔から似ていらっしゃる。……お父上を亡くされても気丈でしたが、それは職務上、必要とされていることだと理解していらしたのでしょう。いくら君主代理を十五歳からされていたとはいえ、職務を継ぐと公言される姿は、心中察するに余りありました」
忒畝は若干、十八歳で鴻嫗城の次点である克主研究所を継いだが、その地位は揺るぎない。忒畝は頭のきれる研究者として名高いが、君主としてもその采を振っている。
「克主研究所の現君主なら、何か知っているのかしら」
唐突な恭良の言葉に、周囲は目を丸くする。
「久しぶりに忒畝君主にもお会いしたいし、今度うかがいたいわ」
突飛押しもない恭良に、動じないのは沙稀だ。
「かしこまりました。大臣に伝え、手続きを済ませておきます」
沙稀の返事で、場の空気はゆっくりほどけていく。そんな中、おそるおそる声を出す凪裟。
「そういえば、恭良様。絵本童話はご覧になったことはありますか? 私、母から聞いたことしかなくて……その、もしあるのなら、見せていただけませんか」
遠慮気味に言う凪裟に、恭良はにこやかにうなずく。
「持ってくるね」
「それでは、俺はここで失礼します」
恭良と沙稀が立ち上がると、背後から凪裟たちの声が聞こえ出す。
「すごい! やっぱりあるんだ」
「今となっては、どこの城にもある品ではないですからね。流石は世界が誇る鴻嫗城です」
「俺も見たことはないや。ちょっと楽しみ」
凪裟たちの会話に、恭良は立ち止まる。しかし、沙稀が構わずに客間を出ていくと、恭良は慌てて沙稀を追う。
「沙稀!」
反対方向に歩くと思っていた恭良の声に、沙稀は足を止める。
「恭姫?」
「あの……ありがとう。もしかして、みんなが絵本童話を見たいって言うと思って……それであの本を私にくれたの?」
眉がすっかりハの字になった恭良を見て、沙稀は微笑む。
「いいえ、あの本は恭姫が持っているべきだと思い、お渡ししただけです。何か別の心配をされているなら、その心配は不要です。あの本は、鴻嫗城のものですから」
「本当?」
「俺が恭姫に、嘘をつくとお思いですか?」
恭良の表情は変わらないまま。肩の上をなでるようにクロッカスの髪が揺れる。
「わかっていただけて、何よりです。さあ、恭姫。客人をあまり待たせてはいけません」
「あ、うん」
名残惜しそうに沙稀から目を離すと、恭良は自室へと向かった。