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【60】豊かな花びらは散り(1)

「ごめんなさい」

 静かに捷羅ショウラは呟く。帰城して数日。こっそりと城を抜け出した。花束を抱えて。──それをていねいに置く。

 城の影で捷羅ショウラの姿は埋まっている。草原の一角に、ひっそりと設置されたひとつの墓。その墓前でうつむき、今は両膝をついている。

禾葩カハナさん、俺は貴女のもとへは行けなかった。行きたかった……でも」

 想いが込み上げ、声は途中で途切れた。滲んだ視界で、捷羅ショウラは上着から一本の短剣を出す。左手を添えて見つめるが、両手は震え始める。──いや、両肩は震え、頭は下がっていく。開いた口から言葉は出ずに、不規則な呼吸が聞こえる。

 捷羅ショウラの頬から伝う雫が、膝にポツリポツリと落ちた。

「行けなかったん……です」

 絞り出される、懺悔の言葉。




 捷羅ショウラ禾葩カハナと初めて会ったのは、十八回目の誕生日まで一ヶ月を切ったときだった。その一週間前に愬羅サクラから、

「この人よ。どうかしら?」

 と写真を一枚渡された。控えめに笑う姿に胸が高鳴って──どうせ自ら誰かを選べない、誰でも大事にしようと思っていた捷羅ショウラにとっては意外な事態が起きていて──。一目惚れだった。

「はい。この方が、俺でいいと言ってくだされば」

 頬を赤くした捷羅ショウラを見て、愬羅サクラは一週間後に会わせると言った。その一週間が捷羅ショウラには、とても長く感じて。ソワソワと落ち着かず、会ったときのあいさつの練習や話題を想定し、部屋の掃除まで自らするほどで。

 本人を目の前にすれば、捷羅ショウラは息が止まるくらい緊張して。艶やかな濃い青色の髪に見とれ、同色の大きな瞳に胸はときめいて。頭が真っ白になって。練習や想定など、何も役に立たない。

 捷羅ショウラの反応に驚いたのか、禾葩カハナはきょとんとして首を傾げたが、すぐににこりと笑った。そうして朗らかに話す禾葩カハナに、捷羅ショウラは救われた。

 それから二度会ったが、その合計三回会った時間を合わせても一時間にも満たないくらいのときを過ごし、捷羅ショウラが誕生日を迎えた日に結婚した。

 捷羅ショウラは幸せだった。次期当主として『婚約者は決められる』と思っていたからこそ、『妃は大切にしたい』と強く願っていた。恋に心を閉ざして生きてきて、まさか、初恋の人と結婚できるとは思ってもいなかったから。とても、とても幸せで。

 禾葩カハナ捷羅ショウラのとなりで幸せそうに笑っていた。捷羅ショウラはやさしい。禾葩カハナも、幸せだったに違いない。──結婚した当日は。


 ふたりの結婚生活は、一ヶ月に満たなかった。──禾葩カハナが自ら命を絶って。そう、捷羅ショウラが墓前で握る短剣で。


 あれは結婚から三週間ほど経ったころだろうか。

 捷羅ショウラは夜中にふと目を覚ました。となりにいるはずの禾葩カハナがいない。ふしぎに思い、周囲を見渡したが見当たらない。

 水を飲みに行ったのかもしれないと、しばらく待ったが一向に戻ってこない。

 やがて捷羅ショウラは、ベッドから体を起こす。

 薄暗い室内を歩く。すると、うっすらと光が見えた。その光の先には、バスルーム。近づくまで気づかなかったが、流れる水の音が聞こえてきた。

 奇妙に思いながらも捷羅ショウラは近づく。

禾葩カハナさん?」

 呼びかけても、流れる水の音だけが聞こえ、捷羅ショウラはノックをしてまた呼びかけた。──何回か繰り返したが、返事はなく。


 サーーーー


 開けることをためらっている間も、水の音だけが止まらない。

「開けます……よ?」

 うかがうようにして開き始めた捷羅ショウラには、更に強く水の音が聞こえてきて。


 ザーーーーーーー


 大雨に打たれるような衝撃を受けた。──そこには、全裸で横たわる禾葩カハナの姿があり。周囲には、流水で薄まった血液が、彼女の体を浮き立たせるように広がっていて。

……禾葩カハナさん!」

 捷羅ショウラは叫び、ぬれることを厭わず飛び込む。そうして、何度も何度も、彼女を懸命に呼びかけた。

 けれど、反応はなく。禾葩カハナの体は脈を刻んでいなかった。──もう手遅れだと、彼が力なくうなだれたとき、彼女の手元にあった短剣に気づき、手を伸ばす。触れて、彼女の傷ついた手首に視線を移すと、傷はひとつだけで。

 つまり、彼女には迷いがなかったということで。

 彼は短剣を握り締めた。

 短剣を握り、目の前の彼女の姿を呆然と見る。彼女を見て思い出すのは、どれも胸が弾むような記憶ばかりで。きれいだとか、かわいいとか、愛おしいとか、そう思った記憶ばかりで。

 彼女を責めるとか、どうしてと聞きたいとか、そういう気持ちではなく、ただただ、これからも一緒にいたいと思うばかりで。

 ──あとを追っていきたい。

 無心で懇願しても、禾葩カハナを想えば想うほど、力は抜けていって。短剣は、スルリと手から落ちた。

「ああ……ああ、ああ……」

 捷羅ショウラは『次期当主』として、愬羅サクラから教育を受け育ってきた。城を継ぐのに、守っていくのに、身勝手に命を絶つことは選べない。

 冷たい水を浴び続けた禾葩カハナの体は、とても冷えていた。


 何日経っても、禾葩カハナの遺書は見つからなかった。

 捷羅ショウラは自室から出ようとせず、短剣を形見だと言わんばかりに手離さないようになっていた。


 それから数週間が過ぎ、捷羅ショウラを見かねた愬羅サクラは暴露する。

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― 新着の感想 ―
[一言] 気持ちの矢印がみんな一方通行! それぞれが苦しくて、でも止められなくて。どうにもならないから悲しい。
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