【56】未来へと続く道(2)
「ええ、そうです」
誄は、ふふふと笑う。
「何?」
沙稀の問いに、瑠既はにやりと口を開いた。
「ここに来る前、大臣が言ったろ? お願いがあるって」
『何があっても、私が呼ぶまではバルコニーに出ないようにしてください』
「私たち、わからないまま了承してしまいましたけれど……了承したのですから。待たなくてはいけません」
おだやかに言うのは誄。──言われてみれば、と沙稀も恭良も表情がゆるむ。
すると、徐々に静かになってきた。大衆が平常心を取り戻しつつある。
大臣は話しを戻さず、先ほどの続きから話し始めた。
「口外できるようになったのは、そう、まずは行方不明だった瑠既様がご帰城されたのです! そして、幼いころに婚約をしていた鐙鷃城のひとり娘、誄姫と、この場を持ちまして正式に婚約を公表いたします!」
大臣は振り返り、チラリと瑠既と誄を見る。
「え? あ……俺?」
登場する順番はずっと前から告げられていたにも関わらず、瑠既は自らを指さし確認をする。大臣は早くと言いたげに首を何度か縦にした。
瑠既の表情が一瞬で強張る。緊張だ。それはそうだろう。大衆の前に姿を出すのは、幼いころに片手ほどあっただけ。尚且つ、瑠既は貴族としての振る舞いにもブランクがありすぎる。
そんな瑠既を、誄は数秒間見つめていた。誄は瑠既とは対照的に、公の場に姿を見せるのを控えていた身。いつでも大衆の前に立つ覚悟はできている。それこそ、瑠既と一緒なら、こんなにうれしいことはない。
一方で、そんな思いを理解できないふたりもいる。沙稀と恭良だ。ふたりは、場慣れしすぎている。
ふたりが瑠既に視線を送るころ、誄は口を開く。
「瑠既様、あの……私、緊張しています。ですからその、手を繋いで……一緒に歩いていただけませんか?」
ほのかに頬を赤くしたのは、緊張からではないだろう。けれど、小声で言った誄に、瑠既は驚いていた。
──緊張していると、気づかれた。
物怖じしていたのを知られたと思えば恥ずかしい。ただ、同時に。寄り添ってくれたのは、ありがたいことで。
無言のまま、瑠既は手を上げる。その手は微かに震えているが、誄は笑顔でその手を握った。
ふたりが歩いていく背中を、恭良は羨望の眼差しで見つめる。何年も、待ち望んでいたこの光景──。
太陽の輝きに包まれたバルコニーに、瑠既と誄の姿が見えると大衆の歓喜が沸く。割れんばかりの拍手が響き、そこでも誄は緊張している瑠既にそっと寄り添う。
大臣は喜びがおさまるのを、しばらく待つ。誄に倣って大衆に手を振る瑠既を見守りながら。
歓喜が一度おさまると、大臣はおもむろに口を開く。
「次に誰をお呼びするかは、もう見当が付いていると思いますが……その前に」
大事なことを言うと事前に告げ、大臣は言う。王と紗如の婚姻関係は偽りだったと。──大衆は静まり返った。
大臣は言葉を止めずに淡々と話す。王の連れ子である恭良に紗如との血縁関係は無いとも。
「以上を、今までの訂正事実として公表します」
大臣が三度頭を深く下げる。
ざわめきが起こり始めた。
紗如が亡くなってから、何重も偽りが重なっていたのだと。
鴻嫗城は全大陸で最高位の地位を長年保持し、世界に君臨している城。だから絶対的な存在であり、人々は従う。信頼が厚いから。──それなのに。その信頼を裏切ってきていた。
大衆が不信感を抱いても否めないこと。大臣は静まるまで頭を下げ続ける──つもりだった。ふと、大臣は左側の人影に気づく。頭を上げないまま、視線だけで人影を辿ると、そこにいたのは。
「あなた方が不信感を抱き、不満に思う気持ちはもっともだ。しかし、『姫』としてこれまで行動してきた彼女も何も知らなかった。今のあなた方と同じだった。今日、この場で明らかにした真実を彼女が知ったのは、つい一週間前のことだ。彼女のとなりで、彼女の言動を見守ってきた俺が誓おう。彼女の『姫』としての行動に、偽りはひとつもない。偽り続けたとなじられるなら、この俺だろう。不審に思うのであれば、俺を疑うがいい。その思いは俺が受け止め、今後、誠意で皆に返していこう。だから、彼女が皆に向けた思いに偽りはなかったと……これだけはご理解いただきたく思う」
沙稀だった。大臣はいつの間にか顔を上げている。大衆は沙稀の言葉を受け、静まっていた。
「あの、沙稀様……」
「勝手なことをして、すまないな」
大臣の不満そうな声を、沙稀は微笑みながら遮る。
話の経緯で、鴻嫗城の後継者は沙稀だと大衆に理解はある。けれど、大臣としては、きちんと『後継者だ』と宣言してから登場してほしかった。
沙稀は大臣と同じようにすべてを知っていて容認してきた者だが、大衆からしてみれば捉え方はまったく異なる。
大臣は城での立場はある者だが、第三者──沙稀は血縁者だ。血筋を隠し、隠ぺいを容認し、姫ではない者を『姫』として寄り添ってきた。
大臣も、沙稀も、想定していないことが起きた。誰からともなく、拍手が沸いてきた。
沙稀が辛い思いをして過ごしてきたと理解する者は、大衆の中に多数いたのだろう。それに、沙稀は何年間も戦地の最前線に赴いていた。梛懦乙大陸が平和になり、保たれているのは誰でもない沙稀のお陰。この拍手は、継承に賛同する意思を示すものだ。
大臣は大衆を見渡す。
大きく息を吸うと、うれしそうに笑う。そして、今日の一大発表だと言わんばかりに──。
「半年後の実りの秋に! 沙稀様と恭良様の婚儀を執り行います!」
一瞬どよめきが沸いたが、すぐに歓喜に変わっていく。
深呼吸をした沙稀は大衆に背を向け、恭良に向かってスッと手を差し出す。──やさしく微笑む沙稀を見て、恭良は涙が込み上げる。それでも、泣く場面ではないと、できる限りの笑顔を無理矢理浮かべ──恭良はうなずき、走り出す。
バルコニーに恭良の姿が見えると、大衆からは喜びと祝福の、それはそれは大きな拍手が上がる。沙稀と恭良はどちらともなく手を取り合い──大衆の祝福を全身で受けながら、しっかりと抱き締め合った。




