【56】未来へと続く道(1)
冷たい風が去り、やわらかい風が吹く季節になった。けれど、目に映る光景は真冬のように冷たいものだ。──大陸総出と言ってもいい。鴻嫗城の正門は開かれ、広大な庭で王の葬儀が厳かに執り行われている。喪服を着た恭良は親族として王の傍らに、沙稀は傭兵の長として警備に目を光らせる。腰にはしっかりと長剣を身に着け、軽装備の甲冑で周囲を見渡している。
瑠既は、
「出席しない」
と前夜に言い、この場に姿はない。けれど、それは混乱を避けるにはちょうどよく。王の葬儀の最中に、瑠既の存在を説明するわけにもいかないわけで。更に、このあと行われる婚約発表で、真っ先に登場する役回り。服装や心の準備をするには、一番時間がほしいだろう。かく言う誄もこの場に姿を現わさず、瑠既といることを選んだ。
傭兵としての務めがこれで最後になると思えば、沙稀はそれなりに複雑で。けれど、追悼の辞を凛として読み上げている恭良を見れば、恭良の方がどんなに複雑な心境か。いや、父には変わりないのだから、慈しめるというものなのか。
気丈な恭良の姿を、沙稀は心にしっかりと焼き付ける。
葬儀が終わり、場を別館のバルコニーに移すと大臣は参列者に移動を求める。──祝い事を別館のバルコニーで行うのは、鴻嫗城の通例。バルコニーは五階にあり、参列者は鴻嫗城を出て、塀の外の広間から城を見上げる形になる。大衆は了承の上でゾロゾロと正門を出ていき、塀に沿って右へと歩いていく。
王が『偽りの王』の発言をして以来の祝い事。
「沙稀様」
大臣に呼ばれて、勤めの最後が告げられるが、
「恭良様との移動を、お願いしますね」
と、護衛はもう一ヶ月前に解任しているというのに、表面上はなんら変らない。混乱を避けるためであるが、このあとに控えている公表をすれば、一時の混乱は避けられないだろう。けれど、間近に控えた沙稀にとっては、もうちいさな問題だ。ふたりで乗り越えていけばいいだけなのだから。
沙稀は大臣に無言でうなずき、恭良に手を差し出す。──喪服をまとっているにも関わらず、その表情には笑顔が咲く。
手を取り合ったふたりは駆け出したが、
「大臣も! 司会が来なければ進まない」
と、沙稀は大臣を急かす。
「ご迷惑はかけませんので。ご心配なさらず」
落ち着きを払う大臣の声。
沙稀はフッと表情をゆるめると、前を向いて走っていく。
喪服から日頃の服装に戻った大臣が、瑠既たちの控室に姿を見せたのは、およそ三十分後。
瑠既は銅を思わせる茶のジュストコールを羽織り、柄の多く入った白が基調のベスト、足元はベストと似た白のロングブーツで身なりを整えている。髪は後ろに流し、襟足を無理矢理まとめており、遠目からなら、何とかごまかしがきくだろう。落ち着かないと不満を言いたげな表情を浮かべている。
沙稀は王位を継承しても剣を手放さないという意思表示か。剣士の正装といえる軍服を身に着け、且つ、普段は装着しない肩章を両肩と胸元、また帯状のものを付けている。もっとも、祝い事らしく軍服の色は白だが。
ふたりの傍らにいる女子は、何とも春らしいドレスを身にまとっている。これから華やかな祝い事を公表すると思えば、とても相応しい装い。
「準備は、よろしいですか?」
大臣の問いに、四人は肯首する。それに大臣は微笑む。
「申し訳ございませんが、私からひとつお願いがございます」
時刻は昼下がり。空には一面に気持ちがいいほどの爽やかな青が広がっている。視線を伸ばせば、春らしく若葉で彩られる木々も。
大臣は先頭を歩く。その後ろには沙稀を初め、恭良と瑠既、誄が、いつでも大臣のあとに続いて登場できるように見守っている。
四人の姿を確認し、大臣は先陣を切ってバルコニーへと向かう。大衆の目の前へと躍り出ると、深々と頭を下げる。
盛大な拍手が沸く。──大衆は、恐らく恭良の吉報を期待しているのだろう。少なくとも、沙稀はそう感じている。大衆の拍手をその身で浴びる大臣を、固唾を呑んで見守る。
大臣はスッと右手を掲げ、上半身を起こす。左手にはマイクを持ち、
「鴻嫗城より、いくつか重大発表がございます」
と開始を告げ、再び深く礼をする。
大衆は静まり返る。──大臣は上半身をゆっくりと上げながら、静かに語り始める。
「これよりお話しいたしますのは、口外を禁じられた十八年前のこと。そう、記憶の片隅にある方々もいらっしゃるのではないでしょうか。あれは、悲劇です。一歩間違えば、由緒正しき鴻嫗城は落城に遭っていたことでしょう」
ざわざわと沸き立つ声。──由緒正しき鴻嫗城の危機。この記憶を封印された、口外を禁止されていた者たちが一斉に口を開き始めた。
沙稀と瑠既は顔を見合わせる。状況が呑み込めない。それは、恭良も。──渦中にいた三人にはわからないこと。だが、誄だけは違う。
「鴻嫗城の言うことは、『絶対』なのです。いわば、この大陸の、いえ、『世界の法』が鴻嫗城なのですよ」
ポツリと言った誄の言葉の意味を汲んだのは、沙稀で。
「もしかして、あの混沌のあと……」
誄は静かにうなずく。
「何?」
瑠既が沙稀に続きをせがむ。けれど、話しについていけないのは、恭良も同じ。
「『沈黙』を、鴻嫗城からの発言として公表していた」
あえて沙稀は『誰が』とは言わないが、恐らく王のしたこと。双子が消えたことに『沈黙』を。姫が突如現れたことへの『沈黙』を。──疑問を口にしない、それを絶対としていた。
四人は表情を固くし、視線を大臣に向ける。そのとき、大衆の声が大臣の声を覆った。
沙稀たちが話していた間も、大臣は続けて大衆に真実を話していた。──瑠既と沙稀が現在に至る経緯を。
騒ぎはこのときに起こっていた。──『沙稀』は有名すぎる人物。この城の『姫』の護衛としても、一流剣士としても。世界中に名を轟かす者。
大衆の中には、あまりのショックに泣き出す者もいる。祝いの場であるはずなのに、広間の雰囲気は程遠い。
大衆が静まるまで待とうと、大臣は口を閉ざす。騒ぎは一時だと信じて。──沙稀には、それだけの信頼が、大衆にもあるはずだから。今はただ、双子の悲劇を悲しんでいるのだと、静まるのを待った。
大臣と離れた場所で待機する瑠既も誄も、思いは同じなのか。ただ、静観する。けれど、恭良は──。
今にもバルコニーへと駆け出してしまいそうで。そんな恭良を、沙稀は制止する。
「大丈夫。大臣を信じて」
「でも……」
恭良は責任を感じているのだろう。これまで『姫』と振る舞ってきたのは恭良なのだから。けれど、恭良が大衆の前に現れるのは逆効果だ。
責任を感じているのは、沙稀も同じ。むしろ、偽り続けたのは沙稀自身だと言いたいのだろう。
「騒ぎがこのまま俺の批判に変わったとしても、構わないから」
恭良は口を一文字にし、首を横に振る。それは嫌だと。
ふと、右側にいる誄が恭良の肩をやさしくポンポンと叩く。恭良は悲しげに誄を見るが、誄はにっこりと微笑む。唇にそっと指を立てて。
「ああ、そういうことか」
三人の様子を見ていた瑠既はポンと手を叩く。




