【54】わだかまり(1)
大臣の言葉を表面通りに受け取れば、そうだと言える。結婚する以上、素性を話すのは誠意でもあるだろう。けれど、大臣はそういう話をしているわけではない。
「これまで揃わなかったものが、すべて揃いました。瑠既様の帰城。加えて、瑠既様は誄姫とご結婚なさると了承しました。婚約発表の予定は、沙稀様と恭良様の婚約を公表する日と、同じ日に調整中です」
沙稀の反応を待たずに、大臣は続ける。沙稀の予想を肯定していく言葉を。
「まず、瑠既様が帰城したと公表します。それから婚約の話に移ります。瑠既様の婚約の話のあと……沙稀様の婚約発表の前に」
「俺の素性を明らかにするつもりか」
大臣の言葉を押し退けて、沙稀は厳しい口調で言う。大臣の計画を否定するかのように。
「そうです」
絶好の機会。これ以上の日はない。沙稀も理屈ではわかっている。
「紗如様が決めた後継者は、沙稀様なのですから」
確かに、大臣の言っていることは正しい。正論そのものだ。
『本来のもの』にようやく戻れる──生年月日も年齢も。鴻嫗城の第二子という身分にも。鴻嫗城の後継者にも。
それなのに、沙稀には──うれしいという感情が一切沸かない。待ち望んでいたというよりは、恐れていたという方が近い感覚。
「恭良様が心配なのですか?」
無言のままの沙稀に、大臣は問う。──『心配』そんな一言で片付けられることではないのに。
沙稀が『本来のもの』に戻るには、王の悪行も恭良に知らせなくてはいけない。王の悪行を公にしてこそ、沙稀は年齢を戻せる。
加えて、恭良と婚約するには、王が偽って王の座にいたことも公表しなくてはいけないだろう。恭良は王の連れ子だと沙稀は聞いているが、恭良はそれを知らない。
恭良は、母が紗如だと信じていただろう。鴻嫗城の姫だと、身分を疑ったこともないだろう。たったひとつだけでも、真実だと恭良に残せない。
沙稀が『本来のもの』を取り戻すには──恭良が何もかもを失う。ふたりの偽りと真実は、表裏一体になっているのだから。──それは。かつて沙稀が味わった苦痛を、そのまま恭良に課すのと同等のこと。
いや、それ以上かもしれない。沙稀は真実を失い偽りに身を置いてきたが、恭良は真実だと思って生きてきたことが、すべて偽りだったと知ることになる。
それが、どんなに辛いか。
だからこそ、沙稀は真実も偽りも、ひとりでふたり分を受け入れようと決めていた。恭良と婚約を結んでから尚更。
婚約を結んでから、大臣の言うように素性を話すべきかと考えたこともあった。けれど、護衛をしていたときよりも、今のままでいいと思う一方だった。
「それも、ある」
ただ、そう決意を固めていても。胸の奥につかえるものがあり、思わず出た言葉。それを証明するように──沙稀は自らの発言に驚き、再び口を閉ざしている。
できれば、言いたくはない。いや、沙稀にしてみれば言葉にしたくないこと。言ってしまえば、聞いてしまえば、事実になってしまいそうで。
けれど、真相を知らなければと無意識では思っているのだろう。聞くには今しかないと、聞いておかなければと、つい言葉が出てしまったのだろうから。
大臣から沙稀の表情は見えない。すっかり沈黙してしまった沙稀に、大臣はそっけなく言葉を投げる。
「他には?」
「大臣には一度、言ったことがある」
想定外の早い返答に、大臣は首をひねる。
「克主研究所に行く前に、想いを告げるつもりはないとその理由を口にした。ただ、あのときは……多少ごまかした」
あれは、捷羅と羅凍が来た日の夜。紗如と唏劉の描かれた絵画の前で。沙稀が絵本童話を、恭良にあげたことに大臣が苦言を呈したときのこと。
あの日、沙稀は『そんなに俺の本心を聞きたいのなら、教えてやる』と大臣に思いの丈をぶつけた。けれど、何かを言い残した気がした大臣は、『恭良様への想いを秘める理由は、それだけですか?』と言及した。あのとき、沙稀は一番言いたくない表現を使って恭良を示し、自らを擁護する言葉を付け足している。
──今度は、きちんと言わなくてはいけない。
もし、沙稀の推測が正しくとも、絶対に恭良には知られたくないこと。もし、そうだとしても、沙稀は恭良の分まで罪を背負う覚悟だ。
恭良に対する想いを解放した。もう、想いを閉じ込められないと、罪を背負う方を選んでいる。つまり、推測が正解になろうと、婚約を解消する気はない。
婚約解消という選択肢が沙稀にない以上、本来は聞く意味を持たない。結論から言えば、沙稀は今更聞く気がなかったはずだ。──それなのに、思わず言葉を出してしまったからには。どんな言葉を選んだとしても、言うしかないと腹を括る。
沙稀は体の向きを変え、大臣と向き合う。
「俺たちと恭姫の間には、本当に……血縁関係はない?」
まっすぐに向けられた沙稀の視線に、大臣は目を逸らす。
「なぜ、そう思うのです?」
「母上が亡くなる前、俺に……『妹をよろしくね、かわいがってね』と言った。あの言葉は母上が恭良を産まない限り……母上の口からは出ない」
「紗如様に変わって、恭良様をかわいがっていたのは、貴男でしたね」
ああ、と大臣は思い出したように、あの日と同じ言葉を言う。
沙稀は六歳当時、母、紗如とともに『妹』をかわいがっていた。その様子は大臣も見てきた光景。当時、沙稀は本当の妹のように『恭良』と呼び接していて、大臣が感心するほどよく面倒を見ていた。母が亡くなってからも、それは変らず。いや、母がいない分、母に変わって。
沙稀の瞳は、悲しみを増していく。己の推測を否定したいのか、してほしいのか。断定で言ったのだから、否定してほしい気持ちの方が強いだろう。
恭良に沙稀が初めて会ったのは、六歳のとき。恭良は一歳だった。当時の沙稀と同じ、髪も瞳もクロッカスの色彩を持った、ちいさなちいさな存在。
対面するより先に、沙稀は王の連れ子だと大臣から聞いていたが、王の髪と瞳は黄枯茶色。王とは似ても似つかない。
母、紗如の抱く恭良を初めて見たとき、沙稀は恭良を妹だと受け入れようと努めた。クロッカスの髪と瞳の色彩は、高貴な血筋を証明する、高貴な血を受け継ぐ者のみが誇示する色彩だから。
紗如は長年、体調が優れなかった。だからこそ、瑠既も沙稀も、母に会いたくても我慢して幼少期を過ごした。静養に集中できるように、早く元気になってくれるようにと願って。
双子を産んでから体調を崩しがちだった母。そんな母に、子どもが産めたとは考えにくい。それに、誰かと新たな出会いがあったとも考えにくい。
紗如は自室にこもりきりだった。知らない男の出入りがあれば、いくら双子が幼くても目に付く。
王に初めて会ったのは、恭良に初めて会った日と同じ日。昔から大臣が言っているように、恭良は王の連れ子だと考える方が自然だ。
それから数ヶ月して紗如は、先ほど沙稀が口にした言葉を最期に残した。沙稀は母が亡くなってから、幼いながら必死に過ごし。母からの最期の言葉に違和感を覚えなかった。母を安心させたくて、うなずいた言葉だっただけ。
どこからか、運命は狂い。
沙稀は恭良の護衛になって。
ふとしたときに、じんわりと突き刺さるような淡い想いに気づいた。そのときだ。母の最期の言葉が浮かんで、妙に胸をざわつかせた。──沙稀にとっては、恭良への想いを言わないと選ぶ方が、言おうと思うよりも都合がよかった。告げる方を選べば、崩していかなければならない事柄が次から次へと立ち塞がる。沙稀が苦しむだけなら、告げる方を選んだかもしれない。しかし、そちらを選べば、恭良まで幾重にも苦しめることになる。──だから、都合のいい方を選んでいた。
けれど、現状は婚約者になって。どれがよかったとは一概に言えなくなってしまった。恭良が浮かれすぎるほどに浮かれていて。幸せそうで。
ただ、沙稀の思いとは裏腹な現状へ転がってきてしまった。それだけ。
大臣は一呼吸置くと沙稀と向き合い、覚悟を決めたように視線を合わせる。
「では、あくまでその仮説に話を合わせたとして……父親は誰なのです? 紗如様と真に愛し合えた者は?」




