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【49】停滞(2)

「あ、えっと。さ、先に寝てていいからねっ」

 慌てて言い、サッと着替え一式を抱きかかえる。恭良ユキヅキ沙稀イサキの返事を待たず、そそくさと風呂場に逃げ込む。

 風呂場の扉を閉め、恭良ユキヅキは安堵のため息をもらす。──あんなに色気の漂う沙稀イサキは初めて見た。もし、あのまま見入っていたら倒れてしまっていたかもしれないと想像するほどのパニック。

 多少の平常心を取り戻すと、恭良ユキヅキは微かな香りに気づく。

「この香り……」

 漂うアクア系の爽やかな香りに恭良ユキヅキは安らぎを覚える。

沙稀イサキの香りがする……」

 護衛が沙稀イサキになってから、近づくと感じた香り。いい香りだなぁと恭良ユキヅキはうっとりと──風呂場の扉によりかかる。

 長い時間をともに過ごしてきた。それらは、どれも懐かしい。

 そうして、思い出にゆっくりと浸り、今更気づく。

「あ、沙稀イサキって香水使ってたんだ……」

 と。

 細やかな気遣いをする沙稀イサキらしいと恭良ユキヅキはちいさく笑い、やがて浴室へと足を運ぶ。


 ゆっくりとシャワーを浴びていると、気持ちは湯気のようにフワフワとしてきて。脳裏に沙稀イサキが浮かぶ。

「ここに……さっきまで、沙稀イサキが……」

『いた』と思えば、一糸纏わぬ姿が浮かび、恭良ユキヅキの顔は途端に真っ赤になる。──それは、プチパニック。両手を耳元近くで震わせて、声にならぬ悲鳴を上げる。もっとも、シャワーの音しか聞こえないが。

「ああ、駄目。私……こんなに浮かれてしまって……」

 胸元で両手を重ねると、鼓動が早い。照れている。けれど、とてもうれしい。でも、恥ずかしい。それと──。

沙稀イサキは、どう思っているんだろう……」

 不安。

「私みたいな感じじゃ……ない、ような?」

 思い返せば、沙稀イサキは照れる様子はあっても、浮かれた様子はない。微塵も。恭良ユキヅキがお風呂に『一緒に入る?』と冗談を言ったときでさえ。

「ん~……」

 恭良ユキヅキはシャワーを頭に浴びせて、唸る。──できれば、単に沙稀イサキの真面目な性格ゆえと思いたい。

 ──でも。

 と過る不安は、強引にしてしまった自らの行動。瑠既リュウキの言葉に乗り、協力してもらったとはいえ。外堀を埋めるというよりは、逃げ場を奪ってしまった。『嫌じゃなかった』と言ってくれたものの、沙稀イサキ自ら進んでというものではない。

 チクリと胸が痛む。

 不安で胸がいっぱいになりそうになった恭良ユキヅキだが、

「あっ!」

 と、我に返り時計を見る。

「すっかり遅く……なっちゃった……」

 案の定、時計の針は大幅に進んでいた。


 時間を意識してからの恭良ユキヅキは早かった。──とはいえ、彼女の持つ独特の雰囲気のせいで『テキパキ』という表現は似合わない。優雅で無駄のない動きといったところか。


 バタバタと恭良ユキヅキは浴室から出たが、

沙稀イサキはもう夢の中かもしれない」

 と半泣きしているように呟く。

 今にも泣きそうな状態で髪を乾かす。──その姿は、『姫』という言葉が程遠い。

 髪を乾かし終わると、そこは抜かりなく。きちんと整え、

「うん!」

 と身だしなみを確認し、風呂場を出る。恭良ユキヅキがうかがうように戸を開けると、室内はまだ明るい。

「つけたまま……にしてくれたのかな?」

 ポツリと呟き、一歩、踏み出す。


 気遣いなのか、起きているのか──恭良ユキヅキはそっと寝室に近づく。ベッドまで辿り着くと、彼が寝ているかもしれないと、恭良ユキヅキはすぐに灯りをちいさく変えた。

 黄色くやわらかな光に変わった瞬間、沙稀イサキが微かに動いた。気のせいかもしれないと恭良ユキヅキは足早に近づく。すると、もう一度わずかに沙稀イサキは動き、

「寝てると思った」

 と、恭良ユキヅキは口角を上げる。──けれど、それはほんの数秒。恭良ユキヅキの声に反応してまぶたを開けた沙稀イサキの表情を見て、笑顔は消えた。

 ほんのりとした灯りの中で視線の合った彼の瞳は、彼女を映した途端に涙を溜めていく。彼女は手を伸ばす。

「ずっと……眠れなくて」

 彼の瞳からは涙があふれ、やさしいぬくもりが彼女の手を伝う。

 彼女の手がそっと頬を包むと、彼は糸が切れたように号泣した。彼女の手にすがるでもなく、涙を恥じて目元を抑えるでもなく。ただただ無心に。

 恭良ユキヅキは急いでベッドに入り、沙稀イサキを抱き締める。ふしぎな感覚だ。今まで見てきた沙稀イサキからはまったく想像ができず、壊れてしまったような。どうなってしまったのかは、さっぱりわからない。

 けれど、嫌だとも思わない。頼りないとも思わない。かえって、子どものように泣く様子に安心した節がある。

 これまでの沙稀イサキはいつもどこか張り詰めていて。見えない壁や見えない線がどこかにあったようにも感じて。──それらが崩れたのだろうか。壊れたのだろうか。そんな感覚にも思えてくる。やっと素を見せてくれるのか、素になってくれるのか。そんな風に思っていると、いつの間にか沙稀イサキは泣き疲れた子どものように眠っていた。

 腕の中のちいさな寝息を聞き、

「かわいい」

 と、恭良ユキヅキはクスクスと笑った。




 翌日、恭良ユキヅキが目を覚ますと、沙稀イサキはすでに身なりを整えていた。上半身を起こすと、それに沙稀イサキは気づいたようで、正面を向く。それは、ベッドからかなりの距離。近づきもせず、寝起きの恭良ユキヅキに深々と頭を下げる。

「昨夜は……すみませんでした」

 気まずい、気恥ずかしいなんてものではないだろう。微動だにしない。

 恭良ユキヅキはその気持ちを汲んだのか、ベッドから弾むように出てちょこちょこと沙稀イサキの前へと行く。にこりと微笑んで。

「少しは眠れた?」

「はい」

 恭良ユキヅキの発した明るい声とは正反対に、沙稀イサキの声は沈んでいる。一向に頭を上げようともしない。

 恭良ユキヅキは首を傾げ──何かを閃いたのか、にこりと笑った。次の瞬間、屈んで沙稀イサキの視界に入る。

 沙稀イサキの上半身が影になって、ふたりは薄暗い中で視線を合わす。

 にこりと笑って見上げる恭良ユキヅキを見た沙稀イサキは、一気に赤面。慌てて上半身を背ける。──その様子に、恭良ユキヅキは幸せだと笑った。

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