【7】儚い美形(1)
羅凍は苦笑いを浮かべ、うなずく。羅凍は貴族なのに、かしこまったやりとりが苦手だ。
城主の息子と一剣士。本来は人前で言葉を崩してならないのは、沙稀の方だ。沙稀は鴻嫗城の姫の護衛とはいえ、城主の次男と身分を到底並べられない。
しかし、堅苦しい雰囲気を羅凍が嫌う。そして、『剣士という立場でいえばS級剣士がはるかに上』と理屈まで言う。──結果、このふたりは出会ってわずかな時間で互いに敬語と敬称を取り払って話す間柄になった。ただし、人前以外でというのは大前提だ。
「ふたりだけの方が、俺も気楽に話せるからさ」
「ありがとう」
沙稀につられ、羅凍にも笑顔が咲く。
ふと、凪裟と恭良の後ろ姿を見、
「あのふたり、後ろから見るとよく似ているんだね」
と、羅凍は言った。
「羅凍が凪裟も恭姫も知らないとしたら、どっちが『鴻嫗城の姫』だと思う?」
沙稀の言葉に驚いた羅凍だが、質問した方は至っておだやかだ。まるで単なる遊び、クイズだと言うかのよう。
「知らなかったら、か。う~ん、凪裟の方かなって思うかも。……髪の毛の長さかなぁ。会っていたとしても、もし恭良様と同じくらいしか凪裟とも会わなかったら、見間違えるかもなぁ」
最高位の姫、恭良と直接会える限られた人物でさえ、姫と直接会うのは年に数える程度。──羅凍の言う通りだ。凪裟と恭良は後ろ姿が似ている。実際は体格の差があるのだが、あまり会わないがゆえに、後ろ姿では凪裟を『姫』と間違える輩は多い。
「実際、多いよ。恭姫に謁見したあとでも、凪裟を恭姫だと勘違いされること」
もっとも、恭良が凪裟のように膝を出すことはないが、それはごく身近な人物しか知らない。つまり、凪裟は姫の影武者にちょうどいい。──そう思っていたのは大臣だったか。それを理解しても、沙稀は。
「さっき、色々と言葉を選びながら言った?」
沙稀は悪戯に笑う。
「そりゃそうだよ。沙稀みたいに近い距離の人じゃないんだから、俺は」
「立場は羅凍の方が近いよ」
「いいや、激しく遠い。やっぱり、世界に君臨する姫と五位の羅暁城とは違うし。それに、俺は城の人間だっていう意識は低いしさぁ」
「低い? あれ、俺との身長差が十センチ以上あるとは思っていたけど、更に伸びた?」
真顔で言う沙稀に、思わず羅凍は笑う。
「いい加減伸びないよ。俺、二十四だよ?」
友人を気楽に持てない恭良には、凪裟がいてくれることがうれしそうだった。恭良にとって凪裟は親友。一方の凪裟にとって恭良は『姫』だが、妹のような大切な存在。そんなふたりの関係を知っていても、沙稀は己の信念を曲げようとは思わなかった。
沙稀にとっても、凪裟は城内で気楽に話せる唯一の友人だったのに。
大臣の意向に気づいても気づかないふりをして、無言で賛同したのだ。
「凪裟がいなくなったら、寂しい?」
捷羅と結婚するなら、凪裟は鴻嫗城を去る。それを踏まえて、羅凍は沙稀に言ったのだろう。──城内で気楽に話せる唯一の友人だった。冗談を言い合ったり、喜び合ったりした。相談にのったり、辛いときに一緒にいたり。一部は、凪裟の一方的なもので、沙稀が相談したり、辛いと言ったりしたことはない。だが、凪裟の悩みや辛さを聞いて支えてもらったことは多かった。自分だけが辛いのではないと。
ただ、永遠に続くものではないと、どこかで──影武者と思うなら、余計に心のどこかで思っていたのかもしれない。
「凪裟は十一歳で鴻嫗城へと来た。鴻嫗城は凪裟にとっては遠い親族で、身を寄せるようにと勧めたのは、大臣だった。確かに、色んな思い出がある。城が落魄した傷は消せるものでもないだろうし、両親を失った傷も深いだろう。……元来は城の一人娘だったんだ。それを思えば、今回の話はよかったと思っている」
似た境遇だからこそ、わかることは多かった。けれど、ひとつ──理解したくないこともあった。
「今のように、クロッカスの瞳と髪を恥じていてほしくない」
「確かに、社交場で『どこの姫?』って目を引くから……気にするよね」
クロッカスの色彩、その意味を理解している者が集まる社交場では特に目立つ。
かくいう羅凍も、過去に凪裟のこの傷に触れてしまったことがある。致し方ないが、城が落魄したことを話したがる者はいない。
「何かしらの事情を抱えて、出身を隠したいと思う者の中には、髪を染める者や短髪にし身分を捨てる者もいる。凪裟は鴻嫗城にいるからこそ、どちらもしないで日々の生活を送ってこられた。捷羅様と結婚すれば、社交場に出てもこれまでのような思いをせずに済む。きちんとした身分になるというのもあるが、幸い、捷羅様は凪裟の気持ちに過敏そうだから……何かがあっても守ってくれるだろう」
「はぁ、沙稀にそう思ってもらえているならよかったよ。……相手が兄上だからさ。祝福してもらえないんじゃないかとか、どう思われているんだろうとか心配だったんだ」
「ああ、色んな噂は耳にする」
率直に言う沙稀に対し、羅凍は苦笑いする。
「そうだよね」
「ただ、これまでのことは過去だ。凪裟を想う気持ちが本物なら、すべてをきれいに清算してくれると願っているよ」
「俺も、そう思う」
羅凍にとっては耳の痛い話だ。自然と首が垂れ下がる。羅凍に向けられたものではなく、己の身は潔白にも関わらず。
「折角会えたんだ。少しだけ、手合せ願いたい」
沙稀の申し出に、羅凍の顔は上がる。その目は丸く、驚きが露骨に出ている。
「うん。……え、あ……どっちだっけ」
「こっち」
うれしさのあまり動揺する羅凍を、沙稀は誘導する。──手合せしたいのは、羅凍の方だ。
そのまま、ふたりは稽古場へと向かう。
板張りの床が見えてきたころ、使用人たちの黄色い声があちこちで聞こえ始めた。