【Program3】2
周囲を幼子たちが歩いている。前を見れば黎馨がその子たちを気遣っている。見渡す限りは土ばかり。木々は、ところどころにしかない。
「琉菜磬様?」
幼子に気遣われて意識すれば、呼吸がやや荒い。
「大丈夫だよ。ありがとう」
返事をすれば、幼子はにっこりと笑う。目的の場所までは、あと少し。──そうだ、戦地を避けながら過ごし、神如へと戻るところだ。足がおぼつかないが、まだ動かせる。
養父から授かったパナギアに手を伸ばした、そのとき。
「お姉ちゃん!」
遠くから響いた声に、琉菜磬は視線を投げる。
そこにいるのは、幾分か年下に見える少女。靴も履かずに歩き、白緑色の髪が強い風に吹かれているように揺れている。
その少女の前を歩いているのは、異形の、獣のような姿のモノ。人と同じように二本足で歩いているが、腕や爪が異常に長い。けれど、よく見れば。その手足を覆う毛は白緑色で。
ドキリとする。噂程度に耳にしていた『四戦獣』のひとりではないかと。
「何で? 嫌だよ。お姉ちゃん! 私を置いて行かないでっ! もう、ひとりにしちゃ……嫌だ。嫌だよぅ!」
少女は体が壊れてしまいそうなほど、全身で泣き叫んでいる。
直感──『獣』を追っていこうと少女はしている。琉菜磬は思わず駆け出していた。無我夢中で少女の手をつかみ、止める。
少女は暴れだしたが、琉菜磬は必死に止めた。
「いやぁあ! 放してっ。私も行くの、お姉ちゃんと一緒にいたいのっ!」
「落ち着きなさい! 君のお姉さんは、それを望んでいない」
琉菜磬は少女を戒める。
暴れる少女を抱き締めるように、必死に抑え込む。少女からはボロボロと涙が落ち、琉菜磬の手や顔にも跳ねた。
ふと、『獣』が振り返った気がした。それは、「ありがとう」と言われているようで。──そのとき、琉菜磬は『獣』が見たことのある人物であった気がした。
いったい、誰だったか。そう思い出そうと『獣』の背を見つめ続ける。その間も、少女は姉を呼び、叫び求めた。
ダランと力を失った少女を琉菜磬は連れ、黎馨と孤児たち、数人のシスターたちとともに、教会へと戻ってきた。
教会の外部、内部はいくつも破損しているところがあり、廃墟と化している。ただ、何より今は。誰一人欠けずにこの地に帰ってこられたことに、琉菜磬は感謝していた。
皆で教会に入り、そっと少女を壁にもたれかからせたあと、
「黎馨、みんなも」
そう言ってシスターたちと孤児たち集め、胸に手を当てる。
「神に感謝を」
しばらく感謝を捧げ、それが合図のように生活へと戻る。
まずは掃除だ。皆で掃除道具になりそうなものを探し、床や壁をきれいにしていく。そうしているうちに、ふしぎと皆に笑顔が咲いていった。
少女は泣き疲れたように眠っていた。琉菜磬の心境は複雑だ。戦いは終わったにも関わらず、目の前で眠る少女の中では何も終わってなどいないのだと、痛感させられる。
見つめていると、意識を取り戻したのか。少女はうっすらと目を開いた。呆然と少女はしていたが、教会の中にいると理解したのか、琉菜磬をジッと見て口を開く。
「どうしてあのとき……私を行かせてくれなかったの」
問いというよりは、非難。けれど、琉菜磬は口を開かない。まるで、少女の言葉を待っているかのように。
少女は徐々に歯を食いしばって、瞳に悔し涙をあふれさせる。
「もう、ひとりじゃなくなるはずだったのに。もう、ひとりは嫌なのにっ! どうして? やっと……やっと会えた! なのに、どうして私をお姉ちゃんと一緒に行かせてくれなかったの!」
怒りを露わにした少女を見たまま、琉菜磬はようやく静かに話しかける。
「君は……どうしてお姉さんが君を置いてこの地を離れたのか、考えたことがある?」
やさしい口調だが、強いもの。
少女は言葉に詰まったように、口を一文字にする。けれど、その表情にはしっかりと『事情なんて何も知らないくせに』と書いてある。
少女が一方的に琉菜磬を責めるのはかんたんだっただろう。それなのに、少女は岩のように沈黙を貫く。
少女は白緑色の髪とアクアの瞳。女悪神の血を継いでいる身だ。恐らく、あの獣のような姿をした者だけが生きている家族だったのだろう。
何年間、最後の家族と離れていたのか琉菜磬にはわからない。ただ、想像できるのは、身近にいた家族を失ってからは、感情を他人に曝け出すこともできなかったのだろうということ。それと、少女は──様々な死体を目の当たりにし、その横を歩き、ずっと姉を探し求めていたのだろうということ。誰にも頼れずに。
戦いは終わり、教会にいる今、女悪神の血を継いでいるからという理由でどこかに連れていかれる心配はないと理解しているはずだ。威嚇はしていても、警戒はない。
警戒なく、少女は涙を落とし続けている。
「お姉さんだって君と離れること、この地を去っていくこと……戦いに行くことを望んでいたわけではないだろう。辛かったはずだ。君のことも、誰よりも心から心配していたはず」
以前、人目を憚るように教会にいた男女が脳裏に浮かぶ。あのときの『刻水』と呼ばれていた女性と、少女が『姉』と呼ぶあの『獣』のようなモノは、同一人物ではないかと点と点が繋がっていく。
琉菜磬はそっと、少女の手を包み込む。
「きっとね、お姉さんはわかっていたんだ。いつかは君が独りになってしまうこと。それでもひとりの人間として、幸せになってほしいと願ったんだよ。『女悪神』の血がね、流れている身だとしても。……それを忘れるくらいに」
琉菜磬の言葉に、少女の瞳が大きく見開く。
少女は気づいたのだろう。白髪だが、琉菜磬の瞳の色もアクアだと。
少女の瞳がまさかと揺れている。
その想いを汲み取ろうと、琉菜磬は首元のホックを外し始める。ボタンを三つほど開け、右側の肌を露わにする。
「僕のコードNo.だよ。『30497』……もっとも、女悪神の男は開発所からすれば失敗作だから、正式には『30497Er.』だけど」
琉菜磬の右の鎖骨の下に押された焼き印は『Er.』がより太字で押されている。それがまた、失敗作と強調されているようでもあって。
「あ……」
少女はちいさな声を上げ、視線を伏せる。言葉を失ったのだろう。こんな思いはわからないと目で攻め続けていたのだから。
複雑な表情を浮かべる少女に対し、琉菜磬は上着を元に戻すと言葉を続けた。
「名前は何ていうの? 今まで、聞く間がなかった」
素性を明かした琉菜磬は微笑んでいる。
少女はぎこちなく顔を上げると、安心で泣き崩れそうな表情で琉菜磬を見つめた。
「悠水。……ゆったりと水が流れるくらいに幸せな状態で生きていけるようにって意味なんだって。お姉ちゃんが、付けてくれた名前なの」
寂しげな言葉だったが、琉菜磬にはじんわりと心に広がる言葉だった。
その後、琉菜磬は悠水に『ここにいるように』と諭した。
彼女の『独りになりたくない』という悲痛な思いは、よくわかる。永遠の孤独──死──は琉菜磬にとって身近なものだ。
悠水は黎馨を初め、シスターや孤児たちのあたたかい笑顔にも背中を押され、教会に身を置くことを決めた。




