★【6】訪問者
捷羅たちが来る朝を迎えた。鴻嫗城の時間はおだやかに流れており、この日も姫と護衛はともに朝食を嗜む。
「そういえば、いつから一緒に食べるようになったんだっけ?」
「俺が就任して半年後からです」
恭良の問いに沙稀は答える。だが、その返答は空気にふんわりと漂い、恭良はぼんやりとしていた。沙稀は改めて声をかける。
「どうかしましたか?」
「昨日、凪裟に色々聞かれて……どうだったかなと思って」
──色々。
それは、何を意味するのか。沙稀の表情は引きつる。
幸いなことに、恭良は変わらず空を見つめていて、沙稀の表情の変化に気づいていない。
凪裟の疑問は正しい。常識で考えれば、姫と護衛が食事をともにするのはあり得ないこと。沙稀の性格を考えれば尚更。
よほどのことがない限り沙稀は非常識なことをしない。──凪裟に詮索されても致し方ないことだ。
「『寂しい』って……泣いちゃったのよね。ひとりで食べたくない~って。私、沙稀を困らせてばかりね」
「十二、三歳のころの話です。姫とはいえ、ひとりでの食事が辛いと思うのは、当然かと」
やさしいねと恭良は言い、微笑む。
「あのときは、どうして寂しいのかわからなかったんだけど……あれから何年か経ってから、私にお兄様がいるって知って。何となく、お兄様がいなくなったときに似ていたのかなって思ったの。……記憶にはないんだけど、どこかで覚えているのね。たぶん、食事の前に沙稀がいなくなるのが置いていかれるようで、怖くて、嫌で……そんな風にどこかで感じて、それで駄々をこねたのね」
人形のように整ったかわいらしい唇で物悲しい過去を語っていても、その可憐さは悲しさでほころぶ影も見せない。かえって、華奢な体が彼女の可憐さを引き立たせる。
「そうだったのですか」
決して大きい服をまとっているわけではないのに、女性らしい体のラインはまったく出ていない。多くの姫が選ぶような『肩を露出するドレス』を彼女はまず身に着けない。――そう、ドレスを彼女は自ら選ぶ。それは、彼女のこだわりだ。唯一の癒しの時間と言ってもいい。
沙稀が護衛に就いたころは、恭良にこだわりがなかった。用意される服をただ身に着けていた。
身に着けたくないと思っていても、用意してくれたのだからと。周囲に気を遣いすぎていて──どちらが『姫』で、どちらが『使用人』なのかわからないほど。それを、沙稀は見抜いた。半年ほど経ち、沙稀は恭良を叱咤する。もっと自分の意見を持ち、はっきりと言うべきだと。恭良はきょとんとして、笑った。それからだ。恭良が少しずつ、意見を言うようになったのは。
あのころの幼い恭良も、沙稀の中にはしっかりと刻まれている。
「兄上に……会いたいと思いますか?」
「うん。私が個人的にお会いしたいっていう思いも、もちろんあるんだけど……私自身よりも、お姉様に会わせてあげたいかなぁ。見てみたいんだぁ、お姉様のウエディングドレス姿」
幼い恭良に対する周囲の悪い言葉も耳にしたが、その変化を沙稀は喜んだものだ。
それは、過去の話で。
今の恭良は両手を組んで憧れを口にし、満面の笑みを浮かべている。
「ねぇ、きれいだと思わない?」
「そうですね。はい、きっと誄姫はお美しいのでしょうね」
沙稀の口角が上がったのは、発言とはまったく違うことに対してだったにも関わらず、恭良の頬はぷっくりと膨らむ。
「あんまりお姉様を褒めると、妬いちゃう」
「はい?」
「もう、沙稀は……」
「何です?」
立ち上がる恭良に、慌てて沙稀も立ち上がる。更に恭良の頬は膨らみ、破裂した。
「何でもないっ」
食事の場から出ていく恭良を、沙稀は追いかけていく。
恭良に続いて右に曲がり、長い廊下へと出る。右手側は一面ガラス張り。恭良は一直線に廊下を歩く。陽射しが注ぎ込み、彼女を歓迎するように包む。右手側には美しい花々が話しかけるように咲いている。
ふと、恭良はガラスの向こうに視線を向けた。そして、外の明るい景色に吸い込まれるように窓へと近づく。
『きれい』と聞こえてきそうな光景に、沙稀は声を発する。
「今日はいい天気ですね」
おだやかな口調だが、言葉に意味はない。ただ、聞こえてきそうな声を消せれば、それでよかった。
一メートルほど離れた場所から聞こえた声に、恭良は振り向く。
「うん」
うれしそうに恭良は照れ笑いをする。──その表情に、沙稀は防いだはずの過去が重なり、思わず視線を逸らす。
逸らした視界には中庭の景色が映ったにも関わらず、それは妨げられた。その手前のガラスに意識を取られる。
ガラスに映っているのは、軽装備を身に着けたリラの長い髪と同色の瞳を持った青年。
──誰だ?
沙稀自身の姿にも関わらず、沙稀はガラスに映るその姿を第三者のように眺める。
「沙稀~、そろそろ捷羅様たちがいらっしゃるわ」
「はい」
語尾が弾む恭良の声。反射的に沙稀は反応する。
恭良が腕を大きく振り、楽しげに呼んでいた。いつの間にか距離が倍近く離れている。沙稀は意識をその場に置き去りにし、走り出す。
恭良の笑顔を見ると、沙稀の心は時折締め付けられる。――恭良を『鴻嫗城の姫』であると認めたのは、己なのだと。
正門に辿り着くと、凪裟の後ろ姿が見えた。その奥には、黒髪の男性がふたり立っている。それぞれに会釈をすると、両者とも凪裟に近づく。
恭良と沙稀は足を止める。
目を惹くのは、背の高い方だ。高い位置で一本にまとまった漆黒の髪が、装飾の鮮やかな色と互いに引き立てあっている。剣術によってほどよく締まった体つきにマントの外側の赤がよく似合う。──彼は、弟の羅凍だ。黒い瞳もまた、宝石のように艶やかで、どこに行っても黄色い声がどこからともなく聞こえるのが納得できる。
しかし、残念なことに、本人は向けられている視線も声も、他の誰かに向けられていると思っている。ゆえに、罪深い。
もう一方の者は、凪裟の前でひざまずき、あいさつを交わす。優雅な仕草と微笑む姿は上品で、紳士的な印象を与える。──こちらが兄の捷羅だ。低い位置で漆黒の髪をまとめ、燕尾の上着を着ている。光沢のあるグレーだが、鮮やかな色味はない。
背は五センチほどの差だが、美人と称される羅凍に対し、捷羅はやさしい顔立ちだ。声もまったく違い、羅凍の方が低い。この二卵性双生児を、双子と認識する者は多くない。本人たちでさえ──羅凍は捷羅のことを『兄』と呼ぶ。
「恭良様、沙稀」
振り返った凪裟は出迎えに気づくと、駆け寄る。それに訪問者の兄弟は深く頭を下げる。兄はこなれて、弟はぎこちなく。
「ようこそお越しくださいました」
恭良は可憐に微笑み、沙稀は会釈をする。凪裟に続き、訪問者の兄弟も合流すると、
「ご案内します」
と、凪裟が緊張したように言った。
五人は誰が言うでもなく、二組にわかれて歩いていた。前を歩くのが捷羅、凪裟、恭良。後ろを歩くのが羅凍と沙稀だ。前の三名は談笑をしているが、仲がいいという後方の二名は無言のまま。
城内に入ってまもなく、沙稀は何かに引っ張られた気がして視線を向ける。──羅凍だ。特に何を言うでもないが、ただ気まずそうな雰囲気があふれ出ていた。
「恭姫」
沙稀は羅凍に問うことはせず、なぜか恭良を呼ぶ。
「申し訳ありません。少し席を外します」
「え~、沙稀は一緒に聞かないの? ああ、知ってるんだもんね」
「いいえ、詳細までは。のちほど、またご一緒させていただきます」
恭良の表情は不満で埋まったが、ジッと沙稀を見、
「わかった。またね」
と、了承の返事を出す。沙稀は足を止め、見送るように頭を下げる。
足音と談笑が遠ざかると、沙稀はゆっくりと視界を上げた。すると、
「ごめん。その……大変だね」
と、羅凍が声をかける。沙稀は首を横に振り、やわらかい表情で答える。
「大変ではないよ。苦手でしょ、ああいう雰囲気」




