94 街であばれまわった海賊たちが勝手に倒れ出した
俺は、ホライ・ゾンと決着をつけるつもりで船に乗り込んだ。だが、ホライ・ゾンは配下に分け与えた自分の力を、自由に回収できるらしい。
普通に戦っても強く、まともにやり合えば俺は勝てない。スキルや魔法を駆使して、どうにか勝てる相手だが、ホライ・ゾンの力のストックが尽きる前に俺自身のMP尽きるだろうと想定できたので、俺は一時逃げることにした。
一旦船から降りて、こっそり船を追うのだ。時間はあまりかけられない。俺は、自分の体にたまったホライ・ゾンの血をピノに預けてしまった。時間が経てば、その血がピノを殺してしまう。その前に、ホライ・ゾンを殺さなければならない。
だが、俺の苦渋の選択をあざ笑うかのように、船長室を飛び出した俺の前に、黒い影が立ちふさがった。
俺は立ち止まった。まともに飛びかかっても、組み合えばホライ・ゾンの方が強い。スキルも尽きつつあった。使えるのは魔法だ。だが、ホライ・ゾンを一撃で吹き飛ばせる強力な魔法は、何度も放てない。同じことを繰り返していれば、俺は確実に追い詰められ、殺される。
「……アリス、しっかり掴まっていろよ」
「わかったわ」
頭に刺すような痛みが走る。アリスが捕まったのだ。アリスはカマキリであり、両腕が釜となっている。言ったのは俺だし、文句を言えるはずもない。だが、きっと血が出ている。
「バン、レベル3」
『バン』は爆発の魔法だ。レベル1でMPを5消費し、レベルが1上がる度に累乗で消費MPが上がる。レベル3であれば、消費MPは125にも及ぶ。この魔法で、俺のMPはほぼ尽きる。
ホライ・ゾンだけでなく、周囲の空間が吹き飛んだ。「バン」のもう一つの特徴は、俺の使う魔法には珍しく、狙った対象だけでなく、周囲まで爆発の影響を受けるということだ。
ホライ・ゾンが爆発したのと同じ衝撃で、通路の壁、床、天井が吹き飛んだ。
いかに大きな船でも、外から風が入り込んだ。俺はその風に飛び込んだ。
必死だった。その先に何があるか、俺は考えもしなかった。海だった。海に落ちたところで、俺は溺れない。だが、命取りになる奴がいる。
「キャーーーー!」
俺の頭の上で、アリスが叫んだ。海に落ちれば、昆虫は弱い。昆虫の最強種カマキリを喜んで食べる巨大な魚が、それこそ雲霞のようにいるのだ。食われなくても水に濡れてはまともに動けなくなるのが昆虫だ。
「お、落ちるーーーーーー!」
俺は焦った。このまま、アリスを海に落とすわけにはいかない。
俺は落下しながら、自分の頭の上に手を伸ばした。アリスの細い体を掴み、放り投げようとした。空に投げれば、飛ぶこともできる。空にも天敵はいるが、後は運任せだ。
そう思ったが、俺の手は、予想外のものをつかんだ。
アリスの細いが硬質の胴体ではなく、俺の手に、もふっとした感触が伝わった。
ほぼ同時に、俺の頭に、心地よい圧迫が加わる。
首を上に向けると、陽光を受けて輝いて見えたのは、もふもふした毛だらけの物体だった。
「キャーーーーーー! 食べられる!」
俺は、その正体を知った。
「アリス! 落ち着け! それはララ、転生者だ! ララ、食べるなよ!」
ララは甲板に戻り、海に落ちる俺をじっと見下ろしていた。
口にカマキリをくわえている。
その、あまりにも猫らしい顔つきに一抹の不安を覚えながら、俺は海に落下した。
俺は海に落ちた。
海原から見ると、海賊船がいかに巨大かがわかる。
俺はカナヅチではないが、海中で戦えるほど、自在に泳げるわけではない。
ホライ・ゾンの正体ははっきりとはわからないが、海を任された魔将軍であれば、海中での戦闘が苦手ではないだろう。
ホライ・ゾンは陸にはあがれない。そのことが、せめてもの救いだ。海の中まで追ってこないうちに、俺は陸地を目指した。海賊船は港に停泊している。方向さえ間違えなければ、逃げ切れる。
夢中で泳ぎ、俺はなんとか、陸地にたどり着いた。
息があがった。この世界では、特に最近は、めずらしいことだった。MPがほぼ尽きていることも関係しているのかもしれない。
港から海賊船を見ると、一部が破損しているのが外からわかった。俺が吹き飛ばした場所だ。
疲れた。すぐに戻らなければならない。回復を図りつつ、逃げ回りながら、ホライ・ゾンを魔法で吹き飛ばす。情けない戦い方だが、それしか俺が勝つ方法はない。
MPが回復したら、船に戻らなければ。俺はそう思いながら立ち上がった。膝が笑った。体が疲れている。
「やってくれたね」
野太い声に振り返ると、俺の背後で、盗賊ギルドの恰幅のいいマスターが笑っていた。
「……いや、やっていない。まだ、ホライ・ゾンは生きている。確実に殺さなければ、ピノは助けられない」
「そうなのかい? 街であばれまわった海賊たちが勝手に倒れ出したから、カロンがやったものとばかり思っていたよ」
「倒れた? 海賊たちが?」
「ああ……手がつけられなかった連中が勝手に自滅して、衛兵に縛り上げられたよ。カロンは逃げたほうがいいね。あんたも、指名手配されているからね」
「あんたは?」
「私が盗賊ギルドのボスだなんて、衛兵たちは知らないさ」
「そうか……」
俺は苦笑した。正体不明の悪という言葉が、このマスターには似合わないと考えてしまったからだ。
「それより、もう大丈夫だと思って連れてきちまった……まずかったかい?」
「えっ?」
盗賊ギルドのボスが、背後の小屋を指差した。
港街の、倉庫が並ぶ一画に、見張りのためか、小さな、粗末な小屋がある。窓があった。その窓から、綺麗な顔が見え隠れしていた。
見間違えるはずがない。ピノだ。
ホライ・ゾンを倒すため、また海賊船に戻らなければいけない。だが、もう会えないかもしれない。俺は、なんとなくそう思った。最後に、会っておきたかった。会わなければ後悔すると考えてしまった。
俺は走り出した。呼吸は整っていた。
すぐにたどり着く。
小屋に飛び込み、ピノを抱きしめた。
俺は黙ってピノを抱きしめ、自分の体が濡れていることを思い出した。服が乾くまでには、時間がなさすぎる。
「ピノ、ごめん。濡らしてしまった」
『えへへっ。海の匂いがする』
「ああ……海に落ちた。また……泳げるさ」
『また? 今から泳げばいいのに』
ピノが小首を傾げる。いつもの姿だ。あまりにもいつもの姿に、俺は逆に違和感を覚える。
「ホライ・ゾンを殺さないといけない。そうしないと……ピノが殺されるだろ?」
『……えっ? どうして?』
ピノは忘れてしまったのだろうか。俺がホライ・ゾンの呪縛から逃れるために、ピノに何をしたのか。
「ホライ・ゾンの血が、体の中にある……ここに……だから……」
『大丈夫。これで、最後だよ。私には、わかるの』
「……最後? これで?」
『うん』
ピノは、自分の腹を叩いた。とても嬉しそうだ。
「最後って……ホライ・ゾンは死んだのか?」
『ううん。生きているよ。ここで。でも、他の体は全部カロンが倒したから……残っているのはここだけ。だから……もう、終わったの』
「待てよ。ピノ、じゃあ……ピノのここ……これは……どうやって……追い出すんだ?」
『……まだ、だめ。形をとるまで、ダメ。形をとったら、殺すの。生まれる前にね』
「どうやって?」
『殺すの。入れ物ごと』
「ピノ……何を言っているんだ?」
俺には、ピノが自分を殺せと言っているように聞こえていたのだ。




