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それほどチートではなかった勇者の異世界転生譚  作者: 西玉
闘技場のゴブリン王
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9 ファニーの妹さんかい?

 カロン少年の才能は、絵や言葉に秀でていたのだろう。本来ならば。

 俺は、部屋中にあふれた文字を読むことができた。知らない文字だったが、文字を見ると、上にルビが表示されるのだ。自動翻訳という有難い機能だ。


 ひょっとして、会話も同じ方法で成立しているのかもしれない。俺は普通に日本語を話し、相手はこの世界の言葉を話しているが、ゲーム的な翻訳機能が勝手に通訳してくれているというわけだ。

 俺は壁一面を覆う文字を読み、カロンのあまりの思いの強さに、身震いがした。

狂気と言っていい。これほどまで、1人の人間を思えるものなのだろうかとさえ思う。


 描かれた似顔絵は、あまりにも緻密すぎて、本人に見せたら気持ち悪がられるのではないかと思うレベルだ。

 奴隷として、カロンは自分の特技を伸ばそうとして、文字や絵を勉強したのではないかと思う。見る限り、十分な成果として実を結んでいるが、奴隷商人の目には、余分な能力だったわけだ。あるいは、王都に住む人間は、奴隷に教養など求めなかったのかもしれない。

 俺はもう、剣奴になる決心を固めていた。カロン少年の思いを果たせるかどうかはわからない。


 だが、奴隷になっても、1万に1つの確率で、自由になれるかもしれないのだとはいう。カロン少年はその確率に賭けようとしていた。ならば、俺はもう少し率がいいのではないかと思う。

 何しろ、勇者だ。レベルもあがっている。

あと3日後に買われるのだとして、もうひとレベル上げておきたいところだが、今から出かけるのは危険だろう。


 3日という数をどうやって数えているのかわからないが、遠距離との通信手段があるようには見えない。村長の家でも、この施設でも、電源の差し込み口を見たことはなかった。電気はおろか、水道もないようだ。正確な日数計算ができるかどうかも疑わしい。ならば、これ以上家を離れることは避けた方がいい。奴隷商人の巡回に、間に合わなくなってしまうかもしれない。


 それに、俺自身の問題もある。

 山の中で何度も迷ったことからも、俺が、というより、カロン少年は方向音痴だ。俺も、目印がしっかりしている街中であれば迷うとは思わないが、似たような景色が続く田舎で、山深くに入ってきっちり3日で戻って来られるとは思えなかった。


 従って、俺は残りの日数を、売られるための準備に費やすことにした。まず、壁や床に残されたカロンの絵や文字から、そのまま使用できそうな部分を剥がしてアイテムボックスに入れた。壁は漆喰で、剥がそうと思えば日焼けした皮膚のようにペリペリと剥がれた。

 気持ち悪いほど精緻な似顔絵や、完結した詩のような短い恋の言葉を剥がし取り、アイテムボックスに入れる。


 アイテム表示として、ただ『民家の壁』と表示されたので、勝手に文字が消えていないか不安になったが、取り出すとちゃんと描かれたもの出てきたので安堵する。

 この絵と詩は、幼馴染のファニーに出会えたら渡すことにしよう。もっと描いてくれと言われたら、利き腕を負傷したことにしよう。俺には、絵なんて描けないし、詩も作れないからだ。


 次に、出来るだけ情報を集めることにした。

 この世界は、知らないことだらけだ。

 少しでも多くの情報を得たい。

 カロン少年の部屋を隅々まで調べたが、徹底してファニーのことしか出て来なかった。もう、ファニーという少女のことしか考えられなくなっていたようだ。


 これで、結果的にファニーが少年だという落ちは考えないことにした。カロン少年がどうこうより、俺が耐えられないからだ。

 同じ施設で生活する、子供達にも話しかけてみた。子供たちが奴隷として売られることを夢見ているかどうかはわからないが、売られた方が幸せになれるような言い方を、大人たちはしている。きっと奴隷とされることに、なんら疑問も抱いていないのだろう。


 わかったことは、カロン少年がいかに嫌われていたかということだ。

 カロン少年は、ファニーという同じ年の少女が売られ、自分が最後まで売れ残ってしまった後、別人のようになってしまったようだ。

 誰とも触れ合おうとせず、部屋に閉じこもるか、いままで避けてきた、体を鍛えることに専念していたようだ。少年の奴隷候補は肉体労働を期待されるため、体が丈夫な方が売れやすいらしい。


 カロン少年は、幼い頃から絵や読み書きが得意で、神童扱いをされていたようだ。これだけの才能があれば、きっと裕福な家に買われる。そこで才能を評価され、自由になってファニーを迎えに行くのだろうと、大人たちも思っていたらしい。

 そのために、特に体の弱い子を除いた大部分の少年たちが行なっていた体力訓練をしてこなかった。カロン少年は病気がちで、12歳を迎える最後の巡回でも売れ残り、それから人が変わったかのように鍛えだしたのだという。


 きっと、腹のなかではファニー以外の子供達のことも見下していたのだろう。 

 まともに相手もしてやらなかったのだ。だから、子供達から嫌われているのだ。

 カロン少年のことは気の毒だと思わないでもないが、この世界にくる以前、さして才能を発揮したことのない俺は、共感できなかった。自業自得だとも、いい気味だとも思える。


 もっとも、その全てが現在俺の身に降りかかっているのだから、他人事ではない。全く、他人事ではないのだ。

 『母親』は、俺が想像していたのとは違ったが、事情を聞けば仕方のないことかと思う。異世界に来て、本当の母親が目の前に出て優しく抱擁されたほうが、どうしていいか分からずに困ってしまうだろう。


 この施設に着いた翌日から、奴隷商人が来るまで身支度をしていたいと告げると、かなり親切に細々と注意をくれた。話してみると、『母親』という職業の女性は、カロン少年を気に入っていたことがわかる。だから、剣奴になることを承知したと言っても、規則では禁じられている年齢を超えたカロン少年に寝食を提供していたのだ。

 少年の才能を評価していたことがわかったし、きっと、幼いころからもっと厳しく体を鍛えるように言っておけば、結果は違ったかもしれないと後悔しているのではないかと思った。


 俺がカロン少年の体に入り込んだ異世界人だとはさすがに思っていなかったようだ。山の中で深刻な事態に襲われ、記憶が混乱しているのだ、ぐらいには考えていたらしい。なかなか冷静な考え方だ。子供の頃から村で暮らしていた人間の考え方とは思えない。若い頃は美人だったようだし、やはり奴隷として売られたことがあるのだろうか。


 試しに王都の様子を訪ねてみると、少し驚いたような顔をしたが、楽しそうに思い出を語ってくれた。カロン少年を産んだ女性は身ごもって追い出されたようだが、母親も同じような経緯で王都を追われ、当時の村の『母親』が高齢だったことから、引き継いだのだと教えてくれた。


「以前は、こんなこと、興味なかったのにね」

「だって、後2日でお別れだから」


 俺がそういうと、洗濯物を片付けていた『母親』は、俺の頬を撫でた。


「ファニーのことを諦められれば、この村で狩人になる道もあるのだけど。さっき、村長から聞いたわ。ズンダという狩人が、カロンのことを高く評価しているみたいよ」

「うん。だけど……俺は行くよ。剣奴になれば、村にも少しはお金が入るんだろ。2年も余分にお世話になったんだから、それぐらいの恩返しはさせてよ」


 ごく当たり前のこととして俺が言うと、『母親』は突然涙を流した。何があったのだろう。病気なのだろうか。俺が、洗濯物は任せて休憩するように言うと、『母親』は俺の体に腕を回し、抱きしめた。


「いつの間にか、こんなに立派になって。私の……カロン」


 その言葉は、俺を驚かせた。


「俺を産んだ……ママは……死んだ」

「そうだよ。ママとしては死んだ。ここにいるのは、ただの子供達の管理人だ。自分を産んだ女が、子供達を奴隷にするために育てているなんて、考えたくないだろ」


 俺は、『母親』に抱きしめられていた。『母親』は、間違いなく、俺を産んだ女性だった。俺は首をふる。俺を抱いている女の体を、逆に抱きしめ返す。


「俺……ママの子供でよかった。いままで……ありがとう」

「カロンの母親は、もっと立派で……そう思っていて欲しかったんだ」

「これ以上立派な母親なんて、どこにもいないよ」


 俺たちはしばらく抱き合い、洗濯物が風に吹かれて落ちるまで、そうしていた。






 明日には、奴隷商人が俺を買いに来る。いや、商品を物色に来るので、剣奴として俺を売り込む。

 俺は、漆喰を剥がして穴だらけになった部屋で、壁の隙間から星空を眺めていた。

星々がとても輝いて見えるのは、森の中と変わらない。空気が綺麗だからだろうか。あまりにも、星が近く見える。


 俺が生活していたかつての空に、こんな光景はなかった。あの世界は、経済の繁栄と引き換えに、大切なものをなくしてしまったのではないだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えていた。尖った石をくくりつけた粗末な石斧は新しくしたし、ただの布切れや壊れたサンダルは、粗末な服とサンダルに進化している。


 これ以上、するべき準備もない。他の子供たちに嫌われている以上、別れを惜しむ相手もいない。母親とは、昨日のうちに別れを済ませている。

 寝るしかないのだが、あまりにも星が大きく見えたので、壁際でぼんやりしていたところに、背後から声をかけられた。

 知らない声だった。


「あーぁ……いいのかい? こんなに穴だらけにして。明日にはいなくなるからって、こんなことしなくてもいいじゃん」


 俺が振り向くと、知らない少女が立っていた。本当に、知らない少女だ。いや、俺が知らないだけで、カロン少年は知っているはずの相手なのだ。そうでなければ、今の言葉はおかしい。


「構わないと思うよ。どうせ、前のままじゃ使えなかった。ファニーの絵がびっしり描かれた部屋で、誰が生活したいと思う?」

「ああ……それで、消そうとしてこうなったのか。あの絵を消そうとしたってことは、お姉ちゃんのことは、少しは諦めがついたのかい?」


 少女が近づいてきた。

 星の明かりに照らされて、少女がとても整った顔立ちであることがわかる。もう何年かすれば、素晴らしい美少女に成長するだろう。現状でも美少女だが、俺の目には幼すぎる。たぶん、カロン少年の目からはそれほど幼くはないのだろう。

 少女の年齢は、10歳を少し超えたぐらいだろうか。


「ファニーの妹さんかい?」

「呆れた。あたしのことを忘れたの? 本当に、お姉ちゃん以外のことは見えていなかったんだね。ファニーお姉ちゃんはそりゃ、美人だったよ。美人で気立てがいい、あたしの自慢のお姉ちゃんで、カロンは首ったけだった。でも、奴隷として売られた。たぶん、あたしも売られるっていうか、買われるよ。お姉ちゃんほどじゃないけど、あたしだって捨てたもんじゃないんだもん」


 では、俺と一緒に売られるということだろうか。


「だが、俺は剣奴だ。君は、剣奴じゃないだろ。いい人に買ってもらえるといいな」


 俺がそう言うと、少女はずいと顔を近づけてきた。目が怒っているような気がする。なにか気に障ったのだろうか。


「……本当に、カロンじゃないみたい。みんなが噂しているんだ。山から帰ったら、カロンが別の人みたいになっちゃったって。あの鼻持ちならない高慢ちきが、なんだか良いお兄ちゃんになったって」

「……酷いな」


「酷かったのは、以前のカロンだよ」

「ああ。俺もそう思っていたところだ」

「あははっ。本当に、人が変わったみたいだ。ねぇ、本当に、きみはカロンなの?」


 少女は俺の正面に座ると、問い詰めるように俺を見つめた。目が大きく、短めの髪があちこちに跳ねている。

 カロン少年が描いたこの少女の姉だというファニーは、長いストレートの髪をしていた。それがまったくの妄想でなければ、髪の質が姉とはだいぶ異なるのだろう。だが、それ以外はよく似ているのではないかと思う。


「……一度、死にかけた。だからかな」

「山の中で?」

「うん」


 こんな言い訳で、納得してくれるだろうか。俺は緊張しながら、少女の反応を待った。


「そっか……カロンのことなんか、放っておこうと思ったけど……今のカロンになら、言ってもいいかな」

「何を?」

「あたし、奴隷になんかならない」

「そうか」

「もっと驚くかと思ったのに」


 なぜか、少女は頬を膨らめた。

 驚いた方が良かったのだろうか。だが、現代人である俺の感覚で、街に行けるからというだけで奴隷になりたいとは思えなかった。村の生活がそれほど厳しいのだろうが、喜んで鎖に縛られる人間など聞いたこともない。


「気持ちはわかるよ。売り買いされるなんて、俺だっていやだ」

「でしょ。カロン、やっぱりわかっている」

「では、この村で生活するのか?」


「……やっぱり、わかっていない。この村で、大人たちに逆らって生きて行けるはずがないじゃない。この間会った盗賊に、奴隷になりたくないから仲間にしてくれって言ったら……最近連絡があって……仲間にしてくれるって。信じられなかったよ。これで、あたしは自由で、自由のまま王都にだって行けるよ」


 少女がどうして喜んでいるのか、法治国家の住人だった俺には理解できなかった。

 奴隷であれば、せめて法によって守られるだろう。だが、盗賊となれば別だ。ゲーム世界のように、ただ鍵開けが得意だったり、特殊なスキルを身につけたりする変わった職業、ということではないだろうに。


「でも、犯罪者として、だろ。追われるんじゃないか?」

「そんなこと、関係ないよ。捕まったりしないもん」


 少女は立ち上がり、家具がほとんどないとはいえ、狭い部屋でトンボを切って見せた。

 見事な身体能力だ。

 着地に失敗したのかぐらついたが、俺が床の漆喰をアイテムボックスに入れたおかげで平らになっていなかったので、仕方がない。


 俺は、ぐらついた少女の体を支えた。

 少女は、俺に支えられたまま、体重を預けてきた。仕方なく、俺は少女を抱くようにして、座っていた椅子に腰を下ろす。


「カロンも、盗賊になりなよ。あたしが勧めてやるからさ」


 少女の言葉が俺を誘惑した。


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