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それほどチートではなかった勇者の異世界転生譚  作者: 西玉
海底の王国と人魚の姫

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83/195

83 私は嫌い。気持ち悪い。変な名前をつけられた。殺したい

 俺がこの世界に呼ばれたのか、この世界に送られたのかはいまだにわからないが、元の世界で発明された万能翻訳は、言葉を持たないゴブリンとの会話さえ可能とした。

 声を失ったピノの言葉を理解するぐらい、簡単なのかもしれない。


『どうして? どうしてカロンは、私の言っていることがわかるの?』


 涙で顔を濡らし、絨毯を汚しながら、ピノは言った。俺以外の人間がこの場にいたら、ただ口をパクパク動かしているだけだと思ったかもしれない。だが、俺にはしっかりとした言葉として伝わっている。


「俺にもわからない。でも、俺にはピノの声が聞こえる。声が出なくたって、関係ないんだ」

『……すごい。さすが……私のカロン』


 ピノは『私の』と言った時に力を込めた。俺はピノのペットであり、所有物だった。


「ご主人様に喜んでもらえて……」


 ピノが俺の口を塞ぐ。確かに、王子に俺がいることがばれるのはまずい。だが、ピノの行動の意味は違った。ぶんぶんと首を振った後、ピノは言った。


『私……カロンのこと、好き』


 ピノは言葉を選ばなかった。俺は顔が一気に紅潮した。綺麗な女の子に、真正面からこんなことを言われたのは、元の世界でも記憶にない。


「お、お、俺……」

 声が裏返りそうになり、俺はあわてて口を塞いだ。さすがに、ひっくり返った声をベッドの下で出していては、変に思われるだろう。


「フローレア、いつまでそうしているんだい?」

『あんたが帰るまでだよ』


 ピノが、海底で楽しそうにしていた頃には考えられない悪態をつくと、王子の足に向かって舌を出した。当然王子には聞こえていない。


「ピノ、もう行ったほうがいい。ここに隠れているのは、ピノに会いにきたんだ。王子に見つかると、また牢に戻される。今度は、すぐに殺されてしまうかもしれない。ずっとここに隠れているよ。王子が帰ったら、また会える。ほんの少しの我慢だよ」

『……うん』


 ピノが少し考えてから、小さく首を動かした。自分の指先をひと舐めして、俺の方に突き出してくる。俺は、ピノの白い指先を、口に含んだ。

 ピノはその指を引き戻し、嬉しそうに笑った。

 ピノが戻っていく。俺は、自分がピノを引き止めたいと思っていることを自覚していた。ピノに何を言おうが、俺も、ずっとピノと一緒にいたいのだ。


「ようやく出てきたわね、この泥棒猫。どうせ、男でも隠しているのでしょうに」

「チェルキー、言い過ぎだ。フローレアがそんなこと、するはずがないじゃないか。フローレアはこの国に来たばかりだし、口も利けないんだ。それに……ベッドの下に誰もいるはずがない。潜っていた君が、一番知っているはずだろう」


「ええ。そうですわね。でも、このフローレア、口を利かなくても、執事見習いを誑かしたのでしょう? 見事な手管だと、王宮中の話題になっていましてよ」

「フローレアがそんなことをするはずがない。あれは、執事見習いが悪いのだ。余の花嫁に横恋慕などしおって」


 海岸で倒れていたピノを助けたのは俺だ。王子は死体だと思って手も出さなかった。ピノは俺を追って来たのだ。どうして王子が怒るのか、俺にはさっぱりわからない。


「恋は盲目ともいいますものね。でも、すぐに冷めますわよ。ウィル、もうお帰りなさいな。私は、少しこの泥棒猫に話がありますのよ」

「余は……もう決めたのだ。余の妻は、王妃になるのだ。汚れも邪心もない。フローレア以上の女など、どこにもいるはずがない」


「ただ口が利けないから、そんな幻想を抱いているだけですわよ。まあ……見ていらっしゃい。近いうちに、目を覚まさせてご覧にいれますわよ」

「フローレア、余の言っていることはわかっているのであろう。チェルキーの言うことに耳を貸すのではない。余は、いつでもフローレアの味方だ」


「はい、はい。お帰りはあちらですわ」

「余は、余は諦めないぞ。フローレア……きっと我が物にしてみせる」


 王子とチェルキーと呼ばれた女の足が戸口に近づく。

 女は、俺の存在をばらさなかった。

 恩を感じるべきだろうか。

 王子を追い出し、チェルキーだけがベッドの前に戻ってきた。ピノもいる。ピノはチェルキーのことが苦手なようだ。できるだけ遠ざかろうとしているのが、足の動きだけでもわかる。


「聞いているのでしょう。出て来なさいな」


 俺に向かって言ってるのだ。俺はもぞもぞと動き、ベッドの下から顔を突き出した。


「どうして、庇ってくれたんです?」

「庇った? 私が? とんだお人好しね。この娘が私にとって邪魔だから、追い出すのに利用しようとしているだけよ。さあ……私はもう行くわ。あとは、二人で決定的な瞬間を作ってくださいな。私が大勢引きつれて、言い逃れできないところをひっ捕らえてあげますから」


「……俺とピノは、そんな関係じゃない」

「ピノ? この娘の名前ね? そうよねぇ……フローレアなんて、似合わないと思っていたもの。ウィルがつけたのね。センスのないこと。ピノのほうがお似合いだわ」

「ええ。いい名前です」

『そうでしょ』


 俺が褒めると、ピノはニコニコと笑った。俺にしか聞こえていない。


「褒めたのではないわよ。まあ……いいわ。これから、するの? 人を呼んでいい?」

「しませんよ」

「するときは言ってね。私も準備をするから」


「言うはずがないでしょう」

「自信がないのね? あれが小さいの?」

「失礼な人だな。ピノが困るようなことはしません」

「……面倒ね。でもいいわ。どうせ、この娘には四六時中監視をつける予定だったのだから。ただ、余計な手間が省けるかもと思っただけよ」


 勝手なことを言いながら、チェルキーは出て行った。






 部屋に残されたのは、俺とピノの二人だけだ。


『カロン、二人になれたね』


 ピノが嬉しそうに俺の手を取った。ピノの声は出ていない。だが、俺には聞こえる。声が出ていないことを気にせずに話せば、俺の耳には翻訳機能が通訳して流してくれる。


「どうしたんだ? あの立派尾びれはどうした? どうして、そんなに頼りない足なんか生やしているんだ?」

『……カロンの力になりたくて……』


「もとのままでも、ピノは地上にこられただろう? 岩の中を泳げるピノが、地上にこられないはずがない」

『……うん。でも……嫌だった。カロン、魔将軍を倒すために……誰かと、するんでしょ?』


 何を、とは聞かない。わかっている。魔女グリフィルが教えたのか。


「ああ。そうしないと、せっかく頭から追い出したホライ・ゾンの血が、また体を登って頭に取り付こうとするらしい。誰か……新しい命を育める相手の中に注ぎ込むしかないらしい。だから……そういう店が、人間の街にはあるんだ。そこに行こうと……」

『尾びれのままじゃ……カロンを受けいけられない……』


 ピノは、人魚姫にあるまじきことを口にした。あまりに具体的に、自分の足を見た。手を突っ込んだ。俺は、見ていられずピノの手を取った。


「……わかった。ありがとう」


 人魚であることを捨ててまで、俺を追ってきた。俺とある行為をするために。その結果、俺がホライ・ゾンを倒せなければ、命を失うことも承知で。

 俺は、ピノの気持ちに応えないという選択肢が見えなかった。王子に嫁いで、人間としての幸せを追求してもらいたいとは、言えなかった。

 だが、念のために尋ねた。


「……あの……ウィル王子のことはどう思う? ピノに、フローレアって名前をつけたんだろう? ピノのことが好きみたいだ」

『私は嫌い。気持ち悪い。変な名前をつけられた。殺したい』


 大変な嫌いようだ。俺は納得して、ピノを抱きしめた。遠慮はしなくていいらしい。

 俺の腕に抱かれ、ピノは力を抜いた。俺はピノの頭を抱き、その先に、扉の隙間から覗くチェルキーを発見した。


「……でも、今日はやめておこう」


 俺の体にすがりつくピノを引き剥がする。


『どうして?』

「後、6日でホライ・ゾンの海賊船がこの国を襲うんだろう。それは、確かなのかい?」

『うん。おばさまが言っていたから』


「なら……ピノの中にホライ・ゾンの血を6日も入れておくことになるだろう。 俺が倒せなければピノが死んでしまうほど危険なものなんだから、ぎりぎりまで待とう。できれば、ホライ・ゾンと戦う直前に……しよう」


『する』という単語が言いにくい。ピノも察してくれた。真っ赤になって顔を背けた。


『や、や、約束ね。6日後……待っているから』

「おっ、おう」


 互いにぎこちない。だが、俺は嬉しかった。

 ピノが表情を変える。いつもの、楽しそうなピノが戻ってきた。


『じゃあ、それまで、何して遊ぶ?』


 ピノは相変わらずだ。変わらないピノを羨ましく思う。


「かくれんぼにしよう」

『えっ……私、それ、苦手……』

「そうだったかい? 得意だと思っていたよ」

『もう……壁の中に、入れない』

「知っている。だから……鬼は俺でもピノでもない」


 ピノが首を傾げた。海底の王国では、ずっと二人で遊んでいた。どちらかが隠れれば、どちらかが鬼なのだ。


『鬼は誰がやるの?』

「ウィル王子さ。隠れるのは俺とピノ……二人で、王子に見つからないようにするんだ。隠れたまま、ホライ・ゾンを倒す準備をする。どうするか、まだ全然考えていないし、難しいと思う……でも……」

『きっと楽しい』


 ピノは笑いながら言った。その笑い声が、海底で聞いたのと同じ綺麗な声が、地上では俺以外の誰にも聞こえないことが残念だ。

 いつの間にか、扉の外からのぞいていたチェルキーの影は消えた。今日はしないと聞いて、諦めたのだろうか。

 とにかく、この日から俺とピノは共闘することを決めた。王子の目を逃れ、この国に襲いかかるホライ・ゾンを倒すのだ。その前に、俺にはちょっとしたご褒美が待っている。

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