8 3日後、奴隷の買い付けに巡回の方が来ます
村長の家から出て、俺は久しぶりに1人になった。
この世界に来て数日は1人でがんばった。それなりに強くなったと思う。だが、ズンダと2人で過ごした時間のほうが、明らかに充実していた。
これまで知らなかったことを教えてもらえたし、安心して睡眠がとれた。何より楽しかった。
いつまでも甘えてはいられないのだ。ズンダには狩人としての役割があるし、俺には家族がいるらしい。俺の、ではなくカロン少年の家族だが、俺が家族ではないのだと決めつければ、それは全てカロン少年の行いになってしまう。
俺は、いつか元の世界に戻るかもしれない。その時、カロン少年が自分の体に戻って来て家族と疎遠になっていたら、悲しむに違いない。
俺はそう思いながら、もらった青銅貨30枚をアイテムボックスに入れようとした。
考えてから、アイテムボックスをよく見てみる。俺が手にしているのは通貨だ。ほとんどのゲームは、通貨をアイテムとしては判定しない。アイテムではなくただの数字で表されることがほとんどで、いくら稼いでもただ数字が増えて行くだけなので荷物にならない。
では、俺はどうだろか。
どこかに、お金専用の表示欄がないだろうか。よくみるとアイテムボックスの上段に一行、所持金と思われるゼロの数字の欄がある。
手にしていた青銅貨を所持金欄に入れてみようとしたが、どうにも上手くいかなかった。だいたい、通貨の単位もわからないのだ。ゲームが設定している本来の通貨単位も、この世界の単位もわからない。俺は仕方なく、アイテムボックスに入れた。青銅貨×30と表示される。まあ、いいだろう。
教えてもらったとおりに道を進みながら、自分の能力を確認する。
HPとMPは当初15だったが、レベルが上がるたびに1.5倍ずつ上昇し、現在ではどちらも80もある。俺以外の人間にHPという考え方が当てはまるかどうかわからないが、借りに数値化した場合、どのぐらいになるのかわからないので、これが多いのか少ないのかわからない。
一般的な狩人はオオカミなら問題なく狩れるが、俺が倒した中ボス的なバッキラには、一流の狩人でも歯が立たないらしい。
かといって、俺も魔法を使いきり、HPもほとんど0になるまで追い詰められて、ようやく倒すことができた。
魔法を使えるというのは珍しいらしいので、参考にはならないだろう。このままレベルアップを続ければ、レベル10でHP・MPは600になる。さすがに、そこまではあがらないとは思う。
筋力や知力を表すステータス値もかなり上昇している。だが、レベルが5に上がってから3日経つが、その後のレベルアップはない。ズンダに狩人の技術を学んだが、野生の動物にしろ魔物にしろ、倒してはいなかった。ゲーム的に、相手を殺さなくては経験値が入らないのだろう。つまり、街で生活しているとレベルの上昇はしないということかもしれない。街の中で、人間を殺して回るというわけには当然いかないからだ。
スキルはガマンに加えて、レベル5になって習得したコンシンがあった。名前からして、本来の攻撃力以上のダメージを与えるものだろう。
コンシンは戦闘時にしか使い道がなさそうなうだが、ガマンの方は実際に使ってみると、なかなか使い勝手はいい。睡魔までガマンで抑えられるのはありがたい。もっとも、HPが0になっても耐えられるというほど強力ではないようだ。
魔法は回復魔法はメディのみで、補助魔法は習得していないと思っていたが、トウシという魔法があった。いつ覚えたのかわからない。魔法を取得しても、メッセージが表示されないのだ。敵の情報を取得するものだろうか。これも、今後試していくしかなさそうだ。
攻撃魔法は、今まで使ってきたボヤに追加して、ザンを覚えていた。
名称からしてどんな効果か想像がついたが、ズンダの反応が怖かったので、今までに使ってこなかった。
これから使う時が来るだろうかと思いながら歩いていると、教えられた民家が見えてきた。
木造で尖った屋根をした家だ。
村長の家と同じぐらい大きい。ひょっとして、裕福なのだろうかと期待しつつ、俺がカロン少年のことを何も知らないのを思い出す。
気軽に帰れる状況ではない。
だが、顔も出さないというわけにもいかないだろう。
俺は、緊張しながら民家の敷居をまたいだ。
門をくぐると、広い庭で、数人の幼い子供が遊んでいた。まだ幼く、10歳にも満たないだろう。地べたに座り込んで、ママゴトをしているように見えた。
声をかけるべきだろうか。ひょっとして、俺の弟になるのかもしれない。足をむけようとすると、子供達が俺に気づいた。
冷めた目だった。カロン少年は、この子供たちには好かれていなかっただろうことが、はっきりとわかる視線だった。
「あっち行けよ」
「落ちこぼれが移る」
「生きてたんだ」
子供達が口々に罵声を浴びせる。強い口調ではなかった。ただ、ぼそぼそと呟くように、仲間たちだけの秘密の言葉のように、俺を遠ざけようとする。
きっと、無理をして距離を詰める必要はないのだ。弟だとしても、これだけ気割られているのだ。ただ、一つだけはっきりとした。この家が、俺の家であることは間違いない。
子供達の口から、『出て行け』という言葉が出なかったのがせめてもの救いだと、俺は建物の母屋を目指した。
広い敷地に、いくつかの建物があった。正面にあるのが母屋だろう。右に寄宿舎を思わせる安アパートのような建物と、左手に倉庫がある。
正面の建物に入り、俺を待ち受けていたのは、厳しい顔をした痩せた女性だった。
長い髪を背後で束ねているが、髪にツヤはなく、手入れがぞんざいな印象を受ける。大きな目に高い鼻をしているので、若い頃は美人だったのだろうと思える。
今でも美人なのだろう。目の前の女から美しさを奪っているのは、年齢よりもむしろ険しい表情だと思われた。
「……戻りました」
俺は、カロン少年がどうして山に入り、オオカミに襲われて瀕死になったのか、知らない。俺がしただけでも、1週間ほど山で過ごしている。山に入った初日に死にかけたのでなければ、もっと家を空けていたことになるのだろう。
「てっきり、死んだかと思っていたわ」
まるで他人のように硬い声だった。言い方も硬い。感情を押し殺しているのだろうか。親子とは思えない。
「狩人のズンダさんに助けられました」
「……少しは、たくましくなったかしら? 3日後が、最後のチャンスですからね。それに間に合うように戻ったということは、この村に残るという気はないわけね」
「あの……なんのチャンスなのでしょうか?」
知らないことは、多分変なのだろうとはわかっていても、聞かないわけにはいかなかった。ここで聞けなければ、最後まで知らずにいなければならないと思ったからだ。
「呆れた。まだ、余裕があると思っていたの? 頭だけはいい子だと思っていたけど、勘違いだったかしら」
「いえ。少し、うっかりしていまして。3日後、俺は何をすればいいのでしょうか?」
「3日後、奴隷の買い付けに巡回の方が来ます。本来は12歳の年に買い手が見つからなければ、この家に置いておくことはできないのよ。そうなれば、一生王の住む都には入ることはできない。あなたにはもうチャンスはなかったのに……幼馴染のファニーが買われて、どうしてももう一度会いたいからといって、剣奴の買い付けまで引き延ばすことになったのじゃない。剣奴になれば、まず助からない。活躍して、王の目に止まれば自由になることもあり得るそうだけど、一万人に1人もいないそうよ。それでも、可能性があるのなら挑戦したいというあなたの希望を受けて、14歳になる年の巡回には剣奴として売られることに同意したのではない。剣奴には、年齢制限はない。弱くても、病気でも、見世物として死ぬためには必要だから、買ってくれる。でも、たくましくて強い人ほど高値がつく。だから、次の巡回までに体を鍛えるんだって、山にこもっていたでしょう。オオカミの群れが出ているから危険すぎると言った私の言葉を無視して出ていった。私は、死んでいてもよかったのよ。普通の奴隷であれば12歳までに買い手がつかなければ、もう一生村で過ごすしかないのよ。剣奴には年齢制限がないといっても、子供を剣奴として売ったとなれば、世間体が悪いですからね」
俺は、どうやら剣闘士として売られるらしい。それも、無理矢理にではなく、カロン少年が望んで選択し、周囲が止めるのにも関わらず、少しでも値段を釣り上げるために山籠りをしていたという。
カロン少年は、本来はこの村の片隅で、細々と一生を終えるはずだったのだ。だが、それを覆さざるを得なかった理由がある。それが、幼馴染のファニーらしい。
「あの……ファニーはどこに?」
「知るはずがないでしょう。街のどこかだけで、王の都かどうかもわからないわ。買われてはいかれたけれど、どこに売ったのかまでは知らないもの」
「この家にいたの?」
「当たり前……あなた、本当にカロンなの?」
少し、聞きすぎたようだ。疑われてしまった。
「うん。そうだよ。ごめんなさい、ママ」
せいぜい可愛く振る舞おうと、俺は頭を下げた。
「やめてちょうだい。なんの嫌がらせ? あなたのママは、あなたを産むとすぐに死んでしまったわ。父親はわからない。あなたを身ごもって、あなたのママは王の都を追い出されたのだから」
「……村長の家で『母親のところに帰れ』って、言われたんですけど……」
「私は、子供達を育てて、王都の皆さんに買ってもらえるように教育する管理人よ。まだ、幼い子供たちが傷つかないよう、ここでは母親と呼ばれているの。『母親』というのは、役職のようなものよ。あなたは、そこまで幼くはないでしょう?」
「庭の子供達の本当の母親は?」
聞きすぎだとわかっていた。だが、険しい顔をした女性から聞かされた、あまりにも酷い世界のあり方に、自然に口をついて出ていた。
「元気ですよ。でも、母乳が必要なくなった時に引き離されるから、親はもうどれが自分の子か、見分けもつかないわ。子供達も親の顔を知らない。それでも、よく見れば似ているからわかるでしょうけど、情は湧かないでしょうね。それから……この辺りの村では、誰も子供を自分で育てるような余裕はないのよ。子供が離乳したらこの施設で預かって、12歳になるまでに奴隷商人のお方に買ってもらう。その売り上げで、食料を買って、村でわける。そうしなければ、誰も生きられないの。12歳になるまでに売れない子供は、どこかに行って勝手に生きるか、死ぬ。」
なんて、鬱な世界だ。言葉もなく、俺は呆然と立ち尽くした。母親という職業についた、俺とは他人の女が続けた。
「それから、ファニーのことが知りたければ、自分の部屋に行きなさい。そうすればわかるわ。階段を登って、一番手前の右側の部屋よ」
「……はい」
「せっかく生きて帰ったんだから、間違いなく剣奴として売らせてもらうわ。変な気を起こさないでね。カロンの姿をした、誰かさん」
母親はそう言うと、俺の肩を叩いて階段を示した。
全て、ばれている。いや、全てではない。俺の質問が、あまりにも不自然だったのだ。だから、カロンに何かが起きたのだと思ったのだろう。中の人格が入れ替わってしまったのだと確信を持っているとは思えない。どうして丁寧に自分のことや村の事を教えてくれたのかわからないが、油断できない女性であることは間違いなさそうだ。
これで俺は、村長の家で聞いたズンダと村長の話を納得することができた。
子供を集めたこのような施設は、ズンダの村にもあるのだろう。奴隷商人はその全ての村を回るから、巡回なのだ。
カロンが12歳を明らかに越えているのに母親のところに戻るというのは、不自然であり、剣奴として売るから、というのは、カロン少年が自ら望んだから、という理由を差し引いても、酷いことなのだろう。
3日後に、俺は剣奴として売られる。ただそれだけは間違いない。
俺は言われた通りに階段を上がった。まっすぐな長い通路に、左右に扉がある。1人一部屋なのだろうか。子供の数も少なそうだし、一部屋の割り当てがあるのかもしれない。
俺は扉を開けた。
カロンの幼馴染、ファニーのことが、自分の部屋に戻ればわかると言われた。
扉を開けた瞬間、俺は母親が言ったことが真実だったと確信した。
この部屋は、カロン1人の部屋だ。カロンしか、使っているはずがない。
部屋の床一面、壁一面に、無数の女の子の似顔絵、似姿が描かれ、びっしりと書き込まれた細かな字は、全てファニーへの思いを綴っていたのだ。
カロンは、ファニーのことが好きだったのだ。ファニーが奴隷として売られ、自分も買われると信じていたのだろう。奴隷に自由があるとは思えないが、同じように奴隷として都にいれば、会う機会もあるのではないかと信じたのだ。
だから、何としても奴隷になって、都市に行きたかったのだ。奴隷にならなければ、都市で生活する機会はないのだろう。
最後には、確実に死ぬとわかっている剣奴に志願したのだ。ファニーのことを諦めるぐらいなら、死んだ方がよかったのだ。
だから、危険を承知でオオカミが支配する山にこもったのだ。オオカミに殺されるぐらいでは、剣奴として生き延びることなどできないのだと考えたのだ。
結果として、カロンは賭けに負けた。
だから、俺がここにいる。
俺は、自然に胸に手を当てていた。手のひらの下では、小さな心臓が規則的に脈打っている。
カロンの心臓だ。
お前の望み、どこまで果たせるかわからないが、俺が引き継ぐ。
俺は、強く誓った。