61 海賊船の入港
違法奴隷商人のギュルノは、大頭のホライ・ゾンなる人物の船に、俺を載せようとしてくれている。
そのホライ・ゾンは、ほぼ間違いなくマフィアの元締めだ。
エルフのロマリーニは、俺が衛兵を倒したことで俺に愛想をつかしたが、船に乗るために頼ったのがマフィアだと知ったら、卒倒するかもしれない。
もっとも、ロマリーニと会うことはもうないだろう。
マフィアの大頭に取り入るために、いかにも危険人物という肩書きを身につけろとギュルノは言った。
だが、ロマリーニに感化されたわけではないが、人間を殺すのは避けたい。闘技場であっても、気持ちのいいものではなかった。騎士を大量に殺したときは、ドディアを守るために、頭に血が登っていたのだ。
金がないので、宿にも泊まれない。せっかく街に入ったばかりなので、なんとか街の中で解決策を見つけたい。そもそも街から出たら、次に入って来られるかどうかもわからない。
食べ物だけはアイテムボックスに予備があったので、ひもじい思いはしなかった。
だが、寝起きしたのは薄汚い路地裏で、ほぼホームレスである。
長いローブが幸いして、俺が指名手配されていることに気づく者はいなかったが、生活そのものは実に惨めだ。
ドディアがよく辛抱してくれているとも思わないでもないが、ドディアは俺の上から退こうとない。俺が寝る時には登りこみ、休憩する時にはしなだれ掛かる。どちらかというと、俺自身がドディアのおまけなのではないかと思い出していた。
悪人なら狩ってもいいだろうか。俺は、ギュルノの息のかかっていない人間の悪党を探したが、マフィアがのさばっている街で、反マフィアの悪人などいたら、それこそ抗争勃発である。古いヤクザ映画のようになってしまう。
頼りのギュルノも、ただ俺を見てため息をつくだけで、いい案は持ってきてくれない。今からでも衛兵を殺せと何度かアドバイスをくれたが、俺にとってそれはいい話しではないのだ。
俺が港町キョンラノで無為に過ごして5日が経過した。
海が近く、アイテムボックスに頼らなくても、海に潜って魚を捕ってくることもできるようになっていた。魚の影さえ見つければ、魔法「ザン」で一撃なのだ。
このまま、魚を取りながら生活するのも悪くないと思い出したころ、俺は沖合に不気味な船を見つけた。
当然のようにドディアがそばにいる。そのほかには、漁師や交易商人、また雇われた肉体労働者や奴隷が行き交っていた。
俺が見つけたものに、すぐにドディアが食いついて、手を伸ばしている。沖合に浮かんでいるので、ドディアの短い腕では、当然届かない。もちろん、俺の腕でも届かない。
「また来たか。マフィアの親分だ」
「もう、そんな時期か。おい、女と子供を隠せ!」
「海賊だ。逆らうなよ。逆らわなければ、死者は出ない」
街の人間は慣れているようだ。度々訪れるのだろう。間違いなく、奴隷商人ギュルノが言う大頭だ。
「……結局、何もできなかったな」
「カロン、倒した。強い、ネズミ」
「……うん。確かに、今まで見たことがないような、でっかいネズミを倒した。でも、ドディア、ネズミ殺しのカロンって名乗って、海賊船に乗れって、ならないと思うんだ」
「……わからない」
ドディアはしゅんと小さくなった。俺のせいで落ち込ませてしまって、とても罪悪感がある。俺はドディアの頭を撫でながら、海賊船であることを隠そうともしない、マフィアの大頭の接舷を待った。
自分で言った通り、巨大なネズミを倒したからといって、海賊船に乗せてもらえるとは思わない。だが、普通の人間に比べれば、俺はかなり強いのだと思う。
実力を見てやろうって、その大頭が言ってくれれば、チャンスはあるのではないかと思い、俺は海賊船を待っていた。
人波は相変わらずだが、波の種類が違っていた。
さっきまで、商人や漁師が行き交う交易と漁業の町だったのに、現在行き交っているのは、奴隷商人に麻薬の売人に、衛兵を殺しているだろうと思われる人相の悪い男たちだ。
善良な市民は家の中で閉じこもっているに違いない。こんな時に外に出ているのは、平和ボケしてしまった人か、海賊船に乗りたいと言う、俺のような善良とは言い難い人間だけに違いない。
「カロン、どうだ? 肩書きはどうなった?」
落ち込んでいる俺の肩を、遠慮なくギュルノが叩く。余計なお世話だと言いたいが、ギュルノは悪人だが、よくしてくれたのだ。無下にしない方がいいだろう。
「ネズミ殺しのカロンだ」
「ダメだろ、それじゃ。まあ、いいや……ダメでも仕方ねぇ。大頭に勧めてみる。どうなっても恨むなよ」
「ああ。頼む」
もはや、俺は海賊船に乗ることに対する抵抗感はなくなっていた。海賊船に乗ることで、ただの船旅が、海賊行為になるという意味に変わってしまっていることも、気にならなかった。
エルフに愛想をつかされ、落ち込んでいたこともあるだろう。何より、犯罪を厭わないほど俺を追い込んだのは、この世界そのものだ。
俺は海賊船を待った。
船は大きかった。
悪趣味なドクロのマークが、旗とメインマストにかかる帆に描かれていた。
誰も動かない。平伏もしない。相手はこの辺り一帯を仕切る、マフィアの大物だ。おそらく、その支配地域は一国に匹敵するだろう。陸ではなく、海を支配地とした、王なのだ。
それでも、集まった男たちは膝を折ったりはしない。それは、気概があるのではなく、そういった礼節に疎いだけなのだろう。
巨大な船は、全長にして50メートルを超えそうだ。俺は、この世界の街をほとんど知らず、文明水準を図ることはできなかったが、帆船にしてはかなりの大きさではないかと思う。水面から甲板までも距離があり、接舷すると、船から縄梯子が下された。
たくましい海の男たちが甲板から降りてくる。ただ逞しいだけではなく、身体中に刺青をした者や、手足を欠損させている者が多い。だが、いずれも、自力で縄梯子を降りてくる。手足の欠損部分には、木の義手や義足、またはぶよぶよした水生動物を貼り付けている。人相も凶悪だ。
しかも、人間と思われるのは半分に過ぎない。もう半分には、鱗がある。俺は竜兵を思い出して、顔から血が引くのを感じたが、あれほど手足はごつくない。
恐ろしさは感じない。たぶん、獣人の水棲版なのではないかと思う。半魚人とか、あるいは魚人なのだろう。
一様に鱗を持ち、手足に鰭と水掻き、エラがある他は、それほど人間と変わらない。それだけ変わっていれば十分だともいえるが。
「ドディア、ああいうのも見たことあるか?」
「知らない」
獣人と魚人は仲がいいわけではないのだろうか。いや、ドディアを通常の獣人だと思わないほうがいいのだろう。普通は、コボルトを家族だと思い込むことはないのだそうだ。
地上に降りた海賊は、取り囲む悪党たちから丁寧なもてなしを受けていた。
この街では、海賊はちょっとした英雄扱いのようだ。衛兵とマフィアが同じように力を持っている街である。表と裏で、別の顔を持っているのかもしれない。
甲板に、ひときわ大きな影が立った。地上に降りた海賊たちが、敬礼を示す。甲板に現れた影の主は、それなりの立場にいるのだろう。
巨大な影は、男であり、俺がこの船で見た中では、唯一の獣人だった。
恰幅のいい大男で、ふさふさとした髪がライオンのような印象を受ける。
地面を見下ろし、飛んだ。
地上から舟の甲板まで10メートル以上の高さがあるはずだが、その獣人は無造作に飛び、地響きをあげて、地面に降り立った。
「今日はこの街に泊まる。明日の夜には出る。売りたい奴、買いたい奴は、俺たちが海に出るまでに、名乗り出な」
朗々とした、まさにライオンが吠えるような声だった。ライオンのような、とは思ったが、どうやら獣人という種族に、動物の種類を当てはめることは意味がなさそうだと俺は気づいた。
獣人は、動物の耳と尻尾を持った種族で、イヌ科もネコ科も、ウサギもネズミも関係がないようだ。きっと、魚人や半魚人も一緒なのだろう。魚人という種族であり、その中で、魚の種類による区別など存在しないのだ。
一人の若者が進み出た。腕に刺青がみえる。
「お、俺、俺を、使ってくれ。なんでもする。衛兵だって、殺した。怖いもんはない」
「ほう。怖いもんはないか」
海賊の頭と思われる獣人が、進み出た若者を睨みつけた。獣人の目が光り、喉が鳴った。脅すような強力な鳴り方だった。
「お、おう。なんだって……」
「いいだろう。お前の命、もらい受ける。明日から、俺のクルーだ」
「あ、ありがたい」
若者は飛び上がって喜んでいる。つまり、海賊として認められたということだ。 何が嬉しいのかわからない。だが、俺もあれを目指していたのだ。
俺も、前に出て売り込むべきだろうか。そう思って迷っていると、背後から奴隷商人のギュルノに叩かれた。
「やめておけ。紹介者によって、船での扱いは変わる。ああいった、自分で売り込む奴もいるが、しばらくは一番下っ端として、使い潰される。たいていは、最初の戦闘で死ぬそうだ。誰か仲介がいれば、最初の戦闘で、いきなり先頭でつっこまされることもねぇ。時間はある。明日まではまだいるだろう。大頭がいい気分になるまで、待つんだ」
システムが剣奴に似ていると思わなくもないが、こっちは見世物ではなく、強奪行為だ。俺は複雑な思いでうなずいた。
だが、俺の思いとは裏腹に、巨大な体躯をした獣人が、まっすぐ俺にむかって近づいてきた。
「随分な別嬪じゃねぇか。気に入った。お前は、船に乗せてやろう」
海賊の大頭は、ドディアの頭を撫でながら、俺に笑いかけた。
「あり……いや……ドディアは違う。俺の……」
「うん? お前は人間だろう。人間が、獣人族を娶れるとか思っているわけじゃなかろう。ドディアというのか。獣人らしい、いい名だ。俺の船に乗れ。俺の愛人としてやろう」
ドディアが、俺の体にぎゅっと抱きついた。ドディアの頭に乗せられた大きな手が、俺からドディアを引き剥がそうとする。
「辞めろ」
俺はドディアを抱きしめた。海賊たちから隠すように背後に回す。周囲が一斉に武器を抜いた。俺を、ドディアを取り囲んでいる。
「死にてえのか?」
「ドディアは、渡さない」
「人間なんかが、獣人を幸せにできるはずがねぇ。その娘は、俺と一緒にいてこそ、幸せになれる。お前、ドディアを不幸にしたいか?」
海賊の手が、俺の頭をつかんだ。ドディアの頭を撫でた時とは全く違う、荒々しい掴み方だ。すごい力だ。頭が割られそうだ。
「ドディアは絶対に手離さない。そう……約束したんだ」
男の腕が横に振られる。俺の体が宙を舞い、石畳に叩きつけられた。俺の体に、ドディアが覆いかぶさる。
海賊の獣人が、ドディアに触れる。
「カロン、死なない」
「それは、お前次第だ」
獣人の口の中から、うねうねと蠢くものが出てきた。粘液の塊のようなものが、自らの意思を持っているかのように蠢く。それが、舌だとわかった時、俺は素直に気持ち悪いと思った。
「口を開けろ。その男に見せてやれ」
ドディアが首を横に振る。
「ドディア? あの……なにを……」
ドディアが俺を振り向いた。首を小さく振る。
「口を開けて、その男に見せてやれ。獣人は、人間とは全く違う生き物だ。そのことを、わからせてやれ」
ドディアは小刻みに首を振った。大頭が俺に言った。
「獣人は、体の構造が人間なんかとは違うのよ。だから、獣人は狩られる。だから、人間を従える。互いに虐げることはできても、仲良くなんかできねぇのさ。この娘の中にも、これがある」
薄汚い粘液が男の口から溢れ、だらりと足元近くまで垂れた。すぐに口の中に戻される。武器を抜き、殺気立っていた海賊たちが、今度は下卑た笑いをあげる。
「ドディア……大丈夫。俺は、そんなこと気にしない。いいから、口を開けてごらん」
俺がいうと、ドディアは俺の目をまっすぐに見つめた。ゆっくりと口を開ける。人間の舌ではない。キラキラと輝く、透明の粘液のようなものが口からはみ出した。
これが、ドディアの舌なのだ。
俺はドディアを抱きしめ、そのまま、唇を重ねた。ずっと、俺の上を寝床にしてきたドディアと、唇を合わせるははじめてだった。ドディアの口に舌を入れる。粘液がまとわりつき、とても気持ちいい。俺は、ドディアの体を強く抱きしめ、ドディアが、俺に抱きついた。
「お前ら! この若造を殺せ! ドディアには傷つけるなよ」
獣人が吠える。
俺は、ドディアと口を重ねたまま、周囲一帯を巻き込む魔法「タイカ」を放った。




