6 オオカミたちには、恨まれている
狩人のズンダのステータスは表示されず、パーティーを編成するということもできなかった。顔を付き合わせて話している間にも、色々と試したのだ。
仲間にできる条件が決まっているのか、あるいは複数プレイがシステム上実装されていないのかもしれない。
現実の異世界だと判断しているのに、システム上、というのはおかしなものだが、俺が使っている魔法も含めて、ゲームシステムに準拠していると考えなければ辻褄が合わないことが多い。ゲーム上の仕様に合わないことは、できないのだと考えるしかない。
「で、なにがあった?」
何度目かの問いだ。狩人のズンダがいちいち調子にのるので、話が脱線してしまうのだ。初めてあった時は、厳しい大人の男だと思ったが、慣れてみると面白いおじさんなのだろう。
「オオカミのボスは、オオカミじゃなかったのさ。魔物だ。オオカミを従える力を持つ、でっかい魔物だ。毒を撒いたまでは良かった。オオカミ達がバタバタと倒れた。致死にいたるほどの毒ではないから、火をつけて焼こうとしたが、魔物には毒が効かなかった」
「それで、見つかって、逃げてきたのか」
「いや、ぶん殴られて、吹き飛んだ。ごろごろ転がっているうちに、こんなところに出ちまったのさ。あちこちに木の枝が刺さって、本当に死ぬところだったぜ」
「よく、死ななかったな。じゃあ、その魔物が、追ってくるかもしれないな?」
俺は、戦ってみたいと少しでも思ったことを後悔した。
大人の人間を殴り飛ばして、とんでもない遠くまで転がすような強力な魔物だ。どう戦っても勝ち目はないだろう。逃げるしかなさそうだ。
「そんなのに追われたら、死ぬしかないな。よし、逃げよう。ズンダのおっちゃん、足は大丈夫か?」
「逃げるのか? カロン、魔法を使えるんだろ?」
「魔法っていっても、傷を治すぐらいだ。強力な魔物なんかには関わりたくない」
「な、なんだよ。それなら、そうと言ってくれよ。こんなところで話していないで、すぐに逃げたんだ」
ズンダは大きく嘆息し、肩を落とした。
俺は何も責められるようなことはしていないはずだ。すぐに逃げるべきだというのなら、座り込んで世間話をしていたズンダにこそ非がある。俺は、戦うとは一言も言っていないのだ。
「今からでも、逃げればいいだろう」
「できれば、こんなことは言わないさ。気がつかないか?」
ズンダは指を一本立てた。真上に向けている。
嫌な予感がした。俺がその先、つまり真上を見ると、太い枝の上に、直立した巨大な毛の塊がいるのがわかった。
「あれはなんだ?」
「この辺りのオオカミたちのボスだ。頭部がオオカミに似ているが、それ以外は似ても似つかない。どちらかというと、ヒヒに近いんじゃないかと思うが、オオカミの群れと一緒にいるところを目撃されているし、オオカミを使役すると言われている」
「なるほど。で、あれに襲われたのか」
「そうだ」
「逃げよう」
「遅いと思うぞ」
呑気に話していたのではない。いつのまに木の上にいたのか、俺は全く気づかなかった。隠密行動にも長けているのだろう。野生のオオカミぐらいには能力があると考えれば、追いかけっこをして俺に勝てるとは思えない。その上、専門の狩人が諦めるほど、行動も素早いのだ。
どうすれば逃げられるのか、狩人と話しながら必死で考えていたのだ。狩人のズンダも同じに違いない。
突然、頭上の魔物が遠吠えを始めた。上を向き、オオカミそっくりの声を周囲に放った。
「くそっ、眷属を呼びやがった」
どうも、俺の勝てる相手ではなさそうだ。この辺りの中ボスといったところだろう。
だが、俺たちを逃す気もないのだ。
俺は深く息を吸った。
覚悟を決めた。
「ボヤ」
距離的に届くかどうかわからなかったが、これまで失敗したことのない魔法を、離れた標的に向けて放った。
直立した魔物、バッキラという名が俺の目に表示されたその魔物の、上半身が炎に包まれた。
「ボヤ」
バッキラというのは、魔物の名前なのだろう。種族名で、個体名ではあるまい。システム上も、敵として認識されたのだろう。つまり、現在は戦闘状態だ。
2度目のボヤで、バッキラが乗っていた枝が炎上する。大きな範囲ではない。バッキラの足元、数十センチのみが燃え上がり、上半身が燃えて驚いている最中のバッキラごと、地面に落下した。
「おい、ズンダ。集まってくるオオカミを任せてもいいか?」
「おい、やめろ。死ぬぞ」
「このままじゃ、どうせ死ぬだろ。あれ一匹で限界だ。この上オオカミの相手はできない。オオカミたちには、恨まれているだろうからね」
「そうか……わかった。ただのオオカミの相手なら、いくらでもやりようはある。任せておけ」
狩人のズンダは、俺の肩を叩いて森の中に消えた。
前から、がさがさと騒音を立てて、バッキラが現れた。
オオカミと違って目が2つしかない代わりに、腕が4本ある。2本の脚で直立しているので、6本の足が本来はあったのかもしれない。
「ボヤ」
バッキラは避けようとしたが、俺の魔法は避けられないタイプのものらしい。素早く動いたバッキラだったが、再び炎上する。
怒りで喉から意味不明な音を鳴らしながら、4本の腕を振り上げて飛びかかってきた。
「ボヤ」
3度目が炸裂する。オオカミであれば死んでいるダメージだが、バッキラはそれでも向かってくる。
正面の顔を石斧で殴りつけた。
石斧の柄が折れるほどの打撃を与えたが、先端の石が俺の頭上を越えて飛び、怒りを目に表したまま、バッキラが俺に殴りかかる。
1度に4発の衝撃が、俺の体をふきとばした。
背後の木に激突し、ごろごろと転がる。このまま、どこまでも転がっていきたかった。転がるふりをして逃げたかった。狩人ズンダの気持ちが、少しわかった。
だが、ズンダと違って俺は、転がっては逃してもらえなかった。
腹に衝撃を受けた。
バッキラの足が、俺の腹を踏みつけていた。
どうやら、逃げることは諦めるしかない。せめて、オオカミたちをズンダが引き受けてくれることを祈ろう。
俺はステータスを確認し、HPが半分ほど残っているのに安堵した。もう1撃は耐えられる。もう1撃、拳を4発なら耐えられる。6発なら死ぬ。そういう数字だ。
「ボヤ」
狙いは変えず、バッキラの上半身だ。苛立ったように、バッキラは足を振り上げた。
「ボヤ」
いくらでも連発できる。MPは完全回復していた。俺自身のHPを途中で回復することを考えても、20発は連射できるはずだ。
再度魔法を唱え、バッキラの動きが鈍ったところで飛び出し、足の下から逃れた。
魔法を放つ。バッキラが振り向いた。ひょっとして、焼け石に水かもしれない。
ボヤの魔法では、いくら連発してもバッキラは倒せないのかもしれない。
だが、他に方法はない。
俺はさらに魔法を使い、避けきれずに拳をもらった。
もらった拳は2発だったが、4発の時より痛く感じた。
ダメージは少ない。
俺は真っ先に回復魔法を使用する。
逃げる気はなかった。
魔法が使えなくなるまで叩き込む。そのつもりだった。
数限りなく、いや、MPが尽きるまでなので、実際にはそこまで際限なく使い続けたわけではないが、限界まで魔法を使った。途中で石斧の先端が落ちていたので、拾い上げた。
初期装備の尖った石となった武器の残骸を握りしめ、俺は最後の魔法を放った。
バッキラの拳が俺を打つ。
だが、俺は吹き飛ばされずに耐えた。
もう、魔法は使えない。
手に持った尖った石を振り上げ、下ろす。
バッキラの鼻先に当たった。
オオカミでさえ痛がるだけだった攻撃が、より上位の魔物に通じるはずがない。
俺がこのまま殺されるのかと思った時、俺の目の前で、バッキラがずるずると崩れた。
膝が折れ、腰が砕け、へたり込んだ。
ゆっくりと背中が地面を打ち、仰向けに、4本の腕を広げて倒れ、口から、長い舌がべろりと垂れた。
信じられなかった。
俺は、殺されると思っていた。
倒せるとは、思わなかった。
だが、バッキラは倒れている。
頭の中で、ファンファーレが鳴り響く。
レベルアップだ。そこに、達成感はなかった。ただ、安堵だけがあった。
レベルが上がったということは、経験値が入ったということだ。つまり、バッキラは死んだ。
俺はバッキラの死体の横に座り込んだ。
HPを回復するだけのMPも残っていない。
中ボス戦までのゲームバランスは絶妙だと、褒めてやりたいところだ。
ただし、本当にゲームであったならば。
バッキラは食べられるだろうか。
食べても不味そうに見えるが、それはわからない。
俺の目には、『焦げたバッキラの肉』とは表示されていなかった。あれだけ燃やしたのに、焦げていないのだろうか。大蛇の死体も、『焦げた大蛇の肉』とは表示されず、そのまま『大蛇の死体』として俺のアイテムボックスに入っている。
俺は、試しにバッキラの死体をアイテムボックスに入れてみた。やはり、『バッキラの死体』としてしか表示されない。
このまま、じっとしていてもいいだろうか。オオカミの群れは、約束通り狩人のズンダが引きつけてくれている。
プロの狩人の力を信じるしかない。
しばらくその場に座っていた。レベルが5になったことで、HPとMPは共に80まで上がっている。
これなら、まずオオカミには殺されないだろう。もっとも、現在は共に2しかない。鉢に刺されても死ぬかもしれない。
MPが3になってところで、回復魔法メディを使用してHPを回復させる。
これまで、HPはただの数字で、本当の命とは違うような気がしていた。
だが、はっきりとわかる。HPが一気に30回復したことで、体が急に楽になった。
やはり、HPとMPは本当に生命力と魔力を数値化したもので、レベルアップにしたがって向上しているのだ。
ならば、レベルアップすることがこの世界を生き残る秘訣だというのは、間違っていないのだ。
ズンダは大丈夫だろうか。
自分の体が回復したら、突然狩人のことが心配になった。
オオカミの群れを引きつけてくれているのだ。
バッキラ一体を相手にするより楽だと豪語していたが、まだ生きているだろうか。
そう思ってから、オオカミが戻ってこないのに気づいた。
オオカミがボスのもとに戻らないのは、まだズンダが生きている証拠だと思いたい。
俺は、ズンダを探すことにした。
武器もある。尖った石は、まだ俺の手にあるのだ。
森の中に分け入ると、灰色の影が目の前を通過した。
オオカミだと思った俺は、魔法を使うためのアイコンを呼び出す。
魔法名を叫ぶだけで魔法は発動するが、レベルアップで新しい魔法をおぼているかもしれないと期待した。
切りのいいレベル5である。
期待したものがあった。攻撃魔法の欄に、ボヤと共にザンという魔法が並んでいた。
森の中を歩くうちに、MPは10まで回復している。
これなら、ボヤだけでも1匹は殺せる。
俺はオオカミの後を追った。
その先に、オオカミの死体が転がっていた。
頭を矢で撃ち抜かれている。
頭蓋骨の上から、打ち下ろされている。
この角度から放てる以上、射手は上にいるはずだ。
俺が見上げると、木の上に、まるでバッキラが現れた時のように、狩人のズンダが立っていた。
「坊主、生きていたか。バッキラはどうした? どこにいる?」
「殺したよ」
「はっはっは。面白い冗談だ。そんなことができる奴が、こんなところにいるもんか。もっと都会に行って、美味いもんをたらふく食べているだろうよ」
言いながら、ズンダが枝から飛び降りる。どすんという音がした。体勢も崩さず、足の筋力で受け止める。体が丈夫なのは間違いないようだ。
バッキラは確かに強かった。後一撃、ボヤに耐えられたら、死んでいたのは俺の方だったのだ。
「オオカミはどうした? まさか、全部殺したのか?」
「いや……俺は姿をくらましたまま、1匹ずつ仕留めたからな。全部かどうかはわからない」
「やっぱり、狩人っていうのは凄いな」
「はっはっはっ。そう言ってもらえると嬉しいねぇ。どうだ? 坊主も狩人に……いや、バッキラを殺したのが本当なら、別の生き方をしたほうがいいかもな。とにかく、助かったぜ」
狩人はにかりと笑い、手を差し出した。俺はその手を握る。
ごつごつとした、大きな手だった。