54 竜王の配下で、軍としての強さは世界最強でしょうね
ドディアの唸り声が、闘技場に響く。だが、震えていた。足が震え、鳥肌が立っていることに、俺は気づいていた。
「邪魔だ」
竜兵が距離を詰めた。足を振り上げる。
俺は、必死にドディアの体を覆った。覆うものは、俺自身の体しかない。
ドディアの体を抱きしめた。絶対に離すまいと腕に力を込め、ドディアとともに、空中に待った。
地面に落ちる。もはや、MPも残っていない。
「カロン、カロン」
「ドディア、奴は?」
どうやら、俺は目がやられたらしい。衝撃のためか、ゴミでも入ったのか、視界が暗かった。
「前!」
どっちの前なのかわからなかったが、ドディアの声の方角から見当をつけ、ドディアの体を引き寄せ、自分の体を前に出した。
俺は顔を蹴り上げられたが、今度は俺を蹴り上げた足を離さなかった。
太い足にしがみつき、握ったままだった鉄の剣を突き刺す。渾身の力をこめたはずなのに、剣が通らない。皮膚を破れない。ザンを連発して傷つけたはずなのに、俺の力では及ばない。
再び蹴り上げられ、俺は地面に転がった。
「カロン」
ただ俺の名前を呼ぶ声に起こされた。俺はドディアの体を抱きしめ、響いてくる足音に警戒した。そのつもりだった。
だが、俺の体は動かなくなっていた。
頭を掴まれたのはわかった。持ち上げられる。首が伸びる。いや、伸びそうになるほど、全体重が首にかかる。
俺は、頭部を掴まれてもちあげられている。ドディアの声は、泣いている。ドディアが泣いている。
俺が、なんとかしなければいけない。それなのに、体が動かない。
静まり返っていた客席が、騒ぎ始めた。
「殺せ」
その言葉が、絶叫のように響く。
もう駄目だ。体が動かないのだ。
「黙れ! 人間どもが!」
竜兵の声が轟いた。闘技場全体を威圧するかのような音量で、観客たちが一斉に静まり返る。
「この男は、我が捉えられてから、最も勇敢に戦い、我を傷つけた! この男を殺せというお前たちは、魔王がお前たちを殺そうとしていることを知っているのか! 我は竜王に仕える者、人間の王と交渉のために遣わされたが、騙されて見世物にされている! 人間よ! この男を殺すなら、それが貴様らが滅ぶ時だ!」
闘技場が再び静かになる。俺の体が、地面に落とされた。
ドディアが飛びかかり、俺の上に乗りのかかってきたのがわかる。竜兵から、俺を守ろうというのだろう。
俺は、スキルの時間制限が過ぎたことを知った。
「オウキュウテアテ」
MPがゼロでも使用できる回復スキルだ。
目が見えるようになった。やはり、一時的なショックによる失明だったのだろう。体を起こすと、ドディアが俺の首にすがりついてきた。
「あいつは?」
俺が首を巡らすと、竜兵が背を向けていた。
「どういうことだ?」
「もう、回復したか。人間が恐れるのもわかる。だが、我の敵は魔王のみ。人間が戦力にならないのであれば、皆殺しにしても構わない。だが、お前のような者がたまにいる。我は、大事な戦力を見世物のために潰すほど、愚かではない」
「……あんた、名前は?」
「ジルバ。だが、覚える必要はない。竜兵のなかでは、我は弱いほうなのでな」
俺は息を飲んだ。ジルバが弱いなら、強い竜兵というのは、どれほどの強者なのだろう。
俺は、ドディアと残された。闘技場の観客も、緊張した顔で竜兵を追っている。
竜兵が闘技場に開いた穴から消えると、闘技場の扉が開いて、数名の騎士が入ってきた。
騎士は、その手にエルフを抱えていた。
「……カロンさん、すいません」
ドディアは、エルフに抑えきれなかったのだと思っていた。だが、エルフが騎士に捕まったから、ドディアを逃したのだと理解した。
「万が一、竜兵がお前を殺せなかった時の保険だ。まさか、見逃されるとは思わなかった。自害しろ。さもなくば、こいつを殺す」
ドディアが飛びかかろうとしたが、俺が抱きとめた。
ジルバが残した言葉は、決して小さくはない。
観客席から、石が飛んだ。騎士にあたり、跳ねた。
「誰だ?」
振り向いた騎士に、石の雨が降り注いだ。観客が投げつけていたのだ。
「カロンを殺すなら、俺たちはどうなる!」
「魔王ってどういうことだ。なんで黙っていた」
「騎士が、魔王に勝てるのか!」
観客たちが口々に騒ぎ立て、騎士の乗る馬たちが動揺した。
俺を本当に殺したければ、人質をとった以上、暗い場所でやるべきだったのかもしれない。それだと、俺に反撃されるのが怖かったのだろう。いずれにしても、騎士たちでは力不足だったのだ。
俺はしばらくじっとしたので、多少はMPが回復していることに気づいた。
「ザン」
エルフの拘束が解け、地面に落ちる。
馬が慌てていたので、騎士たちが苦労していた。俺は足に力をこめたが、足が悲鳴をあげた。
痛みをこらえて地面を駆け、地面に落ちたエルフを助け上げる。
「俺は逃げる。もう、こんな国に用はない」
「それがいいでしょう。私も、ご一緒しますよ」
「あたしも」
「ドディアを手放す気はないよ」
俺はドディアの頭を掴み、ごしごしと撫でた。
エルフとドディアの二人を脇に抱え、俺は半開きだった闘技場の扉に飛び込んだ。
地下牢に戻る通路ではなく、飛び込んだのは騎士たちが出てきた通常の出入り口である。何度も出入りしてきたし、エルフのロマリーニは闘技場の従業員である。道に迷う心配はない。
「死体に紛れて脱出するんだろ? どこに行けばいい?」
俺を追ってくる兵士たちの足音が聞こえていた。
俺は食堂に飛び込んだ。闘技会は、昼食の時間を避けて行われる。試合が終わったばかりで、誰かがいることは少ない。
飛び込むと、予想通り誰もいなかった。抱えていたエルフとドディアを下ろしてから俺は尋ねた。
「ああ。あれは無しです。私がぐるだとバレましたからね。見つかって、殺されるのが落ちです。カロンさんは死なないかもしれませんが、この子はそうはいかないでしょう」
エルフは、床に下ろしたつもりなのに俺にしがみついているドディアを指した。俺が、ドディアを手放すつもりがないことが見透かされている。いや、ドディアの態度のせいかもしれない。
「では、どうする?」
「突破するしかないでしょう。私もお付き合いしますよ。エルフは奴隷にできませんが、犯罪者として裁けないというわけではありませんからね」
「……そうか。くそっ……結局、犯罪者か。もう一度聞くが、ファニーは、この街にはいないんだな」
「それは間違いにありません。ですが、国にはいますよ。暴れれば、この国いられなくなります。一応言っておきますが、それは承知しておいてくださいね」
わかっていたことだ。だが改めて言われると、間違ったことをしている気分になる。しかし、他に選択肢はないのだ。
俺は、椅子に腰掛けた。のんびりしている時間はないのかもしれないが、体はぼろぼろだ。最低でも、MPを回復させる時間は欲しい。
「……なあ、ロマリーニ……もしファニーが困っていたら、助けてやりたい。いまの状況で、どうすればできると思う?」
「自分のことだけを考えなさい。と言いたいところですが、カロンさんがここまできたのも、そのファニーという人間のためでしょうからお教えしましょう。この国を追われて外国に出たなら、この国で自由民になって金持ちになるという望みは捨てるしかありません。外国にいけば、そこでもやはり自由民としては扱われないでしょう。ですが、犯罪者としては認識されていない。身分は金で買えます。街に住まずに、カロンさんなら外で魔物を狩り、冒険者に売りつけて金を稼ぎ、身分を買って戻りなさい。自国の犯罪者であっても、他国の貴族であれば無下にはできません。奴隷一人、買い取るぐらいできるでしょう」
長い道のりだ。だが、まだ道はある。俺は頷いた。俺の足元で、ドディアが不安そうに見上げていたが、何も言わなかった。
俺はドディアを抱き上げた。
「もう、何があっても、俺から離れるな」
「……うん」
ドディアがはにかんだ笑みを浮かべる。
「……やっばり、そういう関係なんじゃない。あたしに言って欲しかったなあ」
声が突然、天井から降ってきた。見上げると、天井の石を外して、盗賊として俺を引き抜こうとしたフラウが降りてきた。
「闘技場のこと、見ていたよ。死んだかと思った。あの力、魔法? まあ、あたしが見ても、普通の魔法じゃないことぐらいわかった。妖術師だって言われても仕方ないね。でも、あの竜兵が言った通り、カロンは人間に必要になるんだろうね。魔王ってのが本当にどこかにいて、世界を支配しようとしているならね」
「魔王はいますよ。私は、魔王に対抗できる力を探すために派遣されたエルフ王の配下です」
ロマリーニの言葉に、フラウが小さく肩をすくめる。
「外国に行かなくても、あたしの雇い主なら、匿ってあげれるって言いたいけど……闘技場でのあの試合を見たら、カロンは強くならなきゃいけないってのはわかるよ。国にとどまって、こっそり強くなるなんてわけには行かないんだろ。外国に行って、救世主様になって戻るっていうなら、それもありじゃないかな。あたしは行けない。あんた……」
フラウが、俺の上にいるドディアに指をつきつけた。ドディアがキョトンと見つめ返す。
「カロンのこと、しっかり縛りつけておきなよ。あたしは、ハーレムに入るつもりはないけど、あんた一人ぐらいなら、我慢できるからさ」
「フラウ、何を……」
「お姉ちゃん、いまのカロンを見ても、なびかないよ。お姉ちゃんは、弱々しいカロンが好きだったんだから。お姉ちゃんを追いかけるのはいいけど、振られる前提でいなよ。そうしたら、あたしが慰めてやるから」
フラウなりの優しさだとわかった。俺は、回復したMPで体を回復させた。スキルを使用した反動で身体中が痛いが、HPは回復した。
動くことはできる。
あえて俺は反論せず、ドディアを床に下ろした。
「行こう。外まででいい。フラウ、案内してくれ」
「ああ。任せておきな」
フラウは、まだ膨らんでいない平たい胸を叩いた。
フラウが案内する抜け道は、闘技場の中を把握していると思っていた俺にも全く知らない経路だった。エルフのロマリーニも驚いていたので、通常では通路として使われない場所なのだろう。
武装をした兵士が捜索をしていたが、俺にも真剣には見えなかった。
「やる気がなさそうだな」
「竜兵相手にあそこまで戦う剣闘士の相手なんて、誰もしたくはないだろうよ」
フラウが言うと、ドディアも頷いた。それほど、竜兵というのは強いのだ。実際に戦ったからそれはわかるが、世間一般での認識を知りたかった。
「竜兵っていうのは、有名なのか?」
「竜王の配下で、軍としての強さは世界最強でしょうね。竜王っていうのは、本物のドラゴンです。ドラゴンとなんらかの魔物の交配で生まれるらしいですよ」
「……魔王に竜王、エルフ王もいるのか。色々な王がいるんだな」
「人間の王もその一人です。もっとも、人間の王は多すぎると、エルフ王も愚痴っていますけどね」
人間の王は、最低でも国の数だけいるだろう。この世界にどれだけの国があるのか、文明が発達していないように見えるこの世界では、把握すら難しいだろう。
「カロンもその一人でしょ。ゴブリン王って、ね?」
フラウは言って笑った。すっかり過去のことと忘れかけていたが、今でもゴブリンの前に出れば、俺は王なのだろうか。
「カロン、外だ」
もっとも嗅覚に優れたドディアが先頭にいた。ドディアが指さす。狭い通路だ。通路というより、施工の際の不手際で生じた壁と壁の隙間だ。
俺はドディアの頭に手を置いて、体を前に乗り出した。
確かに外だ。だが、運がいい。目の前に、荷馬車が止まっている。出ても見つからないだろう。
「隠れられる。出るぞ」
「じゃあ、あたしはここまでだ。カロン、生きて戻りなよ」
フラウが背後から声をかけてくる。
「ああ。できれば、貴族になって戻ってくるよ」
「あははっ。あたしの雇い主にもそう言っておく。戻った時、内戦になるかもしれないから、軍隊を引き連れてきたほうがいいよ」
「その時まで、人間の世界があればいいですね」
エルフがぼそりと言った。俺は去っていくフラウを見届け、闘技場から外に出た。




