5 ひょっとして、オオカミじゃないな?
思ったとおり熟睡はできず、わずかに眠っては目を覚ますということを繰り返していたが、なんとか夜を越すことはできた。
まだ周囲は暗いうちから、俺は起き出した。これ以上横になっていても、眠ることができないだろうと感じたからである。
ステータスを確認すると、MPは最高値まで回復していた。疲れが取れたという感じはしないが、MPと実際の疲労は別なのだろう。
現在は布切れになってしまったが、粗末な衣服を着ていた。靴もある。俺の体がアバターとして創造されたものではなく、予想通りに死んだ少年の肉体にたまたま入ってしまったのだとしたら、もとよりこの世界の人間だということになる。つまり、この世界に人間がいる。
落ち着いて考えてみると、レベルアップを目指して森の中でサバイバルをしているより、人里を探して森から出たほうがいいのではないだろうか。
一瞬だけそうは思ったが、この少年は1人で山に入り、死ぬところだった。どうしてこんな危険な山に少年が1人で入ったのかはわからない。危険であることは、身を以て経験済みだ。
罪を犯して逃げ込んだのかもしれないし、良からぬ企みをもっていたかもしれない。
俺の肉体である少年の素性がわからない。いずれ人里に降りるにしても、レベルをある程度上げてからにしたほうがいいだろう。
結局、悩んだ末に俺の結論は変わらなかった。
朝食を摂るにも腹が減らなかったので、森の中を散策することにした。しばらく歩くと、6つの目があるオオカミと鉢合わせした。
オオカミは、俺の顔を、いや匂いかもしれないが、覚えていたのか、あるいは単に獲物だと思ったのか、遠吠えを始めた。
ステータスを呼びだし、俺はMPが最高値までのままであることを確認する。
オオカミが仲間を集めるのを、俺は手に粗末な石斧を呼び出しながら待った。
逃げるつもりはない。もともと、オオカミを探していたのだ。
どちらが獲物か、今度は思い知らせてやる。
オオカミの群れに包囲された。第二ラウンドだ。
正面からとびかかってきた1匹を石斧で殴りつけ、とびかかってきた2匹に立て続けにボヤを放つ。
炎に包まれたうちの1匹を石斧で追撃しながら、さらに近くにいた2匹を炎の塊に変える。
最初に殴ったオオカミが復活した。それを火だるまにし、さらに2匹を炎で包む。
途中、何度か手足に噛み付かれたが、俺は新しく得たスキル、ガマンで行動不能に陥ることなく、石斧をふるいつつ魔法を連発した。
どれぐらい戦っていたのかわからなかった。地面に5匹のオオカミが転がり、遠巻きにしていたオオカミたちが、ゆっくりと距離を詰める。
すでに、かなり消耗していた。この間にレベルも上がったが、レベル上昇分がそのまま使用できる仕様ではない。回復を待たなければ、上昇分のMPは使えないのだ。
そろそろ、限界か。
また逃げて、もう少しレベルを上げてから再戦するしかないのだろうか。
いや、下手をするとこのまま、逃げきれずに死ぬかもしれない。
俺がめまぐるしく考えていた時、詰めようとしていた距離を放棄して、オオカミたちがゆっくりと後退し始めた。
どの個体が音頭を取っているのかはわからないが、被害が大きすぎると判断したのだろう。撤退を選択したのだ。
俺は、崩れそうになる膝をしっかりと押さえつけ、隙を見せないように身構えたまま、オオカミが去っていくのを見送った。
どうやら、またもや生き残ったらしい。
俺は自分が生きていることを確認しながら、ゆっくりとへたり込んだ。
焦げたオオカミの肉をアイテムボックスに入れる。
HPは回復させたが、代わりにMPはきっちりゼロになった。
また、しばらくは休まないといけないだろう。
そう思ってステータスを確認すると、HPとMPの最高値が、揃って53になっていた。レベルは先ほどの戦闘中に、4に上がっている。
始めたばかりの頃はかなり低いと思っていたが、レベルアップのたびに1・5倍になり続けている。数日で生命力と精神力が3倍以上になったといったら、どんな荒業をしたのかと疑いたくなるところだ。
もっとも、元の世界に戻れないので、ずっとゲームをプレイしている状態だとすると、2日間プレイし続けてレベルが1から4に上がりましたといえば、どれだけ過酷なゲームなのかということになる。
HPとMPだけでなく、筋力や知力を示すだろうステータスも、凄まじい勢いで上昇しているが、知力が高くなった、という実感はない。本当に能力値として上がっているのかは不明である。
ゲームでいう知力が、頭の良さではない可能性もある。検証もできないので、とりあえず置いておく。
MPの自動回復は、休憩中は毎分1であることは承知しているので、1時間ほど、じっとしていることにした。
時計はないが、MPの回復がタイマー代わりだ。
だが、俺の希望は叶わなかった。休憩を初めて10分ほどで、再びオオカミの顔が草の中からにゅっと突き出してきたのだ。
MPの残量が10であるから、1匹はいける。そう思い、俺は座っていた体制から膝をつき、いつでも動けるようにして、オオカミの鼻先に狙いを定めた。
対象を直接燃焼させるボヤの魔法は、いままでに狙いを外したことはなかったが、何の動作もせずに魔法名を言うだけで、狙い通りに火がつくかどうかは自信がなかった。
そのうち検証する必要はあるだろうが、相変わらず命が危険な状態である。自分の命を賭けてまで実験をする趣味は、俺は持っていない。
「群れからはぐれたのか? お前の仲間たちは、ここにはいないぞ」
「そうか。どこにいったのか、わかるか?」
オオカミが返事をした。俺は驚いた。いままで、話はしていなかった。だから、目が6つあるだけの獣だと思って殺し、肉を食らった。会話ができるとは驚きだ。
「ほ、方向ぐらいならわかるけど……お、俺のことは諦めたみたいだぞ。今更、敵討ちか?」
「敵討ち? 何を言っている?」
ひょっとして、俺を殺すために仲間を集めようとしているのではないかと思い、俺は思わず、自分でも余計なことを、と思うことを口にしていた。
「お、お前の同族を殺したが……俺を食おうとしたんだ。だから、食われる前に殺した。恨まれる覚えはない」
「それは当然だな。別にお前は悪くない」
「あ、ああ。そういってもらえると助かる。やっぱり。あんたは群れとはぐれたのか?」
「はぐれた? いや、追っているところだ」
「追っている? どうして?」
「オオカミを追う理由は、2つしかないだろう。駆除するか、狩るかだ」
どうも話がおかしい。オオカミがオオカミに対して言うことではない。
「なあ……間違っていたら申し訳ないが……」
「なんだ?」
「ひょっとして、オオカミじゃないな?」
「当たり前だ。なんだと思っていたんだ」
オオカミの体から、人間にそっくりな、ごつごつした太い腕が生えた。
腹から生えた手が自分の頭部を掴み、オオカミの頭部を掴みあげる。その下から、赤黒く汚れた、どう見ても人間と思われる男の顔が現れた。
「……人間、か?」
「一応な。オオカミがしゃべっていたと、本気で思っていたのか?」
「ははっ。なんだ。やっぱり……人間がいたんだ。よかった。俺だけだったら……どうしようかと思った」
安心したからだろう。俺は、自分の頬が濡れるのがわかった。
泣いていたのだ。どうして泣いたのか、俺自身にもわからない。それだけ、不安だったのだ。
「お、おい。大丈夫か?」
男は愛想こそなかったが、朴訥な、たくましい男だった。
「あ、ああ。なんでもない。よかった……よかったよ」
俺が男に抱きつこうとすると、男は短いがたくましい腕で俺を押し返した。
だが俺は、押されなかった。男の腕は、俺がこれまで見たどんな腕よりも太かったが、俺は男のつっぱりを受けても、ビクともしなかった。
これが、勇者レベル4の実力だろうか。
「勘弁してくれ。どこの子か知らないが、男同士で抱き合う趣味はないんだよ」
「ああ。俺もだ。できれば、女の子がいい」
「そりゃ、よかった。坊主みたいな怪力なら、きっといい娘も見つかるさ。さぁ、邪魔をしないで、オオカミがどこにいったのか、教えてくれ」
男と感動の抱擁とはいかなかったが、久しぶりに会った人間だ。この世界がゲーム世界でなく、本物の異世界なのだとしたら、初めて会った人間だということになる。
俺は、しばらく行動を共にしたいと思ったが、正直に言って信じてもらえるとは思えなかった。
どこの世界に、ゲームを始めたつもりが突然オオカミの殺されかけていたと言って、信じる奴がいるというのか。
俺は、真実を隠したまま、男についていく方法を考えた。
割と簡単だった。目の前の男とは、目的が一緒なのだ。
「逃げて行った方向だけでよければ、案内するよ」
「逃げて行った? オオカミがか? どうして?」
「俺が、オオカミを沢山ころしたからだよ」
「そりゃ凄えな。与太話はいいから、案内してくれ」
「わかった。でも、案内するだけじゃダメだ。俺も、オオカミと戦いたい」
俺は素直に言った。一緒に戦うといわれて、拒否するとは思えなかった。だが、俺は男のことを何も知らなかった。
「冗談じゃない。戦うなんて、危険なことをするものか。俺は村に雇われて、オオカミを駆除に来たんだ」
「……どう違うんだ?」
「巣に毒を流して、弱ったところを焼き払うんだ。だから、見つかったら元も子もない。そのために、匂いをごまかしているんだ」
「……はぁ」
男は、狩人なのだろう。自分が被っていたオオカミの皮を持ち上げてみせてから、再び頭からかぶる。顔が汚れていたのも、オオカミの血をぬりつけているのだろう。
「じゃあ、俺にできることは?」
「何もない。案内だけしてくれ。余計なことはするなよ。毒を吸い込んだら、人間にも効く奴だ」
「わかった」
男とパーティーを組んで協力プレイ、とはいかないようだ。
俺はオオカミが去っていた方向に進むことにした。
「こっちだよ」
「なるほど。動揺しているな。跡を消し忘れている。坊主が何をしたか知らないが、オオカミをひどく動揺させたことは確からしい。助かるよ」
「役に立ったならよかった」
男は礼を言ってくれたが、俺がさらに進もうとしたところで、足をつかまれた。
「もう十分だ。素人にこれ以上進まれると、オオカミに感づかれるし、せっかく残った痕跡も潰れちまう。坊主は残っていな。すぐに山を降りるんだ。火を放てば、山火事になるかもしれない。それでもいいと、村からはいわれている」
物騒なことだ。かなりの大きな火を放つつもりらしい。
俺が使えるボヤより、高位の炎魔法が使えるのだろうか。
見たいという気持ちはさらに高まったが、邪魔だといわれれば、それ以上、何も言えない。
俺は仕方なく、男と出会ったもとの場所に戻った。
「あんたが戻るの、待っているよ」
「逃げろよ」
一言だけを残し、狩人だと思われる男は森の中に消えて行った。
俺は結局、逃げずにその場に留まった。
山を降りろと言われたのだ。従ったほうがいいのは間違いない。オオカミに対しても、気は済んだ。なにも全滅させなくてもいい。
だが、俺はその場に止まった。
オオカミが全滅するのを見届けなければ、と思ったわけでもない。理由は簡単だ。どっちに逃げれば山を降りられるのか、俺にはさっぱり分からなかったのだ。
下手に動けば、再び道に迷うだろう。といっても、元々の道が存在しないので、迷っているとも言い難いのかもしれない。
人里を目指すのなら、男が戻ってくるのを待つのが最良だという判断は、間違っているとは思えなかった。
俺は、男と出会った場所でしばらく待っていると、俺のMPがすっかり回復したころ、変化があらわれた。
草ががさりと揺れ、地面に落ちるように倒れたのは、見たことのある男だった。
オオカミの血で汚していた顔は、赤黒いのではなく鮮やかな赤色に染まっていた。首筋から、さらにどぶどぶと流れ出ている。
「おい、大丈夫か?」
「ま、まだ居たのか。逃げろ。失敗だ。あれがいるとは、知らなかった」
「『あれ』? あっ……そうだ。メディ」
俺は回復魔法を使用した。男に対して魔法を発動させる。
男が目をぱちぱちと開閉させた。
「……死んだのか?」
「まさか。死んでいるはずがない。俺が治した」
「ど、どうやった? あんな傷が、跡形も……坊主、まさか魔法使いか?」
「いや。勇者だよ」
「はっ! 勇者って、なんだそれ? いや……命の恩人だ。名前は?」
「カロンだ。あなたは?」
「サロワリ村の狩人、ズンダだ」
「なにがあったんだ? できることなら、協力するぞ」
あれだけ自信があった狩人が、瀕死で戻ってきた。恐ろしい敵がいるのに違いない。
それでも、俺はなんとかなるのではないかと思っていた。狩人が一緒だし、狩人は相手を見ているはずだ。
どうしても勝てなそうなら、このまま逃げればいい。
「最近、この近くの村でオオカミの被害が続出して……この辺りの狩人が全員やられて、俺が雇われた。おだてられて、調子に乗っちまった。カロンがいなければ、死んでいたところだ」
「そうか。で、なにがいた? 凄腕の狩人のズンダがあんな目にあったんだ。よほど恐ろしい奴がいたんだろう」
「凄腕だなんて、おだてるなよ。確かに、俺より腕のいい狩人は、ちょっといないぜ」
ズンダは言いながら、照れ臭そうに頭を描いた。おだてに乗りやすいというのは、間違いないようだ。