29 魔法使いレベル1に転職する
ダンジョンの入り口は、鬱蒼と生えた木々に隠されていたが、人間たちがよく出入りするのだろう、踏み荒らされた形跡ですぐにわかった。
森の中で人間の形跡をすぐに発見できるのも、狩人のズンダのおかげである。
木々で覆われた窪地の底に、黒い穴が口を開けている。
入り口は広くはなかったが、人間一人ならよほどの大男でも立ったまま入れるぐらいの大きさはあった。つまり、列を成せばまとまった人数でも入れるということだ。
中が暗いことに、俺は悪態をついた。ダンジョンといえば、通路上に電燈が灯っているようなイメージをしていたのだ。確かに、この世界で電化製品を見たことがないので、日常に電気を使用することはないのだろう。つまり、電燈を期待するほうが無理だ。
仕方ない。俺は、ダンジョンに入る前に、周囲を巡って枯れ枝を拾い集めた。拾っては次々にアイテムボックスに放り込む。
20分ほど続けただろうか。枝拾いにも飽きたころ、俺は再びダンジョンの入口に戻ってきた。この間、誰にも会わなかった。ダンジョン探索が、ピクニックのように気軽に行われているというわけではないようだ。
俺は木の枝を一本取り出すと、ボヤの魔法で火を灯した。
なんどもやったことがある。焚き火にもボヤを使うのだ。
即席の松明で、長い時間は期待できないが、真っ暗よりはるかにましだ。
俺は松明を持ち、真っ暗な洞窟に足を踏み入れた。
ダンジョンの中は、入り口こそ天然の洞窟にそのものだったが、中に入ると平坦な通路のようになっていた。細長い暗い道が、まっすぐに続いている。
足元の地面には、新しいものではないが人間の足跡がある。それ以外は、壁も天井も、ただ地層が現れた鍾乳洞のように見えた。
だが、ミノタウロスはこのダンジョンの地下30階で捕獲されたのだという。
ならば、きちんと階層がわかるような作りになっているはずだ。
俺はそのまま進みだし、思い直してすぐに引き返した。
ダンジョンといえば、迷路になっていて当然だ。慎重にいかないと、自分のいる場所さえわからなくなる。
地図を作ろうと思った。それは、真っ先に思ったのだ。
だが、諦めた。地図を書くための道具を、何も持っていなかったのだ。
インクもペンもない。書くものだけは、村の壁を剥がした漆喰の裏にでも書けばいいが、うっかり落として、精緻に描かれた幼馴染のファニーの似顔絵を壊してしまっては元も子もない。
俺はしばらく悩んだ後、気にせず進むことにした。最低でも五日間はダンジョンに潜るつもりなのだ。少しぐらい迷ったところで、そのうち出てこられるのに違いない。
最悪、上下の感覚さえわかれば、穴を掘ってでも外に出ればいいのだ。
ダンジョンの壁は壊せない、というようなゲーム的なルールがあったら、それこそ、俺は飛び上がって喜ぶだろう。この世界がゲームの続きである可能性が、少しでも出てくるのだから。
しばらく進むと、急に開けた場所に出た。何もないただの空間である。明かりがただの燃えている木の枝であり、遠くまでは見えない。壁の位置がわからない広さである。
簡易松明を揺り動かしていると、丸いものが動いたような気がした。
「ボヤ」
味方であるはずがないと思った俺は、動いたように見えた丸いものに魔法を放った。
燃え上がり、それが地上でも見つけたアナグマモドキであることを確認する。
一匹が燃えると、密集していたのか、次々に燃え上がる。俺は銅剣を持ってアナグマモドキの群れに飛び込み、次々に打ち倒した。
三回ほどボヤを使うと、あとは勝手に燃え広がった。
ダンジョンから入って最初の広場にいたアナグマモドキは20匹にも達した。
これで、しばらくは食事に困ることはないだろう。
広場から、早速、道が枝分かれしていた。俺が入ってきた場所を除いても、三方に伸びている。
目的があるわけでもないので、適当に選んでいいだろう。その前に、俺は自分が入ってきた道に、目印で木の棒を突き刺した。これで、帰ることはできる。
俺は左の道を選び、どんどん入っていった。人間は左側を選ぶ傾向があるとか、そんなことはどうでもいい。天然の洞窟であれば、人間の習性を考えて罠や魔物を配置するようなことをしているはずがない。
人口のダンジョンだと思われる場所に入ったら気をつけることにして、俺は暗い道を進むことにした。
土の中で複雑に枝分かれし、ところどころに広い空間がある。
俺は、そういう性質をもった深い穴を知っていた。
ダンジョンとは思っていなかったが、現実の世界でも見たことがある。
入ったことはない。入れるはずはない。
俺は、アリの巣の中を思い出していた。
俺の想像が正しかったことは、直ぐに明らかになった。
小さな松明で照らされた暗闇の中を、巨大なアリが歩いてくるのに気がついた。俺の目には、ヒトクイオオアリと表示された。それが名前なのだろう。
巨大といっても、体は俺の握りこぶしほどしかない。
だが、数が多い。このダンジョンが本来アリの巣だったとしたら、このヒトクイオオアリはまさにダンジョンの主ともいえる存在だ。
戦えば、囲まれるだろうか。囲まれたら、逃げられないだろうか。
アリの巣に飛び込んだ俺としては、おそらく無数にでてくるだろうアリたちに喧嘩を売るのは気が進まなかった。
ひょっとして、アリたちもこのダンジョンを仮住まいとしているだけかもしれないが、それでも大量に出てくるだろう。
俺は、ダンジョンの壁にはりついてやり過ごすことにした。アリの怪力は知られたところである。拳大の大きさのアリが、体に比例して強い力を持っているとすれば、俺の指ぐらいは簡単に嚙み切れるだろう。
集団に対する攻撃手段を欠く俺には、少しばかり荷が重い。
そう思った時、俺はまだ、単体に対する魔法しか持っていないことに気がついた。いままでは不自由しなかった。魔物の集団に襲われても、なんとかなった。 虫のような集団戦を得意とする魔物には、全体攻撃、あるいは範囲攻撃を可能とする魔法が必要だ。
俺は、職業欄を呼び出した。その間にも、俺の前を巨大なアリが行列を作って行進している。
俺は、職業欄に手を伸ばした。
転職が可能な職業のリストが並ぶ。その中に、魔法使いというのがあった。まだ、魔法使いとシーフという2つの職業は、一度もなったことがない。
魔法使いなら、全体攻撃魔法も覚えられるだろう。きっと、覚えるような仕様になっているはずだ。
だが、俺は思いとどまった。魔法使いに転職するということは、レベルが1に戻るということだ。どんなに魔法に長けていても、MPは勇者より低いだろう。これから先、どれだけの魔物が出るかわからない状況で、これまでで経験したよりもHPが低そうな職業に転職し、しかもレベルを5上げるまで勇者には戻れない。さすがに、途中で死ぬ確率のほうが圧倒的に高いだろう。
俺は、転職せずに職業欄から指を離した。
その直後である。
まるで、アリたちに護衛されるかのように、白くぶよぶよとした体に、アリの半身を持った、何者かが、はい進んできた。
蛇のように長い胴体に、ムカデを思わせる無数の足が生えている。
どうやら、女王アリだ。
アリの頭部の上には、ご丁寧にも王冠じみたものが載っている。誰かが作ったのではないだろう。生まれつき、生えているのだ。
壁際にはりついた俺は、目の前を巨大な虫が通過するのを見送り、このアリたちは、ダンジョンの主人ではなかったのだと理解した。
たまたま、住みやすそうな穴があったので入り込んだのだ。きっと、一番住み心地の良い場所を探して移動中なのだ。
「ザン」
女王アリの体が真っ二つに裂け、最も気高く、最も不気味な虫が、悲鳴もあげずに地面に転がった。
大量のアリが、一斉に俺に顔を向ける。虫の表情はわからない。
俺はボヤを連発し、一発につき確実に一匹を仕留めた。だが、20匹を超えたあたりで、どうにも仕留めきれないことに気づいた俺は、逃げることにした。数の底が見えない。たとえこのダンジョンの支配者でないとしても、アリの集団戦を甘くみてはいけなかったようだ。
逃げなければ捕まって食われる、という想像をしていたため、俺は必死に走った。裁判所で長い間繋がれていたから、体力は戻っていないかもしれないと思ったが、息が切れることもなく走り続けられたと思う。どうやら、心肺機能は勇者レベル6に準拠しているようだ。
走って逃げるうちに、松明の火も消えてしまった。俺は再び外で拾い集めた木の枝にボヤの魔法をかけると、残りのMPが一桁になっていることに気がついた。
代わりに、レベルは勇者7に上がっていた。ファンファーレに気づかなかったが、大量のアリを始末していた間に上がったのだろう。
追ってくる気配はない。女王アリを真っ先に殺したので、復讐にかられていつまでも追いかけてくるかと思ったが、所詮はアリだということかもしれない。
目の前で女王アリを殺されれば襲いかかってもくるが、遠く離れてしまえば、すでに死んだ相手に忠義を尽くすような思考は持っていないのだろう。アリが女王アリに従うのも、心情的なものでは当然なく、フェロモン的な物質によって操られているだけなのだという説もある。ならば、死んだ相手のために危険を冒す必要はないし、俺を殺せという命令を出す奴が、そもそもいない。
松明を灯して、アリの姿が見えないことに安堵した俺は、とりあえず腰を下ろした。
MPが一桁となっていた。HPにはまだ余裕があるが、これから先のことを考えれば、ここで1時間は休憩を取りたい。
1時間という時間をどうやって測るのかといえば、MPが60回復するのを待てばいい。
俺は、焦げたアナグマモドキの肉をステーキに変えて、腹ごしらえをしながら、その場で休憩とした。
ダンジョンだからといって、頻繁に魔物が行き交うわけではないのだろう。
俺は、腹も一杯になってうたた寝をしてしまったが、魔物に襲われることもなかった。
MPがほぼ満タンだったので、予定より休憩を長くとっていたのだろう。体も楽になったので、そろそろ探索を再開しようかと思い、松明を灯す。
細い炎が、視界の隅で照り返されたのに気づいた。
光を反射する、といえば、金属を思い出した俺は、金かアイテムでも見つけたかもしれないと、そちらに灯を向けてみた。
テラテラと光を跳ね返す、何かがあるのは間違いない。俺が気もそぞろに首を伸ばすと、丸い、黄色い物体だとわかった。
近づいてみる。
途中でアナグマモドキの集団と交戦したような、広い空間だった。
広い空間に、びっしりと、黄色い丸いものが並んでいる。地面に立てて配置され、足の踏み場は実際にまるでない。
どうやら、ヒトクイオオアリの卵だ。
さっきの女王アリは、この場に卵を産みに来たのだ。卵を産み終わり、次の産卵場所に向かうために、アリたちに護衛させて移動していたのだ。
俺は、銅剣を取り出して卵を1つ割ってみた。
中から、成虫のアリよりはふた回り小さいが、立派なヒトクイオオアリが転がり落ちた。すでにアリとして完成された姿を持っている。しかも、すぐに動き出し、俺の手を噛み付こうとしている。
誰も制御していない巨大なアリの大群が、誕生しようとしている。
俺は、銅剣を振り下ろしてアリの頭部を破壊した。
放っておくのは危険だろう。
今なら、安全に卵を破壊できるのだ。
そこまで考え、俺は再びステータスを呼び出した。
経験値は僅かだが入っている。勇者レベル7であれば少ない経験値だが、魔法使いを成長させるには、これだけ卵があるのだから、レベル5ぐらいにはなれるのではないだろうか。
松明の火が届くかぎりの、卵の草原である。
まさか、後数分で全部の卵が歸るということもないだろう。
俺は、勇者レベル7から、魔法使いレベル1に転職することにした。




