25 王は、そんなに私のことを気に入ったのですか
俺はゴブリンと2人きりになった。ゴブリン王と従者として、気兼ねのない関係になったかというと、実は全くそうではなかった。
もともと、俺の性的欲求を満たすための道具として連れてくこられたゴブリンである。俺とゴブリンは、初めてホテルに入ったカップルのように黙り込んだ。
「あの……」
「はい」
どうにもぎこちない。まずは、世間話から始めることにした。
「ゴブリンは言葉を持っていないと考えている人間が多いみたいだ。知っていたかい?」
俺はベッドに腰掛けていた。ビジネスホテルのシングルぐらいの広さだといっても、同じように設備が整っているわけではない。実際のところ、ベッドしかない。水浴びをする場所があるだけ、高級なのだろう。きっと、風呂があるのは金持ちだけだ。
「ゴブリンに、言葉はありませんよ」
「えっ? だって、俺とは話しているだろう。これは、ゴブリン語じゃないのか?」
「私たちは、色々な手段で意思を伝えます。行動や、声や、匂いや、顔つきで。色々なものを使って伝えるのを、言語だと勘違いされているのでは?」
言われてみれば、ゴブリンは会話をするときに随分と慌ただしい。だが、俺はそんなことはしていないはずだ。
「俺の言葉は、どう聞こえている?」
「ゴブリンの声に聞こえます。とてもよく聞こえます。だから、ゴブリンの王なのですね」
なぜか納得された。俺自身も分からない。ゴブリンが本来言葉を持たない種族なのに、俺は言葉として理解できている。ということは、動物と会話をできてしまうのだろうか。俺は、この世界で獣医師になるべきなのだろうか。
「まあ、いいか……考えてもわからない。お前は、名前は?」
「ありません。名前って、なんですか?」
「ゴブリンは名前を持たないのか? 俺は、以前にゲコと名乗るゴブリンに世話になったが。そいつは人間の言葉を話していたと思うから、少し違うのかもしれないが」
「きっと、人間に教育されたゴブリンですね。そういうゴブリンは、もう野生には戻れません。一生飼われたままの、哀れな奴です」
「……哀れな……か。やはり、飼われるのは辛いか?」
はじめはぎこちなかったが、次第に緊張も解けてきた。俺は、少し嬉しくなって、口を動かした。
「ゴブリンは1人では生きられません。群れなくては生きられないのに、群れに入れない。とても哀れです。私は強い群れの長に選ばれました。とても光栄です」
俺に仕えることを言っているのだろう。
「俺も、お前のようなゴブリンと知り合えて嬉しいよ。とても、可愛らしい」
褒め言葉は有効なようだ。ゴブリンは、ちょっと照れたように体をくねらせた。気持ち悪いとは思うまい。
「しかし、名前がないと不便だな。俺は、これから毎回ゴブリンを連れて戦いに赴くだろう」
「はい」
「その中に、お前がいないことはあると思うか?」
「もしそのような時があれば、とても残念です」
ゴブリンは種族全員が戦士だと言っていた。それは、やはり間違いではないようだ。
「ならば、お前には名前をつけておこう。お前も自分の名前を覚えてもらうぞ。次の戦いで、お前がほかのゴブリンと一緒に戦うならば、当然特別扱いはしない。一緒に戦士として扱う」
「はい」
当然だ、という顔つきで頷いた。
「その時はいい。平等だ。だが、戦いが終わったら、また俺はゴブリンをこの部屋に連れ帰るだろう。その時に、お前以外のゴブリンを連れ帰ったら、お前はどう思う?」
「ゴブリン王が望まれるのでしたら、仕方ありません」
「俺が望んで選んだのなら、そうだろうな。だが、俺はまた、お前を連れて帰りたい。それなのに、ほかのゴブリンと見分けがつかなくなって、別のゴブリンを連れて帰ってしまうかもしれない」
「その時は、王の相手は私だと言います」
「他のゴブリンが同じようなことを言ったらどうする? 俺には、見分ける手段がない」
「そんなこと、しますか?」
「誰かがするかもしれない。そうしたら、他のゴブリンたちも同じようにするだろう。それでは、俺も困る」
「……王は、そんなに私のことを気に入ったのですか?」
「気にいるかもしれないし、気に入らないかもしれない。気に入ったら……手放したくないだろう」
「では、私のことを気に入ってからでいいのでは?」
「正論だな。では尋ねるが、お前は俺に、気に入られたいか?」
ゴブリンは俺をじっと見た。濁った黄色い目をしている。口元が実に汚らしい。好きな生き物かと聞かれれば、絶対に違う。
「……はい」
それでも、はにかむように返事をする姿は、これもありなのだろうと俺を納得させた。
闘技場はどうやらかなり巨大な建物らしく、奴隷身分の剣闘士は全員が闘技場内に住んでいるらしい。
闘技場の収容人数はかなりの大きさで、10,000人ぐらいは客が入れるようにできている。単純に興行目的なのか、戦争時に民衆を集めるためかはわからない。
剣闘士の部屋は建物の周囲を囲むように配置されており、外敵に囲まれれば、最初に侵入さけるだろうという場所にある。
俺に与えられたのもそういう部屋なので、現在戦争状態ではないらしいこの王都では、ただ見晴らしのいい部屋だった。
部屋で水浴びをすることもできるが、水がないため共同の水汲み場で汲んでくることになる。
俺はまず、ゴブリンを洗ってやることにした。これから共同生活をするのだ。ゴブリンと性的にどうこうするかどうかは、もう少し馴染んでから考えた方がいいだろう。
俺は、水を汲みに行こうとして、体が悲鳴をあげるのに気づいた。
呻いて、硬いベッドに倒れこんだ。
「王よ、大丈夫ですか?」
突然うめき声とともに突っ伏した俺のことを心配して、手持ち無沙汰にぶらぶらしていたゴブリンが駆け寄ってくる。
「ああ。闘技会で、ちょっと無理をしたからな。体が悲鳴をあげた」
この三日間それなりに鍛えたつもりだったが、やはりその前の一月近く、監禁されていたのが痛かったのだろう。あるいは、コンシンやガマンといった、戦闘系のスキルを使ったからだろうか。ほぼ全身が痛いので、原因もわからない。ただ、痛みかたから、ただの筋肉痛だと判断する。
「医者を呼んできます」
「お前は話せないだろう」
「……そうでした」
ゴブリンは人間と意思の疎通ができない。一部の人間と話せるゴブリンは、野生で育ったゴブリンたちと意思の疎通ができない。不便なものだ。
「少し、横になっていれば治る。怪我をしたわけじゃない」
「水を汲んできます」
「場所はわかるのか?」
「探します」
「駄目だ。ここに来い」
俺は、自分が横になったベッドの隣を指で突いた。
ゴブリンが寄ってくる。
自分が奴隷であることを忘れそうだ。人に命令して、言うことを聞かせるのはなかなか気持ちがいい。
ゴブリンは、ベッドの下の床の上に座ったらしく、姿が見えなくなった。
「こっちだ」
俺が体を回転させてベッドの下に顔を出すと、ゴブリンの緑色の後頭部が見えた。
屈んだゴブリンが、恥ずかしそうに顔をあげる。可愛いとは思うまい。人間としての尊厳は守るのだ。
「何もしない。これから、ずっと一緒にいるのだ。早く慣れよう。来い」
「で、でも……」
俺は有無を言わさず、腕を伸ばしてゴブリンの体を抱き、ベッドの上に引っ張り上げた。俺は眠くなっていた。
小さなゴブリンを脇に抱きかかえるように、俺は目を閉ざした。ゴブリンは俺の脇腹に張り付ついて硬くなっていたが、しばらくすると緊張が解けたのか、やはり眠くなったのか、硬さが取れてきた。肌は硬いし、ごわごわしているが、力を抜けばそれなりに柔らかいし、暖かい。
俺はゴブリンを抱いて寝るのも、それほど悪くないじゃないかと思いつつ、眠りに落ちていった。
目がさめると、やはり体が痛い。背中と足と、腕と首が痛い。部位が特定できるのは、少しは回復したのだろうか。
ゴブリンを脇に抱いているため、脇腹だけ暖かい。
俺は、ゴブリンを起こさないように、横になったままでステータスを確認した。
レベルは上がっているかと思ったが、勇者レベル5のままだ。勇者に戻ったのだから慌てることはないと思いながら、HPとMPを確認する。
満タンに回復していた。だが、体は痛い。これは、カロン少年の体だという名残だろう。多分、動けばHPが示す通りの働きは今でもできるだろうが、カロン少年の肉体がもたないかもしれない。人間の肉体は、特に若いうちは使うほど強くなる。次第に慣れていくだろうが、ゲームとしてのステータス上昇にカロン少年の体が追いつかなければ、どこかで限界がくるかもしれない。
俺は、そっと息を吐いた。少年の肉体まで心配しなければならないとは。悩まなければならないことが、まだまだ多いようだ。
俺が目を開けてからしばらくして、ゴブリンも目を覚ました。
頭を上げてきょろきょろと見回している。自分がどこにいるのか、わからないようだ。
「どうした?」
「あっ……ゴブリン王」
「ああ。お早う」
俺は、窓、というより壁をくり抜いて空けた穴から入ってくる光に、結局一晩眠ってしまったのだと判断した。
傷はない。体は無事だ。だが、どうしても痛い。痛む身体を起こした。ゴブリンは臭うものだと思っていたが、人間の鼻は刺激に敏感な割に、すぐに慣れるのも特徴だ。ほとんど気にならなかった。
剣闘士が臭いからと行って、怒られるいわれもない。
「おはようございます」
ゴブリンは起き上がって、ちょこりと頭を下げた。
「そういえば、傷の具合は? あの時に瀕死だったゴブリンだったら、かなりの傷を負っているはずだが」
「治りました。ゴブリンは、死ななければ傷の治りは早いのです」
「そうか」
ゴブリンが首筋を見せた。緑色のごわごわした肌がある。傷跡もないので、何を見せられているのかよくわからないが、怪我した場所なのだろう。
俺が身体を起こすと、ゴブリンはその場に座り直した。
「……飯って、どうなっているんだろう?」
「わかりません」
「この闘技場には、長くいるんじゃないのか? 前回は? 昨日が、俺と戦った初めてか?」
考えてみれば、前回は敵としてゴブリンと戦ったのだ。結局、その戦いでゴブリンたちがひれ伏したため、実際には戦っていない。あの中にいた連中は、どうしたのだろう。
「前回も、私はおりました。ですが、ずっと檻に入れられ、投げつけられたものを食べるだけでしたので、王がどこで食べるべきか、知りません」
「そうか。いや、知らないならいい。無理なことを聞いて悪かった。多分、部屋まで運んでくれるようなことはないだろう。高級ホテルじゃあるまいし。食堂がどこかにあるんだな。食べに行くか……その前に、身体を洗うか?」
「身体を……洗う?」
ゴブリンは首を傾けた。たぶん、清潔にしておくという習慣はないのだ。理解すらできないらしい。
さすがに、ゴブリンと関係を持つときは洗いたい。昨日は疲れていたし眠かったし、ゴブリンに性欲を覚えることはなかったが、今日はわからない。
どのみち、カロン少年の純潔はどこかの中年女に散らされるのだ。近いうちに、ゴブリンでもいいから済ませてしまおう、と考え出している俺の頭は、少しおかしいのだろうか。
俺は起き上がり、ゴブリンをベッドから下ろした。自分でも降りられることはわかっていたが、なんとなくそうしたかった。
俺が扉に向かうと、ゴブリンは床の上で見送ってくれた。なので、俺は引き返す。
「どうしてついてこない」
「行ってもいいのですか?」
「当然だ。腹は空かないのか?」
「空きました」
「では、来い」
「はい」
ゴブリンは浮かない顔をしている。どうしてなのか、俺は少しあってから、理解した。
闘技場の中は、試合が行われていない日でも、かなりの数の人が働いているようだ。闘技場に剣奴と剣闘士以外の奴隷は入れなくなっているので、従業員はすべて自由民だということになる。
自由民とは、奴隷に働かせて何もしない連中かと思っていたが、どうやらそんことはないらしい。では、奴隷を飼っている人間は、一部の特権階級か金持ちなのだろうか。
俺には、全く想像もできない。そのうち、自分もそうなる時が来るだろうか。 勇者なのだから、強くなっていけば奴隷を得る機会もあるだろう。なにしろ、俺は史上最速で剣奴から剣闘士になった奴隷なのだ。
行き交う人間たちは、一様に俺を見て眉を寄せていた。
あからさまに顔を背ける人間もいる。
何人かが鼻を摘むのを見て、俺は納得した。
俺は、臭いのだ。
原因がわかれば、気にすることはない。自分の体が悪臭を放っていても、気にならないぐらいには世慣れていた俺は、そのままゴブリンとともに食堂を探す。
何人かに声をかけたが、足早に立ち去るだけで、教えてくれなかった。
言葉が通じないのだろうか。
困っていると、声をかけてきた親切な人間がいた。
振り返ると、人間ではなかった。
尖った耳を持つ、エルフ族の従業員だ。昨日、俺を部屋に案内し、ゴブリンを連れてきた男である。




