21 必殺技でも開発しようってのかい?
その日から、俺はゴブリンたちと訓練を始めた。
エレンも誘ったが、俺が死んだら一人ぐらい悲しむ人間がいなくては寂しいだろうと辞退した。どうやら、俺は死ぬ前提らしい。剣奴になったこと自体、死ぬ前提の話なので、そこを突っ込んでも寂しくなるだけだ。
俺には、以前ブウの策略でメスライオンと戦わされた訓練場所があてがわれた。次のメイン剣闘士であれば、もはや剣奴とは扱いが違うのではないかと思ったが、場所を移すのが面倒だという理由で、次の闘技会が終わるまでは剣奴の訓練場で生活するように指示された。すでに慣れているので、不満はない。割と落ち着くのだ。
俺の前に、ゴブリンたちが連れて来られた。
闘技場を模して作られたこの訓練場には、観客席がある。興行主のゴラッソが、高みの見物を決め込んでいる。
ゴブリンたちの数を数えると、ざっと30人いた。
「お前たち、俺のいう言葉がわかるか?」
俺は、ごく普通に日本語で話した。もちろん、日本語なので本来ならゴラッソもわからないはずだ。だが、ゴブリンたちは全身が頷いた。
「これまでに、俺に従って戦ったことがあるもの」
約半数のゴブリンが手をあげる。
「では、これから、俺に従って戦いたいと思うもの」
同じゴブリンが手をあげる。
「いま、手を挙げたものたちに問う。俺は、何者だ?」
「ゴブリン王です」
「ゴブリンの指揮官」
「偉大なる戦士」
口々に褒められる。実に気分がいい。だが、俺が気持ちよくなるために尋ねたのでは無い。
「手を挙げていない諸君、君たちにとって、俺は何者だ?」
残ったゴブリンたちは、困ったように顔を見合わせた。
「同族の反応を見るがいい。君たちと同じ種族の同族が、俺を王と呼んでいる。俺は、3日後に君たちとともにも戦いに挑む。強い相手だ。死ぬかもしれない。ここにいる全員が、死ぬかもしれない。だが、生きることもできるだろう。それは、君たちがどれだけ協力してくれるかにかかっている。もう一度聞く。お前たちにとって、俺はなんだ?」
再びゴブリンたちは仲間同士で顔を見合わせた。俺は待った。話がまとまったらしい。
俺と初対面のゴブリンたちは、全員が、膝をついた。
「ゴブリン王、あなたに仕えます」
こうして、俺は30人の配下を持つ王となった。
まだ、ゴブリンの世界にとっての王に過ぎなかったが。
俺は、ゴブリンたちを5人ずつ、6つの班に分けた。ミノタウロスは多分一体だろう。そんな恐ろしい怪物が、そう何体も捕獲されているはずがない。
できるだけ、一対多数の状況を作るのだ。だが、30人でまとまっては多すぎる。連携もできないし、ただ烏合の集のように殺されるのが目に見えてくる。
俺はゴブリンたちを班分けしたが、それ自体は簡単に済んだ。ゴブリンたちは全員が勇敢な戦士であり、それ以外の特技などないのだ。全員が命の危険を顧みずに立ち向かい、容易に全滅する。これまでもゴブリンとは付き合いがあったので、多少は知ってはいたが、この際はっきりと自覚した。
俺はゴブリンたちを班分けした後、番号をつけようとしたが、ゴブリンたちには数字の概念がなく、2というものを理解できなかった。簡単にいえば、1足す1が、2になる、ということが理解できなかった。
ならば名称をつけようとしたが、ゴブリンは名前をつける習慣がなかった。
俺が勝手にネーミングしたが、次の瞬間には忘れられた。こんな状況で、どうして言葉を持っているのか、俺自身が不思議に思った。
だが、ゴブリンの言葉とは、言語とは少し違うようだ。匂いであり、動作であり、表情なのだ。それを、俺は言語としてだけで理解している。本当に、この自動翻訳システムを開発した人に感謝したい。
実際のところ、人間同士が話しをするというより、犬と話しをする翻訳機に近いのではないかと思う。
それだけ知能が低い種族なのに、仲間たちのルールは守れるらしい。俺が5人ずつに班分けをし、集団を混ぜてから、再度別れるように指示すると、きっちり5人ずつに別れるのだ。細かく見ていくと、その度に班の顔ぶれが違っていた。
たぶん、5人というのを理解しているのではなく、感覚で判断しているのだ。そもそも、ゴブリンは一切数を持たないのだから、感覚に頼る他ないはずで、意外なほど、これは上手くできた。できることとできないことが、あまりにもはっきりと分かれているのがゴブリンということなのだろう。
班分けが上手くできることが判明してから、俺は実践的な訓練を開始した。
全員に、木製の剣や槍を持たせ、俺に対して攻撃するよう命令したのだ。
はじめは、王と慕う俺を攻撃するのはためらっていたが、遊びだと理解させ、何度も俺がゴブリンたちを叩きのめしているうちに、だんだん俺に対して腹が立ってきたらしく、最後には真剣な訓練ができた。
その日は、訓練とは何をするのかを、ゴブリンたちに体で教えたところで終了となった。俺は、じっとしているだけで簡単に回復するが、ゴブリンたちは必ずしもそうはいかないのだ。それに、ゴラッソの予定もあるため、時間は限られていた。
ゴブリンたちと分かれて、俺は他の剣奴たちと合流する。
エレンはいつも通りだったが、他の剣奴も、妙に近寄ってきた。
「俺が、死ぬからかな?」
エレンに聞くと、その通りだと答えた。
「だが、それだけじゃない。カロンがもう、剣闘士だってことは全員がわかっているさ。こんなに短時間で剣闘士になった奴はいない。だから、みんなカロンに顔を売っておきたいのさ。もし、カロンが自由になって、ちょっと腕の立つ奴隷が欲しくなったら、思い出してくれるように、な」
「ははっ。そこまで生き延びられるなら、俺なんか頼らなくても、自由になっているんじゃないのか?」
「何が起こるかわからない。それを、一番証明しているのが、カロンじゃないか」
「ははっ。そうか? そうかもしれない」
「なあ……」
エレンが俺に顔を近づけた。俺は、裁判所の狭い部屋に繋がれている間、随分エレンのことを考えた。確かに、エレンは顔かたちが整った2枚目だ。だが、こうして目の前にいると、俺はまともだと感じる。エレンには、全く興奮しない。よかった。
「どうした?」
「俺がカロンと一緒に次の試合に出ても、足手まといになる。これは、間違いないよな? この間も、俺は何もできなかったし、カロンに助けられた」
確かにその通りだ。俺はエレンを死なせないために、勇者に戻るのではなく僧侶レベル1になった。勇者になっていれば、脱獄も簡単にできただろう。ということは、俺が現在あるのは、エレンのおかげだとも言える。
このことは、黙っておく方がいいだろう。
「そうかもな」
「だから、剣闘士になる機会を、俺が断っていたとしても、カロンのことを考えたからだ。それは、わかってほしい」
「その機会があったのか?」
俺は、エレンは選ばれなかったのだと思った。前回のように俺とつなげて出さないのは、もはやその価値がなかったからだと思ったが、まさかエレンから辞退していたとは。
「あ、ああ。でも、理由はさっき言った通りだ。カロンが負けるなんて、思っていないさ」
「わかったよ。で、何が言いたい?」
「カロンはもう剣闘士だ。カロンなら、絶対生き残れる。だから……もし自由になって、金持ちになって、俺がまだ……ここにいたら……」
エレンの目から涙がこぼれていた。生きることを諦めたのかと思っていた。剣奴たちはほとんどがそうだ。だが、目の前に、生きられる機会が巡ってきた、かもしれない。
その思いが、エレンの涙となってこぼれたのだろう。
「わかった。剣闘士になっていなくても、女を差し入れてやる」
「ああ。ありがとう。でも……自由にしてくれてもいいぜ」
「そりゃ、夢があるな」
俺は笑い飛ばした。エレンにも夢がある。ずっと、抱くことを拒んできた夢だろう。その方が、達成できなかった時に楽だから。だが、これからはそうは行かない。
「何も期待しない方が、楽だろうけどな」
俺の言葉には、答えは返されなかった。
この日、ゴブリンたちとの訓練で僧侶レベルが3に上がっていた。実戦ではない。だが、極めて実践に近い訓練だった。俺はゴブリンたちを本気で叩きのめした。仮想ミノタウロスの、俺がミノタウロス役だったわけだ。
練習が終わった時、ゴラッソにすら、やりすぎではないかと言われた。ダメージが酷い物には、オウキュウテアテと回復魔法メディで癒した。
レベルが上がっていたというのは、無茶をした効果はあったというわけだ。後2日で、俺は勇者に戻られなければならない。
勇者に戻ったからといってミノタウロスに勝てるとは限らないが、現在俺が持ちうる、最高の手立てであることは確かなのだ。
翌日、俺はレベル4に上がった。
剣奴の訓練場も、街の中にある施設である。外側の壁に貼り付けば、街の物音や話し声が聞こえる。いまでは大分増えた剣奴の知り合いから、街では次の闘技会の噂で盛り上がっていると教えてくれた。
翌日はゴラッソが仕事で、一日訓練場には来られない日だった。どうせ、俺がどのようくたばるかの打ち合わせでもしているのだろう。ゴラッソのことは嫌いではなかったが、俺のことを商品としてしか見ていないのは明らかだし、何を言われようと問題はない。
ただ、ゴラッソがいない間、ゴブリンたちとの訓練はしないと約束していたのは問題だ。俺はまだ勇者に戻れていないし、闘技会は明日なのだ。鍛えてきたゴブリンが、一日間をあけることで、これまでの勘を失うことも怖かった。
ゴブリンたちは、この2日で、連携をとって戦う方法にかなり慣れてきた。
俺が1つの班と戦い、5人の相手をしている間に別の班が準備をし、怪我人がある程度出たところで交代する。
それを繰り返し、効果的に戦い続けるのだ。負傷で動けないゴブリンが出れば、そのゴブリンを外して5人の班を形成し直すところまでできるようになった。
これなら、よほど相手が強くない限り、簡単には全滅したりしないだろうと思われた。
だが、ゴブリンである。俺は少しでも勝率を上げるために、訓練したいと、ゴラッソが出かける前に泣きついて見た。すると、意外にもあっさりと許可をくれた。
どうやら、俺のことをそれなりには信頼してくれているようだ。
それとも、どうせミノタウロスには勝てないのだから、何をさせても同じだと思われているのかもしれない。
どちらにしろ、訓練できるのは有難い。
そう思ったが、その日一日、ゴブリンたちを殴り倒し、回復魔法を使いきっても、俺のレベルは僧侶4から上がらなかった。
日が落ちる。
俺は、勇者に戻れずにミノタウロスなる化け物に殺されるのだろうか。
暗くなっていく訓練場で、俺は焦燥にかられながら、沈んでいく太陽を睨みつけた。
その時、だった。オークのブウが、俺に来客を告げた。
ブウが顔を出したとき、俺はとっさにこの豚を殺せばレベルが上がるのではないかと思ったが、これ以上罪を重ねれば、ミノタウロスを殺しても罪に問われて死刑になりかねないと思い、自重した。
面会に来たのは、俺がすっかり忘れていた、太った冒険者ファミリーだった。
冒険者の雇われ奴隷として、何度か狩りに同行していた。たぶん最低クラスの冒険者だと思うが、俺は他の冒険者を知らないので、これが平均ではないと信じたいところだ。
冒険者のリーダーであるドギーは、いつもの外出に連れ出す身請け場ではなく、面会のためだけに使われる場所に来ていた。街の中に剣奴の知り合いというのは少ないらしく、あまり使われることも無い場所である。
俺は手足を繋がれて、ドギーと対面する。
「久しいな。俺のことは、聞いているだろう」
「ああ。やっぱり妖術師だったかって、仲間内で話していたところだ。ゴブリンを使役しているらしいなんて誰も信じなかったから、いい気分だぜ」
ドギーは、まるで酔っているかのような話しぶりだった。本当に酔っているのだろうか。カロン少年の体で、まだ酒は飲んだことがない。飲めるときが来るのだろうか。
「冷やかしに来たのか?」
「それもある。正直な。まあ、明日の闘技会、あんたに賭けるかどうか、最後のチェックだってことだ。約束通り、あんたに預かった金は、全額あんた賭けるよ。その取り分は、冒険者組合の別口座に入れて、あんたが取り出せるようにしておく。これで、貸し借りなしだ。だろ? もし、あんたが負けたら、心配することはねぇよ。金があっても使えねぇ体になっているだろうからな」
「ああ。それでいい。金のことはそれでいいが、ちょっと、相談がある」
「……なんだい? 明日に大試合を控えている人が、怖気付いたってんじゃないだろうな」
俺は、慎重に言葉を選んだ。この男が、最後の機会だと思った。
「今のままじゃ、俺は勝てない。もっと、実践を積む必要がある。もう少しなんだ。どこか、訓練ができる場所に連れて行ってくれないか?」
「あんた……何を言っているんだ?」
「頼む。本当に、少しでいい。1時間でいい。外に出してもらえれば、俺は勝手に強くなって戻る」
「できるはずがないだろう。あんたを外に出すのは、脱走の手引きをするのと同じだ」
「ああ。わかっている」
「1時間で何ができる? 必殺技でも開発しようってのかい?」
「それに近いな」
「駄目だ。そんなこと言って、あんたが逃げたら、かけた金は丸々損しちまう」
「このままでは、俺は負ける。ドギーが時間さえ俺にくれれば、勝ってみせる。いま、俺のオッズは何倍だ?」
ドギーは顎をぼりぼりと掻いた。迷っているのだ。俺は身を乗り出した。
「一体五だ。ミノが勝っても、誰も得をしない。その代わり、あんたが勝てば、掛け金が5倍になって帰ってくる」
「必ず儲けさせてやる」
ドギーは俺を見つめていた。頭の中で考えているのだろう。しばらくして、口を開いた。
「できるかどうか分からねぇが、深夜、訓練場の壁に上からロープを垂らしてやる。それを使って、勝手に出て、勝手に戻りな。俺ができるのはそこまでだし、その縄だって、垂らせるかどうかは分からねぇ」
「ああ。それで十分だ」
「逃げるなよ。くれぐれも」
ドギーは俺に手を伸ばし、俺は拘束されたままの手を伸ばし、その手をしっかりと握った。
次回の更新は、仕事の都合で少し遅れます。28日を予定しています。




