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それほどチートではなかった勇者の異世界転生譚  作者: 西玉
闘技場のゴブリン王

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20 俺の命は4つもないと思うよ

 牢の中は薄暗い。牢の前の通路も同じである。松明で照らしながら歩くのが当たり前になるほど、暗い。

 壁に大きな亀裂があり、その先に部屋のような空間ができていることなど、注意すればすぐにわかるが、一番先に気づいたのは、牢のある場所で生活しているかのように毎日行き来している、一人の奴隷だったのは、別に不思議なことではない。


 奴隷の扱いは、主人によって異なるだろう。だが、俺の目の前で毎日行ったり来たりしていた男はみすぼらしく、風采があがらない、しょぼくれた男である。所有者が誰か知らないが、大事にされていたとは思えない。自分しか知らない空間を見つけ、そこに隠れている間は誰にも文句を言われない。いじめられない、殴られない。となれば、自分のものにしたくなるのは当然だ。


 男は壁の亀裂を巧妙に隠し、自分の秘密の部屋を手に入れたのだ。

 せっかく手に入れた自分の秘密基地だ。奪われないように隠すのは当然だといえる。


「どうして、俺を助けた?」


 看守だった薄汚い男は、部屋の出口である亀裂をじっと睨んでいたが、見つかりそうにないことを確認して安堵したのか、深く息を吐いた。

 声を落として尋ねた俺に向かい、質の悪い紙を俺に差し出した。この世界では、質のよい紙、というのは出回っていない。だが、紙そのものは安価らしく、あちこちで使われているのを目にする。大概が、保存を前提にしていない、メモやチラシの類だ。男が俺に差し出したのも、そういった類のものだ。


「これが?」

「俺は読めない。お前は、読めるか?」


 俺は、冒頭の文字を読んだ。闘技会のお知らせとある。

 俺が知らないはずの字だが、文字の上にルビが振ってあるかのように読むことができた。ゲームシステムに依存しているとはいえ、実にありがたい。


「ああ。これが、どうした?」

「朝、裁判所の前でこれを撒いている男が、お前のことを言っていた。ゴブリンを使役する。面白い試合だ。そんなことを言っていた」

「……そうか」


 俺は、男の手からチラシを取り上げ、本格的に読み始めた。文字数は多くない。すぐに目を通し終わった。


「なんて書いてある?」


 男は読み上げてほしいのだろう。俺は助けてもらった恩もある。希望通り、読み上げた。


「闘技大会のお知らせ。次回の闘技会では、ゴブリン軍団がミノタウロスに挑戦! 30人のゴブリンを使役する奇跡の剣闘士が、闘技場のボスに挑む。オッズ、ミノタウロスの勝利、1・5倍。ゴブリン軍団の勝利、3倍。生存ゴブリン数を当てたら、さらに倍」

「それだ。それを言っていた。ミノタウロスは強過ぎて、人気の剣闘士を何人も殺している。闘技会に出るのは半年ぶりだ」


「……『ゴブリンを使役する奇跡の剣闘士』か……なんだ。俺以外にも、ゴブリンに命令できる奴がいるじゃないか。どうして、俺が死刑になるんだ」

「お前だ?」

「はっ?」


 薄汚い男が、俺に向かって指を突き付けている。俺は意味がわからずに、つい強い口調で訊ね返した。


「ゴブリンを使役できる奴を初めて見た。ひと月前、その話題で盛り上がっていた。お前だ」

「……そうかもな」

「カロン」

「なんだ?」

「この試合でミノタウロスと戦う剣闘士の名だ」


 俺は、名前を呼ばれたのだと思い、返事をしたのだ。どうやら、男はたまたま耳にした、ミノタウロスへの挑戦者の名前を口にしただけだったようだ。それに俺が返事をしてしまったのだ。


「なら……俺だな」

「お前だ」

「でも、俺は死刑になるんだぞ。たったいま、殺されかけた」


「人気者になれば殺されない」

「そんなことを言っても……」


 俺にどうしろというのだろう。そもそも、試合にも出られないのではないだろうか。俺は、手元のチラシをぎゅっと握った。


「でも……あんたが俺を助ける理由にはならないだろう。どうして、俺を助けた?」

「奴隷は闘技会を見に行けない。でも、賭けることはできる」


 薄汚い男は、醜い顔を歪めた。笑ったのだ。奴隷は金銭を持てないかといえば、それも奴隷の主人によるようだ。あるいは、長い奴隷生活の中で、拾ったりもらったりしたものがあるのかもしれない。


「聞いてみろ」


 男は、壁に耳を当てていた。通路があるのとは判断側の壁だ。

 外の声が聞こえるのだろうか。

 この部屋そのものが、壁の中にたまたま生じた空間である。外とは、レンガ1つ分で接しているだろう。

 俺も、男に習って外の音を聞こうとした。


「カロンを殺すな!」

「試合をどうする!」

「もうゴブリンに賭けたんだ!」


 怒号だ。一人や二人ではない。きっと外では、大勢が俺の命を助けるように群がっているのに違いない。


「……俺、こんなに人気があったんだな」

「それは違う」


 男は否定する。すぐにその意味はわかった。


「ミノタウロスに殺させろ!」

「もうミノに賭けたんだ!」

「引き裂いて血を流させろ!」


 どうやら、楽に死なせたくないと思っている連中も多いらしい。


「でも、どうすればいい? どっちにしろ、裁判官が俺を死刑だって決めたなら、それは動かないだろう?」

「んっ? そうなのか?」


 男は気楽に言った。そこまで考えていなかった、とでも言いたげな口調だ。

 俺は腹が立った。結局、なんの解決にもならない。そう思った時、別の声が聞こえた。集まった聴衆に向かっているようだ。


「わかった、わかった。まだ、カロンという剣奴の死刑は執行されていない。殺すところだったが、直前で逃げ出した。現在は捜索中だ」


 歓声が上がり、男の声が聞きとれなくなる。声には聞き覚えがある。俺に死刑を宣告した裁判官だ。

 死刑を宣告されたのだ。この男の声は、一生忘れることがないと思う。

 聴衆が鎮まるのを待ち、声が続いた。


「カロンの死刑は決まったことだ。だが、少しだけ伸ばすこともできるだろう。例えば、闘技会が終わるまでとかな。その時、私の仕事が終わっていればいいが。ミノタウロスか。私も賭けさせてもらうよ」


 今度は、笑い声が聞こえた。裁判官は巧みに集団の心理を誘導しているようだ。

 だが、当面俺は助かったのだろう。


「ところで、誰かカロンを知らないかね?」

「俺が知っています」


 突然だった。俺の目の前で、俺と面と向かって壁に耳を当てていた男が、大声を出したのだ。

 男は声を張り上げて壁を押し、脆くなっていたのか、レンガの壁をがらがらと崩してしまった。

 俺は、俺を闘技場に引き出してミノタウロスなる化け物に殺させようと熱望する民衆の前に、姿を晒すことになった。

 俺をこんな目に合わせた男は、壁を崩したのを自覚していないのか、ばたばたと走り出し、裁判官の足元にひれ伏した。


「お、俺がかくまったんじゃないんです。でも、俺が、逃げられないように見張っていました。どうか、忘れないでください」


 黒い服を来た男、裁判官は、自分の足元に平伏した奴隷看守の頭を撫でた。


「もちろんだとも。お前の献身が報われるときが、きっと来るだろう」

「ありがとうございます」


「さあ、この男と一緒にいたということは、すっかり聞いていたのだろうね。カロン少年、お前の死刑は動かない。だが、我々と、ここには来ていないが王国中の闘技会好きを、精一杯楽しませながら死ぬことができる権利を得られたわけだ。光栄だろう」

「俺、あんたのことは大っ嫌いだ」

「当然だな。死にゆく者に、好かれるメリットはないのでね」


 裁判官は笑い、同時に大勢の笑い声が響いた。俺は拳を握りしめたが、なにも言い返さなかった。俺の肩に、力強い手が置かれる。

 振り返ると、剣奴の教官兼興行主のゴラッソだった。


「よく我慢したな」

「……俺……」

「まだ、なにも話すな。まずは、俺に従ってついてこい。どうなっているのか、教えてやる」


 俺は震えた。

 自分の感情が理解できなかった。

 だが、ゴラッソの声を聞き、今までにない優しい言い方に、俺は、目から涙が溢れるのを止められなかった。


 涙が止まらず、目尻で食い止められず、頬を伝い、顎から落ちた。

 どうやら、俺は命拾いしたらしい。この時になり、自分がどれだけ絶望的な状況に置かれていたのか、ようやく理解した。






 ゴラッソに連れられ、俺は初めて街の中というものを見た。どれも始めてみる、はずなのだが、どうしても既視感を拭えなかった。

 テレビや映画で、散々見て来た中世やローマの街並みをどうしても思い出した。

 カロン少年とは、中身が違う。その事実を改めて突きつけられた気分だった。


 ゴラッソは飯屋で好きなものを食わせてくれると言い出したが、俺は辞退した。いかつい老人と二人で飯を食うことに抵抗があったわけではない。この世界での、うまい食事というものには大いに興味があった。だが、それどころではなかったのだ。

 俺は早く剣奴の訓練場に戻りたいと申し出ると、おかしな奴だとゴラッソに笑われた。


 結局のところ、俺はこの世界に来て一番長く滞在しているのが牢獄のような訓練所なのだ。どんなに狭く、不便で、飯が不味くても、戻れば落ち着くのだ。

 俺が戻ると、エレンが真っ先に飛びついて来た。

 俺が死んだものとばかり思っていたらしい。次回の闘技会で、エレンが出るかどうかはわからないとのことだった。


 ゴラッソはエレンを遠ざけ、他の剣奴も無視し、オークのブウを習慣のように叱りつけ、俺を自分の部屋に案内した。本来は客しか入れない部屋だと言った。俺は、特別待遇に気持ちが悪くなった。


「ゴブリンを従えたっていうのは、本当か?」


 ゴラッソは、俺に水を勧めながら言った。透明な水だ。新鮮で、冷たくて、美味そうだ。泥水ばかり飲んで来た俺には、いささか腹が心配になるほどの新鮮な水だ。


「俺が死刑だと決めつけられたのが本当なら、本当なんでしょう」


 ゴラッソはにやりと笑う。機嫌はいいらしい。俺は水に口をつけた。美味い。 

 ただの水を、こんなにも美味いと思って飲むことは、かつての世界ではなかった。水が上手くなったのか。違う。こんなに体が消耗したことはなかったのだ。


「ゴブリン語をどこで覚えた?」

「どこかで教えているんですか?」

「いや。俺が知っている限り、誰も使えないだろうよ。だから、不思議なんだよ。一体、どこで誰に教わったんだってな」


 それは俺も聞きたいところだ。話せるはずもない。自動翻訳機能を発明した技術者に聞いて欲しいところだ。


「誰にも教わっていないけど、気がつくと、話せていた。まあ、才能ってやつかな」

「それじゃあ、妖術師だって思われても仕方ねえな」

「そうなのかい?」


 妖術師とは、裁判官にも言われたことだ。なにを意味しているのかわからない。魔法使いとは違うのだとは言われた気がする。魔物の一種なのだろう。


「ゴブリンは、今でも使役できるんだろうな」

「ゴブリン語は使える。俺がゴブリン王だって適当に言ったら、信じたんだ。ゴブリン語を話す人間を始めて見たからだろう。全部のゴブリンが同じように信じるかどうかは、わからない」


「カロン、お前は次の闘技会での、メイン剣闘士だ。つまらない勝負をしたら、まずミノタウロスって化物に殺される。怒った客に殺される。恥をかかされた俺に殺される。お前を殺したくてたまらない裁判所に殺される。ちっと数えただけで、4回は死ぬ」

「俺の命は4つもないと思うよ」


「まあ聞け。命は1つでいいんだ。お前が、面白い勝負をミノタウロスって化物とやってくれればな。あいつは強い。全盛期の俺でも勝てない。だが、民衆に好かれていない。見た目が化物だし、剣闘士を殺して、その場で肉を食らう。民衆はわかっている。ミノタウロスが群れをなして襲って来たら、この国はおしまいだ。兵隊は役に立たない。誰も守れない。だから、無理に勝たなくてもいい。ミノタウロスが来ても、なんとかなる。民衆がそう思えるような、そんな勝負が見たいのよ」


「どんな手を使っても?」

「もちろんだ。ミノタウロスを殺しさえすれば、まず英雄扱いだ。ただし、ミノタウロスの体調が万全でなくちゃ意味がない。毒を飲ませるとかして、はじめから瀕死の奴を殺しても、民衆は安心しない。必要なのは、万全の体調で、お前を殺す気満々のミノタウロスをなんとかすることだな。何人もの、俺が鍛え上げた剣闘士が挑戦した。だが、負けた。あいつは俺も殺したい。だが、お前に譲る。なに、殺せなくてもいい。ゴブリンたちが全滅したら、逃げてもいい。まあ、その時に逃げられるかどうかはお前次第だし、そうなったら、さっき行った4回の死ぬチャンスの、どれかを使うことになるかもしれねぇがな」


「次の闘技会に出ないってことが、ありえないのはわかっている。あのビラをばらまいて、俺が死刑にならないようにしてくれたんだろ?」

「わかっているじゃねぇか」


 ゴラッソは上機嫌で机の上の皿を俺に進めた。果物が置いてある。葡萄に見える。食えということなのだろう。この世界に来てから、甘いものを食べてなかった俺は、里心がつくのを恐れて辞退した。里心がつくのはいい。問題は、帰る方法がないことだ。


「次の闘技会まで、何日ある?」

「3日だ」

「今のままじゃ、勝てない。訓練したい。実戦形式じゃなきゃだめだ。それと、俺が一緒に戦うゴブリンたちと会わせて欲しい。俺の命令に従うかどうかわからないし……少しでも、勝つチャンスを増やしたい」

「ああ、いいぜ。ただし、俺が監視できる場所でだ。ミノタウロスに勝つつもりか。なら、なおさら結構だ。くれぐれも、つまらない勝負はしてくれるなよ」


 ゴラッソは笑い、俺の肩を叩いた。

 俺の目標は1つだ。僧侶のままでは自殺行為だ。なんとしても、勇者に転職しなければならない。


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