194 逃げろって言っただろう
朝を待ち、俺はファニーとケン、キサラを連れて王城に向かった。
ただ、俺が予想していた形とは違った。
俺は歩いて王城に向かい、様子を探るつもりだったが、宿を出たところで大貴族ご用達の豪華な馬車が待っていた。
俺は、たまたま馬車があるだけだと思い歩き去ろうとしたが、背後でファニーが乗り込んだ。
驚いて振り向いたところで、ファニーは柔らかく笑いかけてきた。
「大丈夫よ。私に任せて」
「どういうことだと思う?」
俺は、腕に抱いているケンに尋ねた。ケンの頭上にはキサラが乗っている。
ケンもキサラも、ファニーに抱かれることは断固として拒否したのだ。
ファニーには、俺の言葉は単に猫の鳴き真似をしているように聞こえるはずだ。
「わからないけど、危険はなさそうだな」
ケンが耳をぱたぱたと動かしている。
「ただ奥さんのわがままで、贅沢をしてみたって感じじゃない? カロン、運び屋でかなり儲けているのに、贅沢をしないで稼ぎは全部奥さんに預けているんでしょう?」
「ああ。それが夫婦円満の秘訣だと、ドラマで見たことがあって……」
「俺たちにしか通じないな」
「わかっている」
「ねえ、カロン。動物の真似は、王城に行ったら控えてね。ちょっとおかしな人だと思われるわ」
「……わかった」
俺がケンやキサラと相談していると、ファニーが手を伸ばしながら忠告した。
動物の言葉がわからないファニーには、俺がニャーニャーチューチュー言っているように聞こえていることはわかっている。
ファニーの意図はわからないが、俺はファニーの手を取った。
※
馬車が王城の前で止まる。
扉が開いた。
真っ先にファニーが降りる。
ファニーの前に、城の兵士たちが立ち並び、膝をついた。
「ファニー、これは……」
尋ねようとした俺の口に、ファニーは指を立てた。
「大丈夫。私に任せて」
「あ、ああ」
膝をついた兵士たちの間から姿を見せたのは、横幅だけが人の数倍はあろうかという巨体だった。
俺がドドンゴ令嬢と呼んでいた女は、この3年でさらに巨大に膨れ上がっていた。現在は女王であるはずだ。
ファニーは、ドドンゴの奴隷だった。
勝手に逃げ出したのだ。
俺の現在の立場がどうであろうと、無事に済むとは思えない。
ファニーが歩き出す。
ドドンゴが、あえて玉座を離れて外に出てきた。
俺は動かなかった。
俺がファニーを連れて国を出る前は、ドドンゴは俺に執着していた。
だが、現在ドドンゴの目は俺には向けられなかった。
俺は動かなかった。
ファニーはドドンゴの前に達した。その時膝をついたのは、ドドンゴ女王だった。
※
訳がわからないまま、俺たちは王城の玉座の間に通された。
王の座る椅子に、ファニーが腰掛ける。
巨大な肉体を持つドドンゴは、頭上の王冠をファニーに捧げた。
俺は促されるままに黙ってついてきたが、目の前の光景が信じられず、何が起きているのかわからなかった。
「ケン、キサラ、どうすればいい?」
かろうじて動物を連れ込むことが見逃されたのは、腕に抱えるのではなく、服の中に入れてきたからだ。
「わからないよ。どうなっているんだ?」
「アデルを探すのよ」
キサラの声に、俺は頷いた。
「待ちな!」
俺がこっそりこの場を離れようとしたとき、野太い声が俺の足を止めた。
ドドンゴが鎖を持っていた。手に巻いている。ドドンゴが持つと細く見えるが、人間の拳ほどもある鉄の輪を繋いだ重い鎖だ。
ドドンゴが腕を振ると、絨毯の上に黒い塊が転がった。
「カロン! なぜ来た! 逃げろって言っただろう!」
鎖に巻かれ、身動きがとれなくなったアデルだった。
俺は地面を蹴った。
アデルを拘束している鎖を掴む。
ドドンゴ女王の拳が唸った。
令嬢の拳を腕で跳ね上げ、拘束されたアデルを持ち上げた。
アデルがそもそも鉛の体をしている。その上に太い鎖で拘束されている。
重い。俺でなければ、持ち上げられないだろう。
「ボヤ」
ドドンゴ女王の全身が炎で包まれる。
「カロン」
重く、静かな声が響いた。
声を発した線の細い女性は、玉座で笑みを浮かべていた。
「お前は……ファニーじゃないのか?」
「私に従うなら、殺しはしないわ」
ファニーは俺の問いに答えず、指を鳴らした。
俺は、部屋の周囲で立ち上がる黒い影があるのに気づいた。
見たことがある。かつて、ファニーがひとりで行動していた時、話し相手をしていた4人の男だ。
「ファニー……お前は、ファニーじゃないのか?」
「ファニーよ。もちろん」
答えた直後、玉座に座る細身の女は、俺に指を向けた。
アデルを担いでいるために、俺は満足に動けない。
4人の男が俺に近づいてくる。
4人の男たちの影が、形を変える。
俺に近づくにつれ、人ではない何かに変わる。
1人は卑しい悪魔であり、1人は複数の頭部を持つ大蛇であり、1人は岩のような肌を持つ怪物であり、1人は動く大木だった。
「魔王の7魔将!」
俺に担がれたままで、アデルが叫んだ。
7魔将といえば、俺がまだ魔王を倒す前に遭遇した魔物の親玉だ。
1人は海賊であり、1人は火鬼であり、1人は氷原に城を構える氷の女王だった。
俺は3人の魔将を倒した後、レベルを最大まで上げて魔王に挑んだ。
その過程で、残りの4人の魔将とは遭遇していなかった。
「どういうことだ? どうして、ファニーに従っているんだ?」
「カロン、目を覚ましな! あれはファニーじゃない! ファニーの体をした別人だ。カロン、あんたならわかるだろう。あんたやあたしと同じだ!」
俺は、まっすぐに玉座のファニーを見た。
相変わらず、ファニーは微笑んでいる。
「世界は私が支配するわ。人間でさえ、その支配の一部なのよ。カロン、一国でさえ立て直せない無能な王子に、何ができるというの?」
「……つまり、魔王なのか?」
俺が呟くように言うと、ファニーだった女は、胸元からペンダントを引き摺り出した。
旅の途中で、俺が買い与えたものだ。
高価な品ではない。だが、ファニーはとても喜んでくれた。
「カロンの言うファニーはこの中よ。でも、カロンの愛した体は、ここにある。選びなさい。この世界の支配者に仕えるか、逃亡者として追われるか」
「カロン、駄目だ。異世界の魔王に支配された世界が、まともなはずがない」
アデルは言った。
「ああ。だろうな。バンレベル5」
四方から近づいてくる魔将軍から逃れるために、俺は足元に爆発魔法を使用した。
そのつもりだった。
俺の足元の床には、何ら変化はなかった。
「カロン……遅かった……」
アデルの呟きと同時に、俺は魔将軍に拘束され、アデル同様鎖に縛られて牢に放り込まれた。