193 あなたの奥さんは、ただの人間に見えている
ファニーを連れて宿に戻り、夜を待った。
夜になれば、フラウがくると思っていたからだ。
「カロン、王城にはいつ行くの?」
フラウに言われたことを唯一聞いていないファニーが尋ねた。
ファニーには嘘を言いたくない。俺は少し迷った挙句、答えをはぐらかせた。
「俺は、もうこの国の王子じゃないらしい。王が昼間、酒場で酔い潰れているのを見た。王権も移譲したんだろう」
「じゃあ、アデルはどうするの? 捕まっているんじゃない?」
俺は、アデルが俺に残した伝言のこともファニーに話していた。
本当は、ファニーのつてを使って城に入るつもりだった。
だが、ファニーの妹であるはずのフラウの態度に、俺も迷っていた。
「アデルは、俺に『逃げろ』って伝言をわざわざ残したんだ。強引に侵入するのは危険かもしれない。ファニー、フラウと連絡が取れるかい? フラウであれば、アデルが現在どこにいて、どんな状況なのか、知る方法があるんじゃないか?」
「……そうね。私もフラウと連絡をとってみるけど、明日王城に行ってみない? もう王子様じゃないでしょうけど、一度は王子として認められていたんだもの。中に入れてくれるかもしれないわ」
ファニーが言った。もの問いたげに首を傾げていた。俺がよく見て来た仕草だ。
「中に入れてくれるとは思えないけど、城の前に行くだけならいいよ」
「わっ、ありがとう」
ファニーは無邪気に笑い、俺に抱きついた。
「じゃあ、今日はどうする? 寝る?」
「ああ。そうだね」
俺が言うと、ファニーは少しはにかみながら手を離し、ベッドに移動した。
俺は、ファニーと夫婦なのだと、あらためて実感した。
「心配しなくても、ちゃんと寝ておくよ」
ネコのケンが前足の間にネズミのキサラを抱いて、テーブルの上に横になっていた。
俺はファニーに誘われるまま、ベッドに入った。
※
完全に深夜になった。
俺はファニーが眠っているのを確認してベッドを抜け出し、宿屋の部屋を出た。
窓を開けると、ファニーが起きるかもしれない。
物音がしないように、通路に出た。
「お楽しみでしたね。お客様」
突然声をかけられ、俺は自分の口を塞いだ。
真っ暗い通路に、ランタンを手にした若い娘が立っていた。
「フラウか。脅かすなよ」
「カロンの神経の太さには感服するわね。よく、あんな得体の知れない女と夫婦でいられるね」
「ファニーは、フラウの姉さんだろう」
「……それ、本気で言っているの?」
さっきまでのおどけた口調から一転して、フラウは俺を値踏みするように睨みつけてきた。
暗く狭い通路で話しこむこともないだろうと、俺は部屋の扉を開けた。
フラウは無言のまま部屋に入ってくると、ランタンをテーブルに置き、椅子に腰掛けた。
黙っていることが耐えられず、俺は口を開いた。
「ファニーは君の姉だろう? 違うのか?」
俺が尋ねると、フラウは視線を外さずに答えた。
「カロン、本当にお姉ちゃんのこと、忘れちゃったんだね。ファニーお姉ちゃんは、可愛くて芯の強い、とても優しい女の子だった。頭がよくて、読み書きも計算もすぐに覚えた。でも、魔力は持っていないし、得体のしれない魔物との付き合いなんてなかったし、特別な能力は何もなかった。カロンには、あなたの奥さんは、ただの人間に見えているの?」
「……可愛くて優しい……その通りだろう。ちょっと、何を考えているのかわからないところが最近増えてきたような気がするが……誰だって、おかしなところが少しはあるものだ」
「私は、今は盗賊団のリーダーなんだ。私の舎弟に、カロンたちを見張らせた。カロンは、いつものようにニャーニャーチューチュー言っているちょっと頭のおかしなお兄ちゃんだっていう報告だったけど、ファニーについての報告は違ったわ。カロンが見ていない場所で、得体のしれない魔物みたいな連中と、人間には理解できない言葉で会話して、物乞いの子どもをさらって貪り食べて、都合が悪くなると周りの人間たちの記憶をどうやってか知らないけど改ざんする……カロン、本当に何も気づいていないの?」
「しかし、ケンとキサラは無事だ。何も言ってこない」
「ケンとキサラって誰?」
「俺と一緒にいるネコとネズミだ」
「話すわけないでしょ」
俺は、ファニーの言動を思い出そうとした。俺が不思議に思ったのは、俺という配偶者がいながら、四人の男たちと密会をしていたことぐらいだ。
だが、もしフラウの言うことが本当なら、ケンとキサラの記憶も改ざんされているかもしれない。
「子どもをむさぼり食うって、それは流石に冗談だろう?」
「……そうね。実際に食べるところを見たわけじゃない。物乞いの子どもに声をかけ、どこかに連れて行っただけだね。その子どもは、どこに行ったのかわからないけど」
「……本物のファニーが、どこかにいるのか?」
「ずっと一緒だったんでしょう? カロンはどう思うの? あれは、お姉ちゃんなの?」
「少なくとも、俺はファニーが人間以外の何かだとは思わなかった。本人だと思う。さっきも……いや、なんでもない」
いくら妹でも、夫婦生活のことを語ることはないだろう。
俺は誤魔化すように言葉を続けた。
「それより、アデルはどうしている? 調べてくれたのか?」
「わからない。真っ黒で身長が低い、鉛の体を持つ女なんて、特徴だらけだ。いるなら、見つからないはずがない。でも、いくら探してもどこにもいなかった。ドドンゴ女王のところから、逃げ出しているんじゃないかな」
フラウの言葉に含まれる一言は、俺には聞き逃せなかった。
「ちょっと待て。ドドンゴ女王? 国王はソマーレス大公で、ドドンゴはただの令嬢だろう?」
フラウの目が光る。俺を睨みつけた。
「いつの話をしているのさ。ソマーレス公爵が、国王から地位を譲られて大公として即位したのは2年前だ。大公は去年病気で死に、一人娘のドドンゴ令嬢が女王に即位しているよ」
「……知らなかった。ドドンゴ女王の統治はどうだ?」
俺が尋ねると、フラウは笑った。
「今の所、悪くはないね。弱い奴は徹底的に虐げられている。女王はそれを助ける気もないけど、それ以外は……あたしみたいな奴には、生き易い国になったよ」
「そうか」
俺は、酒場で会った元国王を思い出す。
俺が入り込んだカロン少年の父親だったのかもしれない。
俺とは関わりのない男だ。
世界の半分が魔王によって破壊されている。そのような時代に、弱者を救済するのは政治では不可能なのかもしれない。
「カロン、どうするの? さっきも言ったけど、アデルの居場所はわからない。城の中にいるかどうかも不明だ。それでも、城の中を探したいっていうのなら、案内できるけど」
「いくら妹でも、それは駄目よ」
突然だった。暗がりの中から、聞き知った声が聞こえた。
寝室は隣だ。ファニーは寝ていると思っていた。
俺は、椅子から腰を上げて振り返る。
「ファニー、誤解だ。俺たちは、そんな仲じゃない」
「もちろん、信じているわ。カロンは、浮気なんてしない」
俺が近づくと、暗がりからファニーが出てきた。
置いたままのランタンの明かりに照らし出され、細い体がより際立った。
「フラウを探す手間は省けたわね。カロン、アデルさんの居場所はわかった?」
「いや」
「そう。でも、明日はお城へ行くでしょう? フラウは役立たずかもしれないけど、女王陛下が私のことを覚えていて、歓迎してくれないとも限らないわ」
「あ、ああ」
旅の間、ドドンゴ令嬢が女王になったことは一度も話したことはない。
俺は知らなかったし、ファニーからも聞かなかった。
では、どうして突然女王陛下と言い出したのか。
俺は、フラウと俺が話していることを、どこからファニーが聞いていたのか、尋ねることができなかった。
「フラウ……」
今夜は出かけられない。俺はそう言おうとして振り向いた。
フラウが腰掛けていた椅子には、すでに誰も座っていなかった。