188 いろいろな街に行く度に、まめに日記をつけている
2年が経過した。
俺はアデルと別れた後、王城に戻ってネコのケンとネズミのキサラを連れて旅に出た。
2年の間、俺は冒険者に戻り、魔王の支配から復興しつつあった世界で、荷物移送の仕事を請け負った。
ファニーとケン、キサラを連れての気楽な旅生活だった。
俺は、ファニーと結婚した。
ファニーが知っているカロン少年のことを全て忘れてしまった俺に失望されたが、奴隷だったファニーを解放し、十分に養える能力があることを示すうちに、打ち解けていった。
この世界の結婚は、互いの同意だけで成り立つようだ。
あるいは、俺が王族として王太子のままだったら、派手な結婚式をすることになったのかもしれない。
結局、俺が元いた国には二度と戻らず、届け物の依頼がある街を結ぶように世界中を旅し続けた。
ある町で宿に泊まった時、ケンが尋ねた。
いつもはネコの振りをしており、話すことはほとんどなくなっていた。
キサラは日向ぼっこをしており、ファニーは買い出しに出かけていた。
「アデルはどうしているんだろう」
「気になるか?」
「うん。魔王かもしれない女に張り付いているんだろう? どうして、戻ってやらないんだ?」
俺は、部屋の窓を開けて外を覗いた。人通りは少ない。
ファニーが戻ってくる様子はなかった。
「逃げるつもりも、アデルを見捨てるつもりもないよ。アデルは自分の意志で、魔王かもしれない女に張り付くと言った。魔王が魔王として活動を始めれば、すぐに応援に行くつもりだ」
「なら、アデルは無事なんだね」
ケンは真面目な口調で話しながら、前足を舐めて髭を整えた。
「ああ。アデルの心配なんかしたと聞いたら、『誰の心配をしているんだ』と怒られるところだ。2年前、実際に俺は怒られたからな」
「うん。でも、カロンは世界中を移動しているのに、アデルがいるあの国に行く依頼だけは受けないよね」
「怖いんじゃないの?」
腹を上に向けて居眠りしていたキサラが、頭部だけを持ち上げた。
「そりゃ、怖いさ。俺はあの国を捨ててきた。あの国は、俺とドドンゴ令嬢が結婚しないと、経済的に破綻すると言われていた。あの国が破産したという噂は聞かないから、結局はどうにかなったんだろう。今更戻れるわけもないし、戻ったら何を言われるかわからない。俺だって怖いさ」
キサラが再び横になる。だが、寝たわけではない。横になったままで言った。
「カロン、あなたのお嫁さん、いろいろな街に行く度に、まめに日記をつけているわね。あれが、各国の市場の情報だったら、あの人、カロンから独立して、商売を始めるつもりじゃないの?」
「そうなのか?」
俺は気づかなかった。結婚しているのだ。隠し事はしてほしくない。
秘密のまま知らなければ気にならないが、知ってしまった以上は気になるのだ。
「ええ。夜中にこっそり台帳をつけているわよ。夜逃げされないよう、気をつけたほうがいいかもね」
「あ、ああ」
俺から独立して、商売を始めるのだろうか。思えば、ドドンゴ令嬢と初めて会った時も、商売根性逞しい令嬢だった。
その影響を受けているのかもしれない。
「今度聞いてみる」
「ええ。私の予想通りだったら、話をしてみたいわね」
「ファニーがネズミの言葉を理解できるようになるか、キサラが人間の言葉を話せるようになる必要があるな」
「通訳してくれてもいいのよ」
どちらにしても無理なのだ。キサラは言うと、目を閉ざした。
「俺も、見張ってみるよ。どうも、夜は苦手だけどね」
話を聞いていたケンが尻尾を体に巻きつけた。
「ネコは夜行性だろ」
「夜は眠いんだよ。実際のところ、昼間でも眠いけどな」
ケンもあくびをした。ネコの睡眠時間が長いことを、俺は思い出していた。
※
ケンとキサラが本格的に寝入ってしまった頃、ファニーが買い物籠を下げて戻ってきた。
テーブルに籠を置き、中の食料を取り出しながら、ファニーが言った。
「冒険者組合に行ってきたわ」
冒険者として登録しているのは俺だけだが、届け物の依頼がないかどうかを確認するために、ファニーが行くことも多い。
できるだけ遠くで、重い荷物の依頼を探すのだ。
見つけると、俺に知らせてくれる。
依頼を受けるときは俺が行くし、常にファニーに探させているわけではない。
「何か、届け物の依頼はあったかい?」
「今の所、近隣の町への配達依頼だけね。でも、だんだん増えているような気がする」
「そうか」
俺がファニーをつれて配達専門の冒険者になったときは、魔王の討伐が知られて間もない頃だった。
当初は依頼そのものが少なかった。それは、依頼の成功率が低かったからだろう。
徐々に遠方への依頼が増えていったのは、主に俺が同時に複数の配達依頼を受け、全て完遂させたことが大きいと思っている。
逆に、周囲の強力な魔物が少なくなったことから、近隣への配達は冒険者ではなく専門の配達業者が請け負うようになった。
その依頼が、最近増えているという。
俺は、遠方への依頼しか見ていなかったから気づかなかったが、ファニーは俺が気づかないことを指摘することが多かった。
「どうするの? 隣町に行ってみる?」
「慌てて稼がなくてもいい。遠方の依頼がなければ、のんびりしよう」
それは、より遠くに、より重い荷物を届ける方が、収益が高いからだ。
「うん。わかった」
ファニーは朗らかに笑うと、買ってきたパンと肉で簡単に調理を済ませ、俺とケン、キサラに配った。
※
俺は、夜は熟睡した。
代わりにケンが薄目を開けていることを知っているからだ。
翌朝、俺は宿の食堂で朝食を摂りながら、向かい合って座るファニーに言った。
「今日は、俺が冒険者組合に行ってくる。ファニーはどうする?」
「私は昨日行ったわ。部屋にいる」
「わかった」
俺が食器を片付けようとすると、ファニーも立ち上がった。
俺は部屋に戻らず、外に出た。
結婚して2年、すっかり幸せな生活に馴染んでいる。
ファニーが俺に隠し事をしているとしても、不思議なことはない。
奴隷だった期間が長いことを考えれば、1人でも独立して生活していけるように準備したくなるのはわかる。
俺は、自分自身に信用があるとは思わない。
カロン少年の体を乗っ取ったのだ。
俺が入り込まなければ、カロン少年はそのまま死んでいたのだとしても、カロン少年を深く知っていたファニーにしてみれば、素直に信頼できる相手ではないだろう。
俺は、平和な日常を噛み締めながら、この町の冒険者組合に顔を出した。
依頼の一覧は、入り口近くの掲示板に張り出されている。
俺は、国を跨いだ依頼を探し、三つほど発見した。
俺にはアイテムボックスがある。いずれも荷物の収納に困ることはなさそうだ。
配達期限を確認し、三つとも達成できそうだと手を伸ばし、俺の手が止まった。
依頼の達成期間と同様、依頼を張り出した日が書かれている。
長い間放置されていた依頼ほど、達成が困難だという基準にするためである。
俺は、依頼が全て3日以上前に出されていたものであることを確認した。
つまり、ファニーはこの依頼を全て知っていたことになる。
同時に、ファニーが言っていたように、近隣への配達依頼が増えていることも気がついた。
ファニーが冒険者組合に来たのは嘘ではない。だが、遠方への依頼がないと言ったのは嘘だったことになる。
俺は、やや首を傾げながら、ファニーが見落としてしまった可能性を考えた。
ファニーのことを疑いたくなかったのだ。
ケンとキサラからの忠告がなければ、ファニーを疑ったはずがない。
こんなことで、ファニーを疑うのは愚かしい。
俺は、大したことではないと考えようとした。
そのとき、掲示板の片隅に、小さな書き込みがあることに気づいた。
小さな書き込みだ。普段なら見落としたかもしれない。
全体をあえて見渡したために、気づいたのだ。
俺は、一瞥して視線を離し、二度見した。
そこには、俺の名前があった。
『カロンへ。アデルから伝言です。受付にお越しください』
俺は、書き込まれた小さな文字を凝視した後、依頼の受諾をするための受付に向かった。