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179 時間をかけてお召し上がりください

 盗賊のフラウが去って3日後の夜、俺は寝ずに待っていたが、フラウは現れないまま朝を迎えた。


「何かあったんだろうか」


 俺は、最近ようやく着方に慣れてきた窮屈な服に袖を通しながら、ピエロの置物にしか見えない衣装のアデルに尋ねた。


「あたしは寝ていた。でも、カロンも寝ていただろう。ひょっとして、来たけど呆れて帰ったんじゃないか?」

「いや、俺は起きていたぞ」

「あたしが起きた時には寝ていたよ」


 眠った自覚はなかったが、寝落ちしていたのかもしれない。

 俺が黙ると、茶色いトラ猫のケンが床の上で転がった。


「誰も来なかったよ。来たら気づくから」

「うん」


 ケンの寝返りに潰されかけたキサラが同意する。

 半野生の家ネコと完全野生のドブネズミは、体の機能として熟睡することは少ない。

 二人が言うのなら、間違い無いだろう。


「待ちな。手紙が来ている」


 俺が納得しかけた時、アデルが低い視線であればこそ、扉の下に差し込むように入れられていた封書に気づいた。


「フラウなら、扉からは入れないだろう」

「あたしも、あの娘からだなんて言っていないだろう。手紙が来ていると言っただけだ。お嬢様からだよ」


 アデルは、手紙を一瞥して俺に差し出した。

 俺当てであることは確かだが、差出人の名前はない。

 表に、巨大な唇の跡が、まるで殺人事件の証拠写真のように鮮明に象っている。

 俺は着替えが終わると、仕方なく封書を開けた。


「今日、お茶会をしたいんだそうだ。俺も出なくてはならないのかな?」

「婚約者なんだ。当然だろう」

「しかし、俺は王族だろう。王族の予定を、こんなに簡単に抑えられるものなのか?」

「カロンの今日の予定は?」


「特にない」

「行っておいで」

「いや……アデルも一緒だ。一人では嫌だ」

「まるで子どもだな」

「仲良しね」


 床の上のケンと、長い毛に絡まったキサラが評する。

 仲良く寝そべっているネコとネズミに言われるのは屈辱だが、ドドンゴ令嬢と一人でお茶をするほど、俺に勇気がなかったのも間違いない。

 その後、俺に仕えていることになっている役人が、今日の予定を告げに来た。

 その中に、公爵令嬢ドドンゴとのお茶会の時間が組み込まれていることを知り、俺は諦めた。


 ※


 昼食に2時間ほどの時間をかけた。その後でお茶をする予定だ。

 あまりにも無駄な時間が長いのではないかと思うが、俺の時間の使い方がおかしいのかもしれない。

 俺は昼食後、心地よい日差しが降り注ぐ庭園をアデルと歩き、テーブルと同じだけの横幅があるのではないかと思われる令嬢を発見した。

 見るたびに巨大化している気がする。


「アデル……あれだったか?」

「ほかに、あんな生物がどこに存在するってんだい」

「俺の記憶より、大きくなっている」

「心配しなさんな。あたしも同感だ」

「……だよな」


 かなり手前でアデルと会話をかわし、俺は公爵令嬢に向かって歩き出した。

 ドドンゴ令嬢は、太く脂肪がたるんだ腕で大きな扇を広げた。


「お待ちしましたわ。カロン殿下」

「キャサリン、聞きたいことがある」

「まあ……遭ったばかりで私の隠し名を呼んで……私も、ついに覚悟を決めるべき時が来たのかしら?」


 ドドンゴ令嬢は、俺に椅子を勧めた。

 俺は、ドドンゴ令嬢が何を言おうとしているのかわからず、傍に視線を落とした。

 真っ黒い顔のアデルが、手で卑猥な仕草をしていた。

 俺は焦った。


「違う。俺が聞きたいのは……キャサリンが連れていた女の子のことだ」

「……ふうん。つまり、私とは別の女のこと?」


 ドドンゴ令嬢が扇いでいた扇子が折れた。丸い手がテーブルに落ちると、激しく音がした。


「カロン、言葉に気をつけな。怒らせちゃいけない」

「わかっている」


 俺の足元で囁くアデルに頷いて、俺は椅子に腰掛けた。

 ドドンゴ令嬢のこめかみには青筋が浮かんでいたが、ここで引き下がっては意味がない。


「性別は……関係ないんだ。昔からの知り合いかもしれない。俺は忘れていた。でも、恩がある」

「まあっ! さすがは魔王を倒した勇者ですわね。そんな昔の恩を、あんな汚い生物に感じているなんて。でも、大丈夫ですわ。このあたしが、カロン殿下の分まで恩返しをさせていただきますわ」

「ありがとう。さすが、キャサリンだ」

「まぁっ!」


 俺がテーブルを殴りつけた丸い手を包むと、ドドンゴ令嬢はにたりと笑った。

 俺は続ける。


「じゃあ、今は安全な場所にいるんだね?」

「ええ。あれほど安全な場所はございませんわ」

「案内してくれないか?」

「どうして、会いたいのかしら? あたしが安全を保証しておりますのよ」


 ドドンゴは笑みを深める。

 俺は言葉を探した。

 ドドンゴの背後に、トレイを掲げた小柄な影が立った。


「お嬢様、カロン殿下に差し上げるチョコレートサワーをお持ちしました」

「ああ。そうだったわね。カロン殿下、あの子のことなんて、どうでもいいわ。今日お呼びしたのは、あたしの抱える料理人たちが、新しいデザートを作ったのよ。ぜひ、ご堪能いただきたいわ」


 この世界で、チョコレートというものを食べたことはなかった。

 たしかに珍しいのだろう。

 王家の後継者である俺を呼び出すだけの価値のあるものなのだろう。

 だが、俺はトレイの上ではなくトレイを支えている小柄な影に釘づけになった。


 俺の視線に気づき、トレイを掲げた侍女が顔をしかめて首を振る。

 俺がその意図を知り、ドドンゴに視線を戻すと、令嬢は大きなしかめ面をやや緩めた。

 俺が他の女性を見るだけでドドンゴ令嬢は不機嫌になるのだと、ようやく気づいた。


「暖かいうちに召し上がってください」

「フラウ、それはあたしが言おうと思っていたのよ」

「失礼しました。お嬢様」


 チョコレートのクリームを持ってきたのは、明らかに既納の夜、俺のところにくるはずだったフラウだ。

 名前を隠してもいないのだ。


「これは……どうやって食べるんだい?」


 俺は、チョコレートクリームを初めて見たように演じた。

 この世界では初めて見たし、暖かいうちに食べるべきだという説明もわからなかった。

 ドドンゴが笑った。


「こうですわ」


 ドドンゴが、大きな口を開けて、カップ一杯のチョコレートクリームを口の中に放り込んだ。

側にスプーンが置いてあるので、多分間違った食べ方だ。だが、指摘する者はいない。


「……へぇ。どんな味なの?」

「あたしが説明するより、お食べになって」

「ありがとう」


 俺が、チョコレートクリームが乗ったカップに手を伸ばすと、フラウが口を挟んだ。


「時間をかけてお召し上がりください。次の準備もございますから」

「わかった。ありがとう」

「次の準備? 何かあったかしら?」

「お嬢様、お忘れですか?」


 フラウが令嬢に微笑みかける。

 俺はドドンゴを見るふりをして、微笑むフラウに目を向けた。


「ああ……何か用意しているのね。わかったわ」

「はい。お任せください」


 フラウは指で、時間を引伸ばすよう俺に指示を出した。

 フラウが下がる。

 俺は、カップを手に取った。


「珍しいデザートですね。どうやって作られたのですか?」

「それは秘密ですわ。まだ、秘密を明かすほど親しくはございませんもの」


 ほほほほほっと笑うドドンゴ令嬢に、俺は曖昧な笑みを返した。

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