175 商売の邪魔をする魔物たちの数が極端に減っている
ソマーレス公爵家の邸宅は、爵位を金で買ったと噂されるだけあって、豪華な印象を受けた。華美ではなく、洗練された美しさを感じさせることが、より金持ちであることを意識させた。
俺が宿にしている王城は、豪華できあるが古めかしい印象がある。
俺が馬車から降りると、ずらりと使用人が並んだ。
公爵とご令嬢は屋敷の中で待っているらしい。
王族であるはずの俺を出迎えにこないのが通常なのかどうか、俺にはわからなかった。
次第に緊張しながら、俺は屋敷の中を進んだ。
さすがに王城ほど、内部は複雑に作られていない。
屋敷に入って、まっすぐ進んだ部屋に俺は通された。
アデルも傍についている。
俺が通された部屋は、大きな机のある広い部屋だった。
机の向こう側に、年配ではあるが十分に若い、口ひげを蓄えた男が腰掛けていた。
俺の父親らしいしょぼくれた王より、よほど堂々として見える。
だが、単純には比較はできないだろう。王は、一国を背負う重責に耐えているのだ。
「カロン王子だね?」
男は公爵を名乗り、俺に尋ねた。立ち上がり、大きな机を回り込んで俺に握手を求めた。
「はい。公爵様」
「公爵様はやめてください。将来は、私が支えるべきお方になるのだから」
「それは、娘はやれないという意思表示でしょうか?」
俺が噂の令嬢と結婚すれば、公爵は王の父となる。
単なる臣下ではなくなるはずだ。俺がその意味で尋ねたが、公爵は首を振った。
「まさか。親であろうと、子どもであろうと、王は王です。私の可愛いドドンゴを娶っても、私が王にお仕えすることは変わりません」
目の前の公爵は、金で爵位を買ったと言われている。
その本心はわからない。俺は、ただ曖昧に笑みを見せた。
足元に痛みが走る。
視線を動かすと、アデルが俺の足を踏みつけていた。俺が痛いと感じる攻撃ができるのは、アデルぐらいのものだ。
「どうした?」
「王族が、意味もなく笑いなさんな。相手によっては、とんでもない誤解をするんだよ」
「あ、ああ。いや、そんなことは……」
「よい侍女をお持ちのようですね。ただ、言葉使いは直させた方がいいでしょう。私の可愛いドドンゴは、そういったことに敏感なのでね」
「だそうだよ」
「わかったよ」
アデルが頬を膨らませて黙る。王族の従者扱いなので、フードは被っていない。
首から上が鉛色だが、体の小さな人間に見えなくもない。
「それより、聞きたいのだがね。カロン殿下は、魔王を倒した勇者カロンと同一人物だと言われているが、本当かね?」
ソマーレス公爵は、執務机の傍に据えられた小さなテーブルと長椅子に、俺を誘いながら尋ねた。
「魔王が倒されたことは、事実だとお考えですか? 疑問に思わないのですか?」
「ああ。商売の邪魔をする魔物たちの数が極端に減っているのでね」
「魔王を討伐したのが、勇者カロンだと信じているのですか?」
それは、俺が広めて来たことだ。自分で疑うわけではない。ただ、本当の事実は誰も知らないはずなのだ。魔法嬢は俺が吹き飛ばしてしまったからだ。
「私にとっては、誰が倒したのかは問題ではない。本来はそうだった。だが、愛娘を嫁がせようとしている相手が倒したとなれば話は別だ。私の可愛いドドンゴは、幼い頃から英雄譚が大好きでね。自分で冒険に出たいと言い出したこともある。口の悪い親戚の中には、じゃじゃ馬だと言う輩もいるが、ただの誹謗中傷だとすぐにわかるだろう。婚約者が魔王を倒した勇者となれば、これ以上の相手はいない」
「……はあ」
「それで、どうなんだい? 同一人物ということでいいのかな?」
俺は、アデルを見た。アデルは軽く舌打ちをした。
王家として、破談させるわけにはいかないのだと言われたことを思い出す。
俺は口を開いた。
「魔王を倒したのは、俺です」
「よく言った」
公爵は笑みを浮かべると、両手を打ち鳴らした。
奥の部屋に繋がる扉が開き、人体より球形に近い肉の塊が姿を見せた。
豪華な衣装は、通常の令嬢の3倍以上の布面積が必要だろう。
宝石をあしらった見事な衣装だが、主に着る側の問題ではち切れんばかりである。
「お父様、この度の婚約とはやはり」
「ああ。お前の見立て通り、勇者カロン本人で間違いない」
「まあっ! さすがは私、見立てに間違いはございませんでしたこと」
『ほーほっほっ』と高笑いする口元を、令嬢は黒い扇で隠していた。
ドドンゴ公爵令嬢に素早く扇を渡した侍女にも、俺は見覚えがあった。
「さあ、カロン殿下、ドドンゴに言うべきことがあるのだろう? 遠慮はいらないよ」
一代で公爵位を買い上げた商売人は、俺をドドンゴの前に移動させた。
俺は、ドドンゴに向かって手を差し伸べる。
その手が、小刻みに震えた。
「まあ……そのように緊張なさらないでくださいまし。まるで私が、魔王より恐ろしいようではありませんか」
ホホホと笑う口元からよだれが落ちる。華奢な体をした、整った顔立ちの侍女が拭った。
ドドンゴ令嬢の口元は、どうやら少しばかり締まりが悪いらしい。
俺は覚えていた。
豚に巣食うダニであった魔王を捕まえた時、商隊を率いていたのが、ドドンゴ令嬢だ。
その時、この侍女にも会っている。
まるで、俺が転生する前のカロンを知っているような口ぶりだった。
その頃よりも少し大人びていたことに加え、より美しく成長していた。
残念なのは、まるで主人に栄養を吸い取られるように痩せていることだ。
侍女を見た俺の目から、涙が落ちた。
「まあ、どうなさったの? カロン殿下」
ドドンゴが尋ねる。俺を値踏みするかのように見つめている。
この婚約を破談にすることはできない。王国の財政が破たんする。
「なんでもありません。ずっと、魔物たちと戦うことだけに集中してきたので……本当に平和になったんだと思い、込み上げて来ました」
「カロン殿下は、胸が一杯なのだろう。なあに、手っ取り早く済ませようというものでもない。少し、二人で散歩でもしてくるといい。庭に植えた金木犀が良い香りを放っているよ」
公爵は言うと、自分は執務机に戻った。
俺は感謝の言葉を告げてドドンゴを見た。
立派な体格の公爵令嬢は、表情を隠すために使用していた扇で、顔に風を送っていた。
「じゃあカロン、あたしは遠慮する。しっかりやんなよ。そっちの侍女さん……ファニーって言ったね。あんたも遠慮するだろう?」
アデルは、背を向けようとした。アデルの言葉に、公爵が反応した。
「この子は、侍女として役立てていますが、身分は奴隷です。よく名前をご存知ですね。以前会ったことがあるとドドンゴから聞きましたが……この娘にも会いましたか?」
「ああ。会ったよ。もっとも、会わなくてもわかるさ。この娘にそっくりな写し絵を何度か見たことがある。昔はよく聞かされた。金を貯めて、ファニーを取り戻すんだってね」
「待って。それ、本当?」
痩身の侍女が尋ねた。その瞬間、体が一回転して床に倒れた。
「誰の許可を得て、口を利いているんだい! これは私の縁談だ。お前のことなんか、どうでもいいんだよ!」
「も、申し訳ありません」
怒声を発したドドンゴに、ファニーは這いつくばって詫びる。
ファニーの手に血が落ちた。口を切ったのかもしれない。
「とっとと失せな!」
持ち上げたドドンゴの足を、俺は掴んでいた。
意識しての行動ではなかった。
振り上げられた太い足を捕まれ、バランスが悪い公爵令嬢がひっくり返る。
俺は、ファニーの側に膝をついていた。
「メディ」
「あっ……」
突然痛みが引いたことに驚いたのか、ファニーが顔をあげる。
俺と視線があった。
ファニーの目から涙が溢れた。
だが、俺が差し出した手を振り払った。
「お嬢様に何をなさるんです! たとえ王族であろうとも、お嬢様に乱暴を働いて良いなどと言うことはございません!」
「あっ……でも……」
俺が言い訳をしようとした時、屈んでいたために床近くにあった尻をアデルに蹴飛ばされた。
「カロン、何やっているんだい。この娘、殺されちまうよ」
「あっ……うん」
公爵令嬢である主人を転ばして、奴隷の傷を癒すなど、普通の行動ではない。
俺は倒れたままの公爵令嬢を助け起こした。
「さすがは勇者様、並みの男では、私を転ばせることも、起こすことも、簡単にはできませんわ」
なぜかドドンゴ公爵令嬢が上機嫌だったため、俺は胸を撫で下ろした。