174 どうして、こんな服で生活ができるんだ?
平和で穏やかな生活は、本来俺の望んだものだ。
ダンジョンに挑戦したり、闘技場で戦ったり、海中の王国で暴れたり、魔王を討伐したりというのは、必要があったやったことだ。
戦わずに衣食が満ちていれば、俺には不満はない。
ゼージア国の王都ゼンジウムで王子に就任した俺は、お付きの官吏に言われるまま、王宮のしきたりや教育を学んでいた。
アデルは何も言わなかった。猫のケンとネズミのキサラは、退屈そうではあったが、俺抜きに商売することの難しさを思い知っている。不満を言うことはなかった。
俺が王宮のしきたりを概ね覚えた頃、俺は宰相の一人に呼び出された。
俺が王城に招待され、王と面会した時にいた宰相だ。
宰相は何人かいるらしいが、王宮内部のことを取り仕切る役割なのだろう。
「今日は、ソマーレス公爵令嬢に婚約の申し入れを行っていただきます」
俺が姿を見せると、宰相が言った。名をソレナンというらしいことは、すでに知っていた。
「へぇ。カロンが結婚ね。おめでたいことだ」
俺についてきていたアデルが、まるで嫌味であるかのように言った。
まだ会食の許しも出ていないが、突然婚約の申し入れをしろとは無茶な話だ。
「なんだ? アデル、俺が結婚すると寂しいのか?」
「そんなはずがあるかい。調子にのりなさんな」
アデルが俺の足を蹴飛ばす。俺がレベル99の勇者でなければ、骨が折れているところだ。
「ちょっと待て。ソマーレス公爵夫人というのは、あれだろう? 俺がこの城に来るときに会った……」
「ほう。そうですか。それは奇遇ですね」
「ソレナン宰相が、気の毒がっていたんじゃなかったか?」
「はて……なんのことかわかりませんが」
ソレナンは、他所を向いて顎髭をしごいていた。
「婚約といっても、形だけなんだろう? 本当に結婚なんかさせないよな?」
「殿下、現在の王国の財政状況は説明しましたな」
殿下と呼ばれるのは、俺だ。逆に、俺をあえて殿下と呼ぶとき、大抵説教されるのだ。
「ああ……そうだな」
「ソマーレス公爵は、公爵令嬢と王子の婚約を条件に、一年間の国費相当額の負担を申し出ました」
「いくら公爵でも、そんなことができるのか?」
「公爵位を金で買った人物です」
「……そうか」
俺の予想を超える大金持ちということだろう。
「すぐに結婚とはもうしません。今回の援助だけで、公爵領の財政はしばらく回復しないでしょう。再び公爵領が富を蓄えてから……」
つまり、婚約を餌に金だけ出させるということだ。次に公爵家が同額を出せるようになるまで、結婚という手札は温存するということらしい。
「結局、俺があれと結婚するんじゃないか」
「数年経てば、変わります。国の状況も……女も」
宰相ソレナンは、にやりと笑った。俺には、とても悪い笑みに見えた。
「カロン、諦めなよ。どの道逃げられないんだ」
アデルが諦めたように言った。
「……仕方ない。今日のところは、その公爵令嬢に会うとしよう。アデルはどうする?」
「悪魔族の従者がいてもいいのかい?」
アデルが尋ねると、ソレナン宰相は問題ないと請け負った。
※
俺は動くことすら困難な、窮屈な服を着せられて、従者のアデルと共に馬車に乗せられた。
「フルプレートの鎧より動きにくいぞ。貴族のレベルっていくつなんだ?」
幅広のカラーで首回りを固められ、顔の向きを変えることすら困難な状態で、馬車に揺られた。
対面に座るアデルに尋ねた。
「転生者じゃないただの人間に、レベルなんかないだろう」
「それはわかっているが……どうして、こんな服で生活ができるんだ?」
「人間、慣れるもんなんじゃないか? それに、カロンはもともと、フルプレートの鎧なんか持っていないだろう」
「まあな。レベルが上がると、裸でも怪我をしなくなる。ゲームの仕様って、理不尽だよな」
「装備の防御力はプラス何パーセントで加算される仕様だったね。それが、防御力がそのまま上乗せされる仕様だったとしても変わらないさ。レベル99で、ゴブリンに殺されるなんてことはないからね」
「現実は、いくら強くなろうと、死ぬとき死ぬんだけどな」
だが、この世界では死なない。病気にもならなければ、重体となるような怪我をしても、体力を回復させれば治癒するのだ。
あまりにも不自然だとは思うが、ゲーム的な仕様がそのまま反映された結果だ。
その恩恵を被っている俺が、文句を言える立場ではない。
「アデルは動けるのか?」
首にシャンプーハットのような襟巻きをつけられ、道化のような派手な衣装を着た、顔と手足が真っ黒なアデルに尋ねた。
「動けるさ。服が汚れようが、破れようが、気にしなければね」
言うと、アデルは揺れる馬車のシートの上でごろりと横になった。
アデルの体は鉛でできている。重いのだ。
アデルの服は、体格に見合わない体重に圧し潰された。
「そうか……服を気にしなければいいのか。鉄より頑丈な布が、あるはずないもんな」
「おっと、カロンはだめだろ」
「どうして」
俺も横になろうとしたところで、アデルに止められた。
俺が頬を膨らませると、アデルがにやりと笑った。
「カロンは王子だからさ。これから、公爵令嬢に婚約の申し込みをしに行くってのに、皺だらけの服で行っていいのかい?」
「誰が気にする?」
「婚約の話が破談になれば、国が傾くんだろう? 誰が気にするって、一番気にしなくちゃいけないのは、カロンだろうね」
言いたいだけ言うと、アデルはいびきをかき始めた。
俺は、仕方なく背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、馬車に揺られ続けた。
それほど長い時間ではない。
公爵領は王都の外にあるらしいが、王都に公爵家の屋敷があり、現在はその屋敷に令嬢がいるらしい。
馬車が止まった。
「赤信号か?」
「電気が実用化されていないのに、信号機があるかい」
いびきを止め、薄目を開けたアデルが指摘した。
「ゼージア国第1王子、カロン殿下のおなーりー」
外から、誰かの大声が聞こえた。
「だってさ」
「聞こえたよ」
俺が不機嫌に言うと、アデルは笑いながら従者として馬車の扉を開けた。