156 勇者は最後に勝てばいい
瓦礫の間に沈み込んだのは、たまたまではないようだ。俺の服を掴んだ黒い物体が非常に重く、その黒い物体を中心に建物の崩壊が広がっていたのだ。
最も沈み込んだ中心に俺と黒い物体がいるため、建物の壁や柱が倒れかかってきたところで、瓦礫の破片同士がぶつかって、互いに支え合っているのだ。
「カロン、生きているかい?」
黒い物体は、俺の下敷きになっていた。硬く、ひんやりした触りごこちだ。硬質な触感は、俺の重みで潰れるとは想像できないものだった。
「……カロン? ああ、俺の名前だったな。あんたこそ、よく生きているな」
それどころか、まるで平気であるかのような喋り方だ。
「どうやら、本当にあたしのこと、忘れちまったようだね」
「……知っていなきゃいけないはずなのか?」
「アデルだよ。その前の名前はアリス。運悪くカマキリに転生したプレイヤーさ」
「ああ……アリスか。本当に?」
「本当さ。カロンのお陰で、頑丈な体に魂を移すことができた。本当は人間がよかったけどね。贅沢はいえない。カマキリよりはましさ」
「よかったな……本当に……よかった」
「ありがとうよ」
アデルと名乗ったアリスの手が動き、俺の頬を撫でた。瓦礫の下に埋まっていたように見えたが、瓦礫を割って出現した。アデルの手は、全くの無傷だ。頑丈な体だというのは間違いないようだ。
「あたしのこと、思い出したかい?」
俺は自分の記憶を辿った。カマキリのアリスのことは覚えていた。だが、目の前の悪魔には結びつかない。
「……いや」
「前にも、こんなことがあったね」
「なんのことだ?」
「まあ、覚えていないだろうね。ファニーさ」
「誰だ?」
「この世界のあんたの肉体、カロンの幼馴染だった女っていっても、わからないだろうね」
「……ああ。わからないな」
なんのことだろう。この世界の死にかけた人間の体に、失われた魂のかわりに俺は入り込んだ。転生しようとしたときに、偶然魂が抜ける肉体がなければ、この世界への転生は成立しない。だから、アリスはカマキリに、ララは猫に、魔王はダニに転生した。
十数年間、この世界で生きて育った肉体に魂が入り込んだのだ。幼馴染がいてもおかしくない。だが、この肉体は貧しい農村で生活していた。幼馴染の女がいたところで、どうだというのだ。
「やっぱり……爆発の魔法は、理論上いくらでも破壊力をあげられる。違うかい?」
「アリス……アデルだったか。使えるんだろう?」
俺の魔法『バン』は、魔法の中で唯一レベル設定がある。レベル1は消費MPは5だが、レベルが上がると塁上で増える。
だが、俺の魔力ではMPが足りなくても、魔法自体のレベルをあげていくことができる。その場合は使用後にMPがマイナス表記になり、プラスになるまで一切の魔法が使えなくなるのだ。
「いや。あたしの魔法に、爆発の魔法なんかない。ララも同じだった。爆発の魔法は、職業勇者の切り札なんだろう。あたしもララも、勇者なんて職業は選択できないからね。破壊力は無限だけど、代償があるってことじゃないのかね。それが……記憶なんじゃないか? ゲーム時代なら、経験値だったかもしれないけどね」
「……なに?」
「人魚の姫さんのことは覚えているんだろう?」
「ああ」
「必要な記憶から失われるんだろう。人魚の姫さんは死んだ。カロンにとっては大切な思い出でも、忘れて具体的に困るわけじゃない。カロン、悪いことは言わない。もう、自分の魔力をこえた爆発の魔法は使いなさんな。でないと、最後には勇者なのか魔王なのかわからなくなっちまうよ」
アデルの考察が正しいとは、俺には思えなかった。限界を超えた『バン』を使用した時、誰かの笑い声が聞こえたような気がする。もし、記憶が本当に削られているとしたら、その笑い声が鍵ではないかという気もしたが、アデルに言っても解るはずがない。
「バンを使わずに……あれを倒せるのか?」
俺は、かなりしっかりと視認できるようになった魔王の軍勢を指差した。
俺がどれほど寝ていたのかわからないが、ララが魔王と結託したにしても早すぎる。
軍事大国として知られる冬の国の全軍を持っても、勝てるようには見えない。
「勝てないさ。相手は魔王だ。でも、あんたが勝たなければいけない理由があるのかい?」
「俺は勇者だから……じゃないのか?」
「勇者は最後に勝てばいい。勝てるようになるまで、レベリングするのも定石だろう?」
「確かに……な」
俺は魔王の率いる大軍を前に、戦いに向かう最強の戦士の背中を見つめ、空を飛ぶ邪神を見送り、逃げることに決めた。
邪神ヴァルメス、最強の騎士アスラルの死が世界に抵抗の虚しさを告げた。
世界は魔王の軍勢に覆われ、俺はダンジョンに潜り続けた。
世界中の権力者は魔王に服従を誓うか滅ぼされるかの選択を迫られ、人間は世界の盟主の座を魔物に明け渡した。
全ての国が魔王の支配下に落ちた時、俺は12個目のダンジョンを踏破していた。
「カロン、レベルは幾つになった?」
アデルが尋ねた。
「勇者99のままだ。99が限界のようだな」
「そうかい。なら……行こうか」
「ああ」
誰も踏破できないと言われていた最後のダンジョンのボスの死骸から、俺は立ち上がる。
ダンジョンから出れば、どこからでも、巨大な猫が浮かんでいるのを見ることができる。
現在の魔王の象徴だ。
魔王の正体がダニだとは、誰も知らないだろう。
勇者のレベルがカンストして、魔王に勝てないのならば、ゲームバランスが壊れている。
俺は、世界の裏側にいるはずの魔王を挑むべく、最後のダンジョンを後にした。
完
完結です。
まだすべての伏線を回収できたわけではありませんが、これ以上続けても同じ展開の繰り返しになると思い、完結させることにしました。
ここまでお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。