154 余が知るはずもなかろう
俺とアデルは、街中で宿を求めた。
以前この街に来た時は、金稼ぎとレベル上げで長期間滞在したが、今回は一泊で出発する予定だ。
目指すは北の雪山を超えた、さらに先の雪原にそびえる氷の城だ。
かつて行った時は、万が一に備えて大量の装備や食料を用意した。
俺のアイテムボックスに入っているので劣化もせず、現在でも大量の物資が残っているため、補給も必要なかった。
「今回は、乗り物はどうする?」
以前はアデルが捕らえた魔物に乗っていった。
「出かけるついでに捉えればいいだろう。それより、アスラルだっけか……会って行かなくていいのかい? 助けてくれるかもしれないだろ?」
アデルはベッドに登り、アデルの体重でベッドに穴があきそうなほど凹ませていた。
この冬の国は、女王ヴァルメスと3人の青バラと呼ばれる騎士たちに守られている。3人の騎士は人間離れした力を女王より与えられ、中でもアスラルという男の強さは群を抜いている。
俺は当初敵とみなされた。この国を発つ時には和解したが、わざわざ挨拶によるほど親しくなったわけではない。
俺が否定すると、それ以上アデルは追求してこなかった。
自重でベッドを壊しそうになりながら、いびきを掻きはじめる。
俺は、アデルが本当にベッドを壊さないよう、ベッドの下に支えを施してから眠った。
翌朝、俺とアデルは街を出て北に向かった。
俺は、普通の人間との違いを痛感した。
俺は弱くならない。
戦えば戦うだけ、レベルアップして強くなっていく。
前回苦労した巨人の群も魔法で一蹴し、北の氷原に至った。
今回氷原で待ち受けていたのは、氷で出来た獣たちではなく、オーロラを纏った細い氷の女性だった。
「……出迎えか?」
身構えたアデルを抑え、俺が前に出て尋ねた。
「主人がお待ちです」
「わかった。案内してくれ」
氷の女は答えず、背中を向けた。
鉛の体を凍りつくほど冷やしたアデルが飛びかかろうとしたが、俺は押さえつけ、あまりの冷たさに飛び上がった。
俺とアデルは氷の城の一室に招かれた。
全てが氷でできているが、室内は寒くはなかった。
氷がなぜ解けないのかは謎だ。
案内してきた氷像は部屋まで案内して、崩れて消えた。
氷の女王そのものも氷像であり、実体が別あるという。そう言ったのは魔王であるダニなので、嘘を言っているのでなければ確かな情報だろう。
ソファーの形の氷の塊に腰掛けて、しばらくすると氷像が入ってきた。
以前は互いに警戒していたが、今はほぼ無防備である。
氷でできた女は、俺を見下し、立ったまま言った。
「小さな賢者はどうした?」
「ドディアは無事なんだろな?」
「あのままじゃ」
女王が腕を動かす。
白く濁っていた壁の一部が透き通り、中の様子を表した。
凍りついたままの獣人の少女がいた。
「生きているんだろうな?」
「氷漬けになった獣人が生きていられるのかどうかなぞ、余が知るはずもなかろう」
「……約束だったはずだ」
「約束通り、あれ以上の手出しはしておらん。貴様こそ、小さな賢者はどうした? まさか、そっちの黒いチビが小さな賢者ではなかろう?」
俺の元々いた世界では、冷凍睡眠という考えもあった。だが、実現したと聞いたことはない。そもそも、人間を氷漬けにして、解凍して生き返るという保証はない。ドディアはすでに死んでいるのかもしれない。
「悪魔族のアデルだよ。この間も、ここに来ているはずだけどね」
小さな賢者の正体を知っているアデルは、皮肉げに口角を釣り上げながら言った。
「……ほう。そうじゃったか。いや……当然承知しておる。冗談を真に受けるでない」
アデルが冷えた体を俺に持たせかけた。
「カロン、あいつ、こっちのことがよく見えていないんじゃないか?」
「だろうな。あのダニが、氷の女王の本体は別にあると言っていた。裏を描くのは簡単かもしれないが、本体の居所を突き止めないと、俺たちに戦う術はない」
「小さな賢者ばどこじゃ?」
氷の女王が繰り返す。
「ドディアの無事を確かめる方が先だ」
「……ふむ。小さな賢者とはいえ、持ち歩けるほど小さいわけではあるまい。情報を持ち帰ったというところか?」
実際の小さな賢者は魔王そのもので、持ち運ぶどころか簡単に見失うほど小さいことは、やはり知らないようだ。
「まあ……そんなところだ」
だが、この場に居ないことは間違いない。
「では、小さな賢者はどこじゃ?」
「ドディアを解凍しろ。そうしたら教える」
「取引できると思っておるのか?」
「思っているさ。お前は、俺を殺しては、知りたい情報が得られなくなる」
言ってから、俺は待った。
逡巡しているのだろう。氷の女王の反応が止まった。
嘘は言っていない。
寒くないはずの部屋でも肌寒さをおぼえるほどの時間が経過し、女王は言った。
「……よかろう。解凍してやる。じゃが、貴様らはその場を動かず、小さな賢者の居場所を余に教えよ。さすれば、余は賢者殿を迎えに行く。その後は、好きにせよ」
「承知した」
俺が言うと、ドディアを包み込んでいた氷の壁が、破裂したかのように霧散した。
ドディアが床にくずおれる。俺は腰を浮かしかけたが、駆けつけることは女王が許さなかった。
「……冬の国、青バラの騎士カーネルの猫と一緒にいる」
「そのようなところに……」
言いながら、今度は女王の体が崩壊した。もともと、ただの氷像だったのだろう。俺の目の前で崩れ去った。
もはや氷の女王はいない。俺は、床を蹴った。
「ドディア!」
ドディアは俺の呼びかけに答えない。意識がない。
俺は床のドディアを抱き上げた。
冷たい。体温がない。
「メディカル」
俺は、治癒系最高位の魔法を使用した。
ドディアは動かない。魔法の効果が消滅したと、感覚でわかる。
命がない。
「ドディア! ドディア!」
何度も呼びかけた。喉が痛む。喉が冷たい空気に傷つけられる。
それでも、俺は叫んだ。
「アデル……ドディアを! ずっと僧侶だったんだろう? 俺より高位の回復魔法……いや、復活魔法をかけてくれ」
「復活の魔法なんてないよ。死んだら、近くの街で勝手に復活する。それが仕様だったって聞いたことがある。その仕様が生きていたら、今頃は自称勇者で溢れかえっているさ。死んだ奴を生き返らせる方法はない。ビリーで分かっていることだ」
「……嘘だ……ろ? 俺は勇者だ。職業勇者の……ヒロインが……こんなにあっけなく死ぬのか?」
「ヒロインだから、死ぬときはあっけないってこともあるだろうよ」
それは、元の世界の認識だろう。アデルは、やはりアリスと知識も経験も共有している。
だが、俺には納得できなかった。
「どうすればいい?」
「どうしようもないさ」
アデルは冷たく言い放った。アデルにはどうにもならないだろう。それは解る。
俺は首を巡らした。氷の女王を探した。
姿はない。もともと、ただの人形だ。春の淡雪のように溶けて消えたのだろう。
「くそっ……くそう!」
後悔させてやる。俺は誓った。ドディアという人質があったからこそ、氷の女王に従っていたのだ。
俺は約束を果たした。だが、ドディアは初めから助けられなかったのだ。
俺は、無駄なことをしていたのだ。
「バンレベル7」
爆発魔法バンは、レベルが上がると消費魔力が累乗で増える。
足りない分の魔法は数値上マイナスとなって、時間経過でプラスになるまで意識を失う。
そのことは確認していた。
バンレベル7の消費魔力は78000を超える。
アデルが驚いているのがわかった。俺の魔法は仲間にも及ぶ。だが、俺自身が傷つくことはない。
俺はとっさに、アデルとドディアを抱き寄せた。
魔法は発動しなかった。あまりにも、消費魔力が足りないのかもしれない。
『代償を支払うかい?』
頭の中で、老婆の声がした。いつか、雪山の中で会った、邪神の姉だと名乗った老婆を思い出した。あの時の代償がなんなのか、結局わからない。ならば、たいした代償ではないのだろう。俺はそう考えた。
「払う」
『ヒャヒャヒャ、毎度』
魔法が発動する。
巨大な爆発が起こったことだけは理解した。
確認はできなかった。その瞬間に、俺は意識を失っていた。