153 一度も死なずにクリアできるゲームなんてつまらない
ごく小さな生物に転生したことにより、強くなったのは魔王だけだろう。
設定上魔力に限界はなく、もっとも強いスキルを使うことができる。
しかも、小さいため見つけられず、争う相手もいない。
「一緒に来てもらいたい」
俺は、自分の指に魔王を乗せて懇願した。
「こっちの世界で従えた魔物は多いが、まともに話ができたのは、お前が初めてだ。しばらく一緒にいるのは構わないが……目的があるのか?」
ダニがごろりと横になった。もちろん、俺の指の上でだ。
「俺の連れが、7魔将の1人氷の女王に囚われている。魔王を連れてくれば解放すると約束した」
「ああ……あの女か。まあ、男だろうが女だろうが、今の俺にはどうでもいいがな。雌のダニ相手に交尾する気にもならないし……」
「どうせ氷の体だろう。あんたが人間だったとしても同じだ」
「いや……氷の体を操っているだけで、本体は別にあるぞ。俺の本体がこれだと知っている奴は、今まではいなかったが」
俺の指先で、魔王ダニはゴロゴロと転がっている。寝返りをうっているのだ。
「小さな賢者が魔王だってんなら、7魔将軍が探しているのはなんなんだい?」
俺の指先を覗き込み、顔を歪めながらアデルが尋ねた。顔を歪めているのは、目を凝らせているのだ。今まで気にならなかったが、アデルは目がよくないのかもしれない。
「このダニの姿を見たのが俺たちだけだっていうのなら、小さな賢者だけじゃなく、魔王もダニが操っていたんじゃないか? 本物の魔王には、そういう能力があるんだろう」
ダニがニヤリと笑う。本当に表情があるわけではないだろうが、俺には笑ったのがわかったのだ。
「小さな賢者だと呼ばれていたのは、俺が住んでいたリスだ。リスの体に隠れて、俺は亜人のキマイラを操り、魔王を仕立て上げた。亜人のキマイラってのは、亜人の死体をつなぎ合わせて作った人形のようなものだ。7人の強力な魔物を将軍と名乗らせて、世界征服の目処がついたところで、やる気がなくなった。終わりの見えたゲームってのは、退屈なものだろう? 7魔将に任務を与えて遠ざけて、攻めてきた人間の軍隊もろとも、魔王を体を吹き飛ばした。魔王は死んだ。だが……魔法的な手段を使って探せば、死んでいるとは出ないだろう。本体の俺はこうして生きている」
「だから……魔将たちは探し続けているのか。魔王を、あるいは……魔王を復活させる方法を」
「魔将たちがそんなことをしているとは知らなかったが、まあそういうことだろうな。お前の最初の問いに答えるが……氷の女王のところに行くのはお断りだ。理由はわかるな? 俺にとって、世界を征服することは簡単だ。だが、もう興味はない。魔王として苦労するのはご免なんだよ」
ダニはへらへらと笑う。俺は指先で潰したい気持ちに襲われたが、ぐっと飲み込んだ。これだけの小ささだ。殺したつもりで逃げられたら反撃される。初めから魔王として、設定できる限界の強さでこの世界に転生した相手だ。勝てるとは思えない。
だが、獣人のドディアが囚われている。この魔王を連れて行かなくてはならない。
俺が困っていると、横からアデルが再び覗き込んできた。
「へぇ。ビリーの奴が仕えていたってのは……こんな小さな奴なんだねぇ」
ダニの頭部が動く。アデルを見たのだろう。
「俺が知らない顔だが……俺たちの言葉がわかるってことは、転生者だな? 火鬼のビリーは7魔将の1人だが……転生者と関わっていたとは知らなかった」
「転生者か……俺がそうだということは、もちろん知っているよな?」
ダニの物言いが気にかかり、俺が思わず口を挟んだ。
「当然だ。でなければ、俺の言葉がわかるはずがない。俺は、ずっと日本語で話しているのだからな。人間に転生したとは幸運だったな。そっちの黒いのも、人間ではないようだが、似たようなものだろう。魔王としてキマイラを操っていた時は、ゴキブリやネズミに転生した奴ばかりだったが」
「……そいつらはどうなった?」
「当然死んだ。お前もプレイヤーなら、一度も死なずにクリアできるゲームなんてつまらないのはわかるだろう? この世界では、一度死ねばゲームオーバーだ。復活はない」
「あんたは……例外か?」
「設定上魔王だからな。俺が死ねば、ゲーム自体が終了だ」
やはり、俺の推測通りだ。アデルがさらに尋ねる。
「ダニの寿命って、そんなに長いのかい?」
「あのゲームには、年齢の設定も存在した。それが答えだ。年齢を操作するスキルがある。ある程度強くならないと手に入らないが、俺は初めから持っていた」
「……それで寿命を伸ばしたのかい」
「そういうことだ」
アデルが舌打ちする。アデルは最初カマキリに転生し、カマキリの寿命が尽きる前に悪魔族のアデルに魂を入れ替えたのだ。
カマキリの寿命を計算し、必死だったのを俺も覚えている。
「……わかった。氷の女王のところには行かなくていい。だが……俺の仲間に、転生者はもう1人居る。俺たちのように恵まれている。いや……ある意味ではもっとも恵まれているかもしれない。そいつの所に案内しよう。たぶん……あんたは種族がら、そいつのことが気にいるはずだ」
「……ほぅ。どんな奴だ?」
「カロン、いいのか? 氷の女王にお前の大切に……」
俺はダニを止まらせているのとは別の手で指を立てた。アデルを黙らせる。アデルが口をつぐんだ。
「猫だ。貴族に飼われている」
「ああ……そりゃ、住処としては最適だな。雑食の豚の血には、飽き飽きしていたところだ」
「方向は……北だが、氷の女王のところには行かない。それでいいな?」
「その猫とは、どうして別れた?」
「あんたと同じだ。敵と戦うのが嫌になったらしい。猫の本能が勝ったのかもな」
「嘘はバレるぞ。転生者かどうか、話しかければわかるんだからな」
「嘘じゃない」
「いいだろう。俺がその猫を住みかとして気に入ったら、少しぐらいは協力してやる。まあ……かつての部下にあったところで、俺がそいつを殺してしまえばいいんだけどな」
最後に物騒なことを言って、ダニは飛び上がった。風に乗ったのだ。自ら風を起こしたのは、スキルによるのだろうか。
「……どこにいる?」
「お前の頭に移動した。頭が痒くなっても、俺がいいという場所以外は掻くなよ」
耳元で声が聞こえる。しばらくの間、俺はダニを頭に住まわせなくてはいけないらしい。
俺はアデルと共に冬の国に戻った。
頭はずっと痒いままだ。
旅を続ける間に俺もアデルも強くなっていた。
魔物には遭遇したが、魔王が出る幕もなく俺たちは掃討して進み、1月ほどかけて首都にたどり着いた。
冬の国は、人間ではない女王と、それに従う3人の騎士が治める国だ。
軍事大国として知られているが、人間を鍛えて他国で稼がせるぐらいしか産業がないというのが実情らしい。
一時俺と同行していた転生者のララは、3騎士のうちカーネルという中年の男の屋敷で、猫として生活している。
魔王の手伝いもあって街の中にはすんなりと入り、中心部に近いカーネルの屋敷に向かった。
カーネルの屋敷の場所を正確に覚えていたわけではないが、たまたま通りかかった屋敷の生垣ごしに、日向ぼっこをしている猫と目があった。
「ララ」
懐かしい名前を呼ぶと、茶色いトラ猫がむくりと頭をあげた。
「カロンかニャ?」
猫がニャーと鳴いた。だが、俺には明確に言語として聞こえていた。
「スキル……」
「そんなことをしなくとも、今のお前なら越えられる」
俺がスキルで身体能力をあげようとした時、俺の頭の中で声がした。実際には、頭皮の上だ。
「アデルを抱えてか?」
「やってみろ」
「わかった。アデル」
「はいよ」
アデルが俺に飛びついた。
重い。
ずっしりとした加重が辛い。
アデルは鉛の体をしている。小柄に見えて、馬並みの体重がある。
俺はアデルを張り付かせたまま、地面を蹴った。
上に飛び上がる。
カーネル邸の生垣を飛び越えた。
敷地に落ちる。
「門から入れない事情があるニャ?」
「できた……いや……玄関から入ってもよかったんだ。ただ……ああ、ララ、合わせたい相手がいる」
「僕はもう、ただの猫だニャ。放っておいてほしいニャ」
「わかるぜ」
俺の髪の間で声がした。ララが驚いて周囲を見回す。
「誰だニャ?」
「約束は果たした」
「ああ。確かに」
俺の髪の先端から風に乗ってふわりと浮き上がる小さな姿は、魔王だ。
ダニの体をした魔王が、風に乗ってララの体毛に潜り込んだ。
「ニャ?」
ララが後ろ足で顎を掻き出した。
ララには悪いが、時々痒くなるのは我慢してもらおう。
「ララ、カーネルはどうした? 仕事か?」
「たぶん仕事だけど、詳しくは知らないニャ。カーネルは、僕のことをただの猫だと思っているニャ。猫に仕事の話はしないニャ」
顎を掻き終えて、ララは再びごろりと横になった。縁側の陽だまりである。
「アスラルやシレーネ……ヴァルメスはどうしている?」
俺は、冬の国を支える3人の騎士と、騎士を支配する女王の名をあげた。
「もっと知らないニャ」
「……わかった。幸せのようだな」
ララは優雅に鳴いた。その声だけは、俺にも言語としては理解できなかった。
俺はララと魔王を残して、アデルをかかえてカーネルの屋敷を後にした。